私の実家ではかれこれ40年ほど前から
神戸の摩耶山にお稲荷さんを祭っている。
摩耶山のお稲荷さん・高尾大明神は、
お祓いをしてもらっている神主さんによると
「摩耶山を抱きかかえる大きなお稲荷さん」だとのこと。

摩耶山のお稲荷さん・高尾大明神
そもそもなぜ神戸市灘区の下町に住むマチバの工務店の親父が
そんな偉大なお稲荷さんを祭ることになったのか…
私が聞くところによると、最初に建立したのは阪神電鉄の社長さんで、
摩耶ケーブルを作った時に山頂に建立したのが始まりだ。
その後、お稲荷さんは阪神電鉄の成長と安全を見守っていたが、
守りをする社長さんも歳がゆき摩耶山に登るのが辛くなり
祠を麓に移転したところ禍が重なった。
仕方なく再び山頂に戻すと禍は収まった。
その後は山頂で祭っていたがついに年齢には勝てず、
その頃出入りしていた設計士さんに守りをお願いした。
二代目として設計士さんも山頂で祭ったが、
その設計士さんも引退と同時に東京に転居することになり、
その頃よく設計依頼をしていた大工の親父を三代目として指名した。
以降親父が祭っている。
その間1995年には摩耶ケーブルは阪神・淡路大震災で被災し、
運休のまま時は過ぎ、2000年に神戸市都市整備公社へ無償譲渡し
2001年再開を果たした。


摩耶ケーブルのふもとにある「摩耶ケーブル駅」と
山頂にある「虹の駅」
お稲荷さんは摩耶ケーブルの山頂の「虹の駅」にあるため、
摩耶ケーブルが唯一の交通手段となる。
阪神淡路大震災でケーブルは約6年ほど運休したが
その間も山道を登り、掃除や飾付けに行っていた。
1日がかりで、しかも山道を登るのでまさに修行であった。
今でも年末には、親父は私か弟を連れて
一年の掃除と年始の飾り付けに行く。
そして1月1日には親父の家に集まる息子夫婦、孫達と
初詣に行くのが我が多田家の年初の慣わしとなっている。
その親父も今年80歳になり、今年中に老朽化した鳥居の立て替えを
私が行うことになった。私も小さな会社ではあるが社長だし、
多田家の長男でもあるので流れとしては私が四代目を継ぐことになる。
ちなみに親父は2人の息子を持ったが
私も私の弟も娘しかいないので五代目はどうなるのかわからないのだが…
さて今の老朽化した鳥居は親父が阪神淡路大震災前に建てたもので、
以前は鳥居はなかった。
そういう観点から見るとお稲荷さんのお陰で
親父の工務店は繁盛し、鳥居を建てることができたわけだ。
今回新しくする鳥居も元大工の親父が手作りする予定だったが
さすがに体力的に無理ということで、
私の会社で請け負ったイベントの建て込みをしてもらっている
岡野工芸社・上田亮二氏にお願いすることにした。
上田氏は器用な方で私が考案するケッタイナ物を
形にする名人である。かくゆう私も大工の長男だから
物を作るのは大好きだ。簡単なイラストを書き、身ぶり手振りで
制作物の形状や動きを説明すると、
材質や寸法を書き込んだ図面にして試作品を作ってくれる。
根っから職人・上田氏と私は、ああでもないこうでもないと試作品を叩き
本作品へと作り上げていく。なかなか楽しい作業で、
すったもんだの中から生まれた手作り感満載の
商品展示台や商品説明用のツールは好評で、
我が社の第三の売上品目になっている。
上田氏は映像屋の私にとってはカメラマンに当たる作業をこなしてくれる。
その上田氏と配下の大工さんを引き連れて
親父と私の4人が摩耶山に下見に向かったのは新緑の眩しい5月の中旬。
いよいよ四代目の工事の始まりだ。
神戸の摩耶山にお稲荷さんを祭っている。
摩耶山のお稲荷さん・高尾大明神は、
お祓いをしてもらっている神主さんによると
「摩耶山を抱きかかえる大きなお稲荷さん」だとのこと。

摩耶山のお稲荷さん・高尾大明神
そもそもなぜ神戸市灘区の下町に住むマチバの工務店の親父が
そんな偉大なお稲荷さんを祭ることになったのか…
私が聞くところによると、最初に建立したのは阪神電鉄の社長さんで、
摩耶ケーブルを作った時に山頂に建立したのが始まりだ。
その後、お稲荷さんは阪神電鉄の成長と安全を見守っていたが、
守りをする社長さんも歳がゆき摩耶山に登るのが辛くなり
祠を麓に移転したところ禍が重なった。
仕方なく再び山頂に戻すと禍は収まった。
その後は山頂で祭っていたがついに年齢には勝てず、
その頃出入りしていた設計士さんに守りをお願いした。
二代目として設計士さんも山頂で祭ったが、
その設計士さんも引退と同時に東京に転居することになり、
その頃よく設計依頼をしていた大工の親父を三代目として指名した。
以降親父が祭っている。
その間1995年には摩耶ケーブルは阪神・淡路大震災で被災し、
運休のまま時は過ぎ、2000年に神戸市都市整備公社へ無償譲渡し
2001年再開を果たした。


摩耶ケーブルのふもとにある「摩耶ケーブル駅」と
山頂にある「虹の駅」
お稲荷さんは摩耶ケーブルの山頂の「虹の駅」にあるため、
摩耶ケーブルが唯一の交通手段となる。
阪神淡路大震災でケーブルは約6年ほど運休したが
その間も山道を登り、掃除や飾付けに行っていた。
1日がかりで、しかも山道を登るのでまさに修行であった。
今でも年末には、親父は私か弟を連れて
一年の掃除と年始の飾り付けに行く。
そして1月1日には親父の家に集まる息子夫婦、孫達と
初詣に行くのが我が多田家の年初の慣わしとなっている。
その親父も今年80歳になり、今年中に老朽化した鳥居の立て替えを
私が行うことになった。私も小さな会社ではあるが社長だし、
多田家の長男でもあるので流れとしては私が四代目を継ぐことになる。
ちなみに親父は2人の息子を持ったが
私も私の弟も娘しかいないので五代目はどうなるのかわからないのだが…
さて今の老朽化した鳥居は親父が阪神淡路大震災前に建てたもので、
以前は鳥居はなかった。
そういう観点から見るとお稲荷さんのお陰で
親父の工務店は繁盛し、鳥居を建てることができたわけだ。
今回新しくする鳥居も元大工の親父が手作りする予定だったが
さすがに体力的に無理ということで、
私の会社で請け負ったイベントの建て込みをしてもらっている
岡野工芸社・上田亮二氏にお願いすることにした。
上田氏は器用な方で私が考案するケッタイナ物を
形にする名人である。かくゆう私も大工の長男だから
物を作るのは大好きだ。簡単なイラストを書き、身ぶり手振りで
制作物の形状や動きを説明すると、
材質や寸法を書き込んだ図面にして試作品を作ってくれる。
根っから職人・上田氏と私は、ああでもないこうでもないと試作品を叩き
本作品へと作り上げていく。なかなか楽しい作業で、
すったもんだの中から生まれた手作り感満載の
商品展示台や商品説明用のツールは好評で、
我が社の第三の売上品目になっている。
上田氏は映像屋の私にとってはカメラマンに当たる作業をこなしてくれる。
その上田氏と配下の大工さんを引き連れて
親父と私の4人が摩耶山に下見に向かったのは新緑の眩しい5月の中旬。
いよいよ四代目の工事の始まりだ。
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