缶詰だけど、それが何か?

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DoaU357日目_Part4_白黒と続いて赤い神社に出る

2010-02-21 23:22:49 | 散歩
もう20年前の2月3日。
嫁さんが仕事で豆まきの会場の神社へ行く。
豆をまいていたのは橋田壽賀子一派の役者たち。
行ったことがないので、一緒に行った。
当然、寺社仏閣になんて興味がないから、1周したら飽きる。

ホントは湯島聖堂から昌平橋、万世橋と渡って歩くつもりだった。
しかし、神田明神が近いとわかった嫁さんが当たり前のように言う。
行ってみよう!絶対ココだって
そう20年前の節分のことを思い出した訳である。

湯島聖堂正門横の坂道を上って国道17号へ、道を挟んですぐに目の前。



神田明神
朱色の随神門までキレイに抜ける。
鳥居の脇には甘酒の天野屋。正面の入口横には旧中山道の矢印、
進んでみても、当時の風情なんて嫁さんの記憶以下でしかない。

てけてけ参道を進んで、随神門をくぐる。



神田明神 神殿
随神門をくぐるとちょうど雅楽の演奏が終わる。
どうも結婚式が行われていたようで・・・
その後、その新婚さんは神殿へ。
嫁さんが当たり前のように拝みに行く。
ぱんぱんって手を叩いたら、お嫁さんが振り向いたよ!
そりゃそうだ、そんなデカイ音をさせれば誰でも振り向く。
てか、君が拝んだのは、そのお嫁さんか?

左側に巨大な大黒さん。
嫁さんがまた拝む。
すごいよ、今日は。頭も良くなるし、お金持ちになるし、
なにより楽しく暮らせますようにってお願いしたから。
ちゃんと住所と2人の名前も言ったから大丈夫!

宗教は誰にでも平等だ、信じる者には、だけれど。
しかし、宗教は何も保障しない、万人に、平等に。

神田明神を出て、17号線沿いに進む。



昌平橋
江戸時代に架けられた橋である。
もちろん、この形である訳はない。
1928年に架けられたものが未だに残っている、すごいね、ホント。



御茶ノ水駅方面
中央線が神田に向かう。
その上にかかるのが総武線の高架。
その先に聖橋のきれいなアーチが見える。
これで神田川がキレイだったら最高だけれど。



秋葉原駅方面
神田川の右岸、れんが造りの壁が続く。
何だろね?そう思ってたら、中央線の万世橋駅でした。
当然、今はそんな駅はない、1943年に廃止されて、その名残だけを残す。

橋のたもとに神田旅籠町の由来などが書かれている。
旅籠町の文字を見て、思い出すのは1人の作家。
小栗虫太郎の生まれたんだよね、この辺りで。

17号沿いを秋葉方面に向かって200mぐらい。



万世橋
おなじみ肉の万世の10階立てのビルがそびえる。
地下から最上階まですべて万世の業態を変えた店舗が入っている。
1階には万世橋酒場の看板があったけれど、なぜかラーメン、謎だ。



御茶ノ水駅方面
ちっちゃな船が神田川を遡る。
水道橋の辺り、そして外堀にはこういった船が係留されている。
一度乗ってみたい、誰もがそう思うんじゃないのかな?

その船が向かう先に昌平橋、その上にでーんとそびえるのは、
昌平坂学問所の跡地に立つ東京医科歯科大学のデカイビル。

神田川の左岸、この上に万世橋駅があったらしい。

反対側も見てみる。



浅草橋方面
正面をJRのさまざまな線が走る。
東北新幹線から山手線、京浜東北線などなど。
神田川左岸の茶色いビルが万世橋警察署。
2年前の事件で動いたのはココである。
そして、未だに歩行者天国はない。

視線を右に動かす。



神田方面
肉の万世はどうでもいい、その手前だ。
地上には公衆便所、いや、それもどうでもいい。
その下だ、階段もあって、窓もある。
ココ、なんだろね?
行ってみたいなあ、そう思う。
しかし、だ。
15時過ぎて、嫁さんが弱りはじめている。
神のご加護はあまりないようで・・・。

DoaU357日目_Part3_2つ目の聖堂は真っ黒だった

2010-02-21 19:23:10 | 散歩
学而時習之 不亦説乎

学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや
そう訳される孔子の言葉。
学んだことを繰り返し復習する、悦ばしいことじゃないか、
大意はそんな感じかな。
学ぶということは、確かに楽しい、その対象がなんであれ。
ただし、強制されれば話は別、とたんにつまらなくなる。

ここで学んでいた人たちはどうだったんだろ?

