お蔭様で、先日の大倉山記念館における
フルート・ピアノ・デュオ・リサイタルを
終えることができました。ご来場くださいました皆様、
暑い中、傾斜の厳しい坂道をのぼっていらしてくださり、
本当に、どうもありがとうございました。そして、
今回はあまり大きくはない会場ゆえに
券が売り切れてしまいご来場いただけなかった皆様には、
大変申し訳なく、しかし、今後とも色々とがんばって
ゆきますので、ご支援・ご声援のほど、
今後ともよろしくお願いいたします。
というわけで、
ひとつ大きな本番を終えて久々に
テレビをゆっくり見ていました。
俳優、織田裕二氏、

役柄ではなく、生の声と人柄が垣間見られるような放映だったのですが、
言葉の端々に見え隠れする彼の人間は、
俳優としての深みを覗かせる
とても含蓄のあるものに思えたのでした。
●「自分のことはべつに好きではない、でも嫌いでもない」
●「俳優同士のやり取りのが絶妙な人が時にいる、
例えば鹿賀丈史さんとか」
あぁ、
これってクラシック音楽でいうと
「室内楽」のようなものなのかな、なぞと思うのです。
複数の奏者が、言葉なく、空気を察知し暗黙の了解で
ことを進めてゆくのは、アンサンブルのまさに面白いところです。
さらには、
●「時に監督すらついて来れない」こともあるとか!?
少々の爆弾発言ですが、これも有り得る話かなと、思ってしまいます。
●「自分の役柄を見ていて、泣いてしまった・・・
だって、青島(刑事)が死んじゃいそうだったから・・・」
「― でも、あれは織田さんでしょう?」という質問に対して、
●「あれ(青島刑事←役名)は、俺じゃないよ」と言い切る織田氏・・・。
この言葉は、彼がナルシストだという全くその逆の、
俳優として作品と面と向かっているからこその
素直な心の現れではないでしょうか。
以前からよく考えていたことなのですが、
「俳優」と「演奏家」というのは
とても似通った立場にあると思うのです。
ある脚本があり、ある楽譜があり、
俳優や演奏家は、そこを通して
映画なり、ドラマなり、音楽なり、「作品」を創る一役を担う
という意味において、両者はとても近しい間柄なのではないでしょうか。
クラシック音楽を勉強するにあたって、
作品を掘り下げてゆくうちに、
自分が練習しているにも関わらず、その最中に
大きな感動の涙が溢れてくることが時にあります。
これは決して「俺って上手い」なぞと
自己満足に浸っているのでは全くありません。
作品が凄いから、感動し、涙が出てくるのです。
すると、
織田裕二氏が「自分の作品を見ていて涙した」というのは、
なんだかひどく納得してしまう気がするのでした。
この番組では、
SMAPのゲストとしての織田裕二氏の出演だったのですが、

草剛氏、木村拓哉氏、中居正広氏、稲垣吾郎氏、香取慎吾氏、
SMAPのメンバーとのやり取りもまた面白く、
最前線で仕事をする「男たち」のそれぞれの心意気が入り混じり、
個性もそれぞれ、みんな、凄く、かっこいいなと、
素直に思ったのでした。
時期ドラマのシーズン(クルー?というのでしょうか?)の
入れ替わりをにらんでのテレビ局の意図的なものであろうと、
そんなことは関係なく、面白いものは面白い。
テレビ番組の、時に不必要なくらいネガティブで表層的な放映は
見ていて不快感を催すことが無くもないのですが、
それでも偏見にとらわれずに色々な場面を覗いてみれば、
必死になっていいものをつくろうとする人々の熱意を通して
「面白いものは面白い」という事実を目の当たりにするような
気がしたのでした。


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