株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その14.岡目八目

2012-06-22 08:26:46 | 制作会社社長の憂い漫遊記
「映像館」在籍中、溝口社長が打ち出した論理に「P&D論」がある。
「プロデューサー&ディレクター」の略で、
1人でプロデューサーとディレクターを兼務するというものだ。
今では低予算化で当然のことのようになっているが、
30年ほど前は、予算もまだ潤沢で、
兼務すれば粗利は上がるが、
物を作りたい監督がプロデューサーを兼務した場合、
監督色に傾くと予算オーバーになるし、
プロデューサー色に傾くと低品質化を招くことになる。
本来、プロデューサーと監督は、
同じものを作るにもかかわらず対極に位置する。
それが一人の中に存在するわけだ。
「映像館」内でもこの論理は物議をかもし、
私も頭では受け入れても、心が受け入れない口であった。

本来、集団で物づくりをする場合、
映像のように監督を頂点とした三角形の組織を作らねば
物作りは進まない。
仮に横一列で意見を述べ合ったとしても、
取りまとめて、方向を決めるのは監督である。
しかしその時、助監督や撮影助手、照明助手などの助手陣が
「かたづを呑んで、行く末を見守る」ようでは
最悪のモノづくりしかできない。



各人は己の一つ上の役職の立場になって物を考え、
己の立場を全うしなければならない。
例えば、助監督なら監督になった気持で物を考える、
それではじめて助監督の仕事ができる。
撮影助手なら、自分がカメラマンならどう動くか、
を常に考えて動くことで撮影助手としての仕事ができる。
自分よりも一つ上の視野で見つめなければ、
今の職責は全うできないのだ。
では監督は誰の目線に立つのか?それはプロデューサーである。
ではプロデューサーは?それはお客さまである。
最終的にはスタッフ全員がお客さま目線でなければならないが、
まずは一つ上の立場の目線を持つ事が重要である。

監督がプロデューサー目線で物を見る=「P&D論」なら
私はもっと素直に受け入れられたかもしれない。
いやひょっとすると溝口社長の動機もそうだったのかもしれない。
しかし、動機はいかであっても粗利向上のための1人2役が
「P&D論」の終着点では破綻を来すと思う。
やはり、プロデューサーと監督は個々の存在だと思う。

では現在の当社(プランシード)はどうか?
若手もいるし、まだまだ発展途上でもある。
いまのところ全作品のチェックは私が行なうようにしている。
「ああしたら、こうしたら」と細かく指示する事もあるし、
ベテランなら最低でも方向性の再確認はするようにしている。
私が監督の場合も、粗編集(一応つないで流れを確認する
「なんちゃって編集」のこと)の段階で全員に見てもらい
意見をもらうようにしている。
そうすると思わぬ意見が出てくる。
私がいま何に苦しみ、何をするのに躊躇しているのかが彼らにもわかるし、
私は彼らの目を通して自分の中に潜む問題点を視覚化できる。
作品の企画前、作品の完成前で行なう検討会はとても重要だ。
最終的に作品をまとめるのは監督であるが、完成前に今一度振り返り、
様々な意見を組み入れることも監督の技量である。
「岡目八目(おかめはちもく)」という言葉がある。
人の碁をワキから見ていると、
打っている人より八目も先まで手が読めるということから
第三者は当事者よりも情勢が客観的によく判断できるというたとえだ。



(さて、どこからはじめるか…)


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