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DoaU357日目_Part3_2つ目の聖堂は真っ黒だった

2010-02-21 19:23:10 | 散歩
学而時習之 不亦説乎

学びて時にこれを習ふ、亦説ばしからずや
そう訳される孔子の言葉。
学んだことを繰り返し復習する、悦ばしいことじゃないか、
大意はそんな感じかな。
学ぶということは、確かに楽しい、その対象がなんであれ。
ただし、強制されれば話は別、とたんにつまらなくなる。

ここで学んでいた人たちはどうだったんだろ?

聖橋を渡りきると湯島聖堂の聖橋門へとたどり着く。
階段を下りて行く。



入徳門
ココが湯島聖堂というか、孔子廟への正門にあたる。
この門と門の内側の水屋だけが関東大震災で消失。
1704年に建てられたこの門はもう300年の歴史がある。

しかし、だ。

漆塗りたて
こんな表示に追い払われる。
まあ、漆にかぶれたくはないし、おとなしく横の木戸みたいな所から中へ。
かなり古そうな梅を横目に30段ぐらい階段を上る。



杏壇門
これまた漆黒、なんでここまで黒いんだろ?
さっぱりわからん。



大聖殿
孔子廟である。これまた真っ黒。
杏壇門の東に東回廊、西に西回廊が伸び、この大聖殿へとつながる。
で、この大聖殿、土日祝だけ中に入ることができる。
しかし、だ。
200円なのだ、ったく。



大聖殿内部
正面が孔子なのかな?
200円をケチったために、さっぱりわからん。
所々に赤い漆が使われいるけれど、内部も漆黒。

嫁さんが拝む。
コレでアタマがよくなるよ!
いやはやなんとも

大聖殿を後にして、杏壇門を出る。



すぐ下に焼け残った水屋。
つつっと視線を上げるとニコライ堂が目の前に。
かつては一番高い建物だったニコライ堂。
ドームからは東京中が見渡せたらしいけれど、
今では日販が入る新お茶の水ビルを筆頭に、その視界を目隠しする。

階段を下りて入徳門の横をすり抜けると、巨大な孔子がこんにちは。
斯文会という湯島聖堂を維持管理する財団法人の建物がある。
奥に進んでみる。



神農廟
竹やぶの向こうに神農の墓がある。
しかし、神農って誰だ?
さっぱりわからんけれど、これ以上は入れない。
しょうがないので、引き返す。



湯島聖堂正門
この正門から入ってくる人はほとんどいなかった。
たいていは西側の聖橋門、西門から。そりゃ、御茶ノ水駅から近い。
ひょっとしたら、この正門を通らない人の方が多いかも。



JR御茶ノ水駅方面
正門から出ると、丸ノ内線がほぼレベルの位置に見られる。
総武線が上って行く。
ホントに鉄の道に目覚めそうだ、もちろんウソだけれど。

正門横の階段をちょっと上る。



石垣に番号がつけられている。
一度、解体したのかな?それとも大震災で崩れたとき?
いろんな想像が膨らむ。

しかし、この湯島聖堂は往時の昌平坂学問所の何分の一かの敷地。
隣の東京医科歯科大学に学問所はあったらしい。
孔子の教えを守って学んでいたのかなあ、この日本初の大学で。

斯文会の売店へ嫁さんを捕まえに行く。
孔子の言葉がプリントされた鉛筆を指差しながら言う。
高校の名前、この言葉が由来なんだよ!
ああ、なるほど、確かにその文字が嫁さんの母校にある。
でもさ、なんて読むのかわからないんだよね

ホントに学びて時に之を習ったのか?君は?
まあ、悦んで学んでいた訳ではないからしょうがないか、
それが日本の教育システムだから。


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