音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

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◆テンペストに奇妙な「semplice」

2007年04月18日 | ベートーヴェン Beethoven
前々回の記事にて、
ベートーヴェン最後のピアノソナタ《op.111》の
II楽章における「semplice」の解釈を試みました。
「semplice」という言葉に籠められている
高い境地を垣間見ることができるような・・・


ところで先ほど、
ベートーヴェンの他の作品にて、思いもかけず
「semplice」を見つけることができました。

それは、
中期のピアノソナタの代表格でもあるひとつ、
《ソナタ17番 d-mollニ短調 op.31-2“テンペスト(嵐)”》の
第I楽章、再現部にこれがありました。

この名曲“テンペスト”は、
静寂の大海原を思わせる低音からの和音による
不気味な音楽の始まりが印象的です。
「Largo」という速度表記(あるいは発想標語とも受け取る
ことができるのかもしれません)が、
音楽的なこの部分の雰囲気を示唆しています。

再現部において、
このLargoが冒頭と同じように戻ってまいります。すると、
冒頭の提示部とはいささか変わってきます。



和音が鳴り響きながらの(ベートーヴェンによる長いPedalの指示)
「単旋律のソロ」が浮かび上がってくるのです。

これに似たベートーヴェンの作品があり、それは
あの有名な《交響曲5番“運命”》のI楽章、再現部にて
あの有名な「じゃじゃじゃじゃ~~~ん」に突如として
オーボエOboeのソロ(カデンツ)が割って入るのです。
「孤高のソロ」といえば聞こえはいいかもしれませんが、
その実はもしかすると「孤独のソロ」なのかもしれず・・・
全オーケストラが鳴り響く中、突如として
たった一人のオーボエ奏者が孤独に旋律を吹くさまには
すさまじい緊張感があるものです。



大海原にたった一人の人間の存在はあまりに無力であることを、
我々は時に思い知らされるものです・・・


《ピアノソナタ“テンペスト”》におけるこの部分は、
これに非常に酷似していると言ってよいかもしれません。
まるでオーボエのソロのようだ、と。

そして、
《テンペスト》のこの突如として現れる再現部のソロには
問題の「semplice」の表記があるのです。ところがこれが、
奇妙な言葉を連ねて出てくるのです。



「con espressione e semplice」


情感を籠めて、そして簡素に


・・・単純に言葉尻を捉えるならば、
これはちと矛盾するようでもあります。

「con espressione(情感を籠める)」というのならば、
普通に考えるならば、感情豊かに、もっと言うならば
我々人間の内に秘めたる心(魂)の言葉をもって
というこの指示は、
「semplice(簡素に、素朴に)」
という言葉と相反するようでもあります。


しかし、
世の中、奇妙なもので、相反するふたつの要素が
共存することはいくらでもあるようです。

晴れているのに雨が降る、
愛していながらも憎い、
男性だけれども女性っぽい、
女性だけれども男性っぽい、

・・・・下手な例をごめんなさい。


このような
我々の人間としての実体験とよくよく照らし合わせてみるならば、
この「con espressione e semplice」という感覚は、
もしかしたら他人事ではない、
どこかしら覚えのある、経験したことのあるものかもしれません。


ベートーヴェン《ピアノソナタ“テンペスト”》におけるこの部分は、
我々人間のこのような深い感覚を、
音楽でもって、ピアノという楽器でもって、
音として現してしまうという、
大作曲家ベートーヴェンの見事な音楽家としての力量を
垣間見ることの出来る、非常に面白いところなのかもしれません。

色々な「semplice」があるものなのですね。
他にはどんなのがあるかな・・・探してみよっかな。



追記
上の譜例は、実家にあった古い版を写したものなのですが、
カッコつきの「(una corda)」という注記があるのは
これは、カッコが付いていることから、
ベートーヴェンによる指示ではなく、
校訂者によるものであることが予想されるのですが、
なかなか面白いアイディアだと思わされました。

古い版は、ミスプリや
校訂者独自の解釈が過分に書き込まれことが
時に問題ではありますが、しかし、
アイディアの拝借という意味で活用されるのはいいかなと、
その存在意義を否定する必要はないのかもしれないと、
あらためて考えさせられました。


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