吉田秀和著 『現代の演奏』新潮社より抜粋
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音楽作品の全体をきく、あるいは、きき終わったあとで、
よくわかったという印象を残すに当たっては、
各音楽家それぞれにそれぞれの流儀があり、
決して一律ではないが、しかしまた、
その底には、変らない、ひとつの手段があるのである。
それは、
いまふれた楽句の区切りの終止のつけ方、
大きくはより大きい楽想の転換に伴う終止の方法などに見られる。
そういう場合の手段について、
演奏家が前進すれば、きき手もそれについてゆき、
それが、時代の様式というものの創成につながる。
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すなわち、
「楽節」あるいは「フレーズ」というものを捉えて、
その区切り・終始を奏者が意識することで
(具体的には、その様な場所はそのまま進まず、
ちょっとテンポをゆるめたりする!?)
それが、
人にとって「わかりやすい演奏」となるのかもしれません。
♪
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音楽作品の全体をきく、あるいは、きき終わったあとで、
よくわかったという印象を残すに当たっては、
各音楽家それぞれにそれぞれの流儀があり、
決して一律ではないが、しかしまた、
その底には、変らない、ひとつの手段があるのである。
それは、
いまふれた楽句の区切りの終止のつけ方、
大きくはより大きい楽想の転換に伴う終止の方法などに見られる。
そういう場合の手段について、
演奏家が前進すれば、きき手もそれについてゆき、
それが、時代の様式というものの創成につながる。
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すなわち、
「楽節」あるいは「フレーズ」というものを捉えて、
その区切り・終始を奏者が意識することで
(具体的には、その様な場所はそのまま進まず、
ちょっとテンポをゆるめたりする!?)
それが、
人にとって「わかりやすい演奏」となるのかもしれません。
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