聖橋を渡りきると湯島聖堂の聖橋門へとたどり着く。
階段を下りて行く。



入徳門
ココが湯島聖堂というか、孔子廟への正門にあたる。
この門と門の内側の水屋だけが関東大震災で消失。
1704年に建てられたこの門はもう300年の歴史がある。

しかし、だ。

漆塗りたて
こんな表示に追い払われる。
まあ、漆にかぶれたくはないし、おとなしく横の木戸みたいな所から中へ。
かなり古そうな梅を横目に30段ぐらい階段を上る。



杏壇門
これまた漆黒、なんでここまで黒いんだろ?
さっぱりわからん。



大聖殿
孔子廟である。これまた真っ黒。
杏壇門の東に東回廊、西に西回廊が伸び、この大聖殿へとつながる。
で、この大聖殿、土日祝だけ中に入ることができる。
しかし、だ。
200円なのだ、ったく。



大聖殿内部
正面が孔子なのかな?
200円をケチったために、さっぱりわからん。
所々に赤い漆が使われいるけれど、内部も漆黒。

嫁さんが拝む。
コレでアタマがよくなるよ!
いやはやなんとも

大聖殿を後にして、杏壇門を出る。



すぐ下に焼け残った水屋。
つつっと視線を上げるとニコライ堂が目の前に。
かつては一番高い建物だったニコライ堂。
ドームからは東京中が見渡せたらしいけれど、
今では日販が入る新お茶の水ビルを筆頭に、その視界を目隠しする。

階段を下りて入徳門の横をすり抜けると、巨大な孔子がこんにちは。
斯文会という湯島聖堂を維持管理する財団法人の建物がある。
奥に進んでみる。



神農廟
竹やぶの向こうに神農の墓がある。
しかし、神農って誰だ?
さっぱりわからんけれど、これ以上は入れない。
しょうがないので、引き返す。



湯島聖堂正門
この正門から入ってくる人はほとんどいなかった。
たいていは西側の聖橋門、西門から。そりゃ、御茶ノ水駅から近い。
ひょっとしたら、この正門を通らない人の方が多いかも。



JR御茶ノ水駅方面
正門から出ると、丸ノ内線がほぼレベルの位置に見られる。
総武線が上って行く。
ホントに鉄の道に目覚めそうだ、もちろんウソだけれど。

正門横の階段をちょっと上る。



石垣に番号がつけられている。
一度、解体したのかな?それとも大震災で崩れたとき?
いろんな想像が膨らむ。

しかし、この湯島聖堂は往時の昌平坂学問所の何分の一かの敷地。
隣の東京医科歯科大学に学問所はあったらしい。
孔子の教えを守って学んでいたのかなあ、この日本初の大学で。

斯文会の売店へ嫁さんを捕まえに行く。
孔子の言葉がプリントされた鉛筆を指差しながら言う。
高校の名前、この言葉が由来なんだよ!
ああ、なるほど、確かにその文字が嫁さんの母校にある。
でもさ、なんて読むのかわからないんだよね

ホントに学びて時に之を習ったのか?君は?
まあ、悦んで学んでいた訳ではないからしょうがないか、
それが日本の教育システムだから。

DoaU357日目_Part2_ニコライ堂と聖橋

2010-02-21 16:58:32 | 散歩
Ludwig Wittgenstein

オレが大学に行っていた頃は、というか、
ドイツ語なので、当たり前のようにこう呼んでいた。
ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン

ドイツ語のWの音は英語のVにあたり、ドイツ語のVの音は英語のFになる。
だから、ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインが正しい。

しかし、だ。
世の中的にはウィトゲンシュタインなのだ、英語風に。
しかし、名前はドイツ語風にに、ルードヴィヒとこちらはう濁。
サロン・ド・ビューティ的な感じで実に気味が悪いけれど、
まあこちらが主流、情けないことに。
ただ、Schweitzerシュワイツァーとはならずに、
シュバイツァーと慣用されている、何がどうなっていることやら。

ただ、人の名前なんて、国が変われば当然変わる。
英語のマイケルは、フランスではミッシェルだし、ドイツに行けばミヒャエル。
まあ、そんなもんだ。

イイスス・ハリストス

吃音の人がイーデス・ハンソンを呼ぶとそんな感じかもしれないけれど、
立派な人名である、しかも歴史上、有数の知名度を誇るあの人である。
いや、人と言ってはいけないのか?キリスト教的には。

カロリーを出て、御茶ノ水駅方面にちょっと進む。
すぐに左に曲がって金華坂をたらたらと上る。
明治大学の裏側を進んで、山の上ホテルで右に曲がる。
日大前で一服、ようやく。
見上げる明治大学の変貌ぶりに嫁さんは驚く。
彼女が来たのは大学の頃だったから、風情のある建物だった。
しかし、その高層ビルぶりにあきれかえる。
そして、自分の通っていた大学も同じように変貌してるのかな?
そう嘆く。

明治大学の横を右に曲がって直進する。
すると見えてくる、こんな感じで。



ニコライ堂
駐車場の方からなので、その全容はわからない。
てきとーに入ると、別の駐車場に出たり、わけがわからんことになる。
ちゃんと正門から入りましょう、いい大人は。



東京復活大聖堂教会
これがニコライ堂の本名である。
日本最大のビザンチン様式建築とも言われる通り、
ここは正教会の礼拝堂である。
そして正教会では、あの人のことをイイスス・ハリストス、そう呼ぶ。

東ローマ帝国を発祥とする正教会はその後、ロシアへと渡り、
そこから各地へと布教される。

この東京復活大聖堂教会も、ロシア人・ニコライによって建てられたもの。
当時のロシアはまだ帝政、スターリンは生まれたばかりだから、
ロシア正教はまだまだ元気だった訳だ。

オーソドックス・チャーチと自称するように、
当人達は、誕生当時のキリスト教を伝える唯一の教会だ、そう言う。
まあ、金儲けしか能のないローマンカトリックやプロテスタント、
それよりはマシなのかもしれないけれど、しょせん宗教である。



ドーム天井
入るのに300円もとるんだぞ、ホントに。
誰もデジカメを向けてなかったけれど、止められもしなかったのでぱちり。
このドームは関東大震災で崩壊している。
その後、寄付を募って再建したのだけれど、できればフレスコ画が欲しい。
てか、殺風景なのだ、全体的に。



祭壇側
吊るされたシャンデリアと所々にイエスの肖像画、
祭壇も極めてシンプルな構成。
ガラスはステンドグラスではない、シールを貼ってある。
外観は美しい、けれども内観は・・・。
それに300円もとっておきながら、柱の向こう側には入れない。
あまりに日本的すぎる、こういう見せ方は。
なんだかなあ、ホントに。

ただ、冬は13時から15時半までしか入れない。
寝坊した嫁さんのおかげだ、ある意味、すごい能力。
イイススよりもよっぽど奇蹟を起こせる、ホントに。

ニコライ堂の正門?を出て本郷通りに出ると、すぐ聖橋。



水道橋方面
左にJRの御茶ノ水駅、神田川を跨ぐのはお茶の水橋。
その橋の上に東京ドームホテルや、アトラクションも見える。

ちょっと戻って、反対側からも見てみる。



湯島聖堂
コレから向かうのが欄干越しに見える。
ニコライ堂と湯島聖堂の2つの「聖堂」を結ぶ橋、
だから聖橋という名前になったらしい。

そして、塀が段々と下がっている。
本郷台地の南東の外れなのかな?



秋葉原駅方面
秋葉原の電気街がすぐそこに広がる。
てか、そんなことより、電車だよ、電車。
いや、もちろん、決して鉄ではないけれど、ココからの眺めはかなり壮観。
地下鉄のはずの丸ノ内線がひょっこり顔を出し、
その上を中央線が東京駅へとひた走り、
さらにその上を総武線がぐいんと走り抜ける。

この近辺で育っていたら鉄になってたかもなあ、
そう思いながら聖橋を渡りきる。