ドビュッシー作曲《2つのアラベスク》
特に《アラベスク1番》はドビュッシーの作品の中でも、最もポピュラーなものといえましょう。
しかし《アラベスク》について何か書きまとめようと、いざ手をかけ始めると・・・
・・・相当の難しさを覚えます・・・
「アラベスク」という言葉にまつわる様々な関連事項の多さ、そして
この言葉の持つ「芸術の真髄」にまで関わるという芸術観など、
わかりやすく簡単にまとめるのは難かしそう・・・
まずは、
作曲者ドビュッシー自身が「アラベスク」について語っている文章がありますので、
(楽曲《アラベスク》についてではなく、「アラベスク」そのものについて)
そちらをご紹介するのが無難!?かと思い、以下に記します。
読み応えのあるドビュッシーのアラベスク論です。
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しかしながらこの協奏曲は、大バッハの楽譜帳にかつて書きこまれたたくさんのあいだでの、感嘆すべきひとつである。
そこには、あの〈音楽のアラベスク〉、というよりむしろ芸術のあらゆる様態(モード)の根底である〈装飾〉のあの原理が、ほとんど無疵なままで見出せる。(〈装飾〉ということばは、音楽の文法がそれに与えている意味とは、この際なにも関係がない。)
最初期の人たちや、パレストリーナ、ヴィクトリア、オルランド・ディ・ラッソなど・・・・・・は、この聖なる〈アラベスク〉を用いた。彼らはその原理をグレゴリウス聖歌のなかにみつけだし、その儚い組合せ模様を、がっしりした対位法で支えた。
バッハは、ふたたびアラベスクを手にしながら、それをいっそうしなやかな、いっそう流動的なものとした。そしてそれは、この巨匠が美にまもらせていた厳格な規律にもかかわらず、われわれの時代をもなお驚かす常に新たにされるあの自由な幻想とともに、動くことができた。
バッハの音楽においてひとを感動させるのは、旋律の性格ではない。その曲線である。
さらにしばしばまた、多数の線の平行した動きだ。それらの線の出会いが、偶然であるにせよ必然の一致にせよ、感動を誘う。こうした装飾的な構想に、音楽は、公衆が感銘を受け心象をいだくようにはたらきかける機械のごとき確実さをもたらす。
なにか自然でないもの人工的なものがあるかのように、考えないでいただきたい。どこまでもその逆で、楽劇(ドラム・リリック)がたててみせるいじましい人間的な叫びより、もっと〈真実〉なのである。
とりわけ音楽はそこでそのあらゆる高貴さを保ち、〈音楽が大好きだ〉と言われる人たちに特有な感傷癖があれこれもちだす要求にこたえるための妥協や譲歩は、けっしてしない。
もっと誇りをもって、彼らから、たとえ熱愛でないまでも尊敬をかちとる。
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反好事家八分音符氏(ムッシュー・クロッシュ・アンティディレッタント)著
(ドビュッシーのペンネーム)平島正郎 訳
『ドビュッシー音楽論集』岩波文庫より抜粋
このドビュッシー自身の文章が世に発表されたのは1901年だそうです。
ドビュッシー39歳の時。それに対する楽曲《アラベスク》が書かれたのは
若かりし1888年(26歳)の頃と、時期に相違はあるため、一概にこの文章が
楽曲《アラベスク》に適うとはいえないかもしれませんが、若かりし頃を経て
成長する同一人物の脳裏に、その兆しがあったと認めることができるよう、
楽曲《アラベスク》は見事に精細で美しい音楽作品として成功していると思われます。
(このドビュッシーの文章を読むと、なんだかあらゆる音楽がアラベスクに思えるような
気にもなってしまうのですが!)
1890年前後の初期ピアノ作品群が書かれている頃のドビュッシーは、
カフェ等に出入りし、多くの音楽家以外の芸術家・作家達と交流していた時期でした。
「アール・ヌーヴォー」という唐草模様・曲線美を特徴とする美学は、
当時人々を魅了していたそうで、ドビュッシーもまたそれに強く魅かれていたらしく、
そのデザイン性を音楽作品《アラベスク》に見出すことができるでしょう。
《アラベスク1番》の旋律をたどってみると、
冒頭は、両手で交互に奏でられますが、一本の線、
第3~5小節では、よくみると四本の線が入り交じりながら盛り上がってゆき、
(四本の線、すなわちこれを四声の作曲手法とみるならば、これはバッハなどの伝統的な
ポリフォニー・四声体の作曲法の流れにつながる片鱗、ということもできましょうか)
第6小節からのメイン・テーマは、両手一本ずつの計二本の線で音楽が奏でられてゆきます。
これらの「旋律の線」をこそ、音楽の「アラベスク」といって然るべきでしょう。
さらにもうひとつの視点で
ドビュッシーの《アラベスク》について思うことがあります。
アール・ヌーヴォー様式に魅力を覚えていたというドビュッシーと、
こちらで前回ご紹介しました《バラード》に関する記事で扱ったドビュッシー作曲
《カンタータ「選ばれし乙女」》の内容(当時の彼にとってのひとつの理想の女性像!?)
を、合わせて思い廻らせますと、
アール・ヌーヴォーを美術において代表するといわれるアルフォンス・ミュシャAlfons Muchaの
美しい女性像を描いた作品が、このドビュッシーの音楽作品《アラベスク》と
よく似合うよう感じられます。
Yahooにて「mucha」と画像検索した一覧http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=mucha
「女性像とアラベスク模様」
まさにミュシャと若きドビュッシーに共通するところではないでしょうか!?
(チェコの友人からは、Muchaは正しくは「ムハ」と読むよう注意されましたが・・・
フランスで大いに活躍したこの人は、きっと当地ではミュシャと仏語読みされていたことでしょうか)
♪♪♪♪♪♪♪
具体的に楽曲について書いてみますと、
上記しましたように、《アラベスク1番》Andantino con motoは
左右の手で織り成される様々な声部からなる旋律線でもって音楽が出来ているようです。
調性は♯4つの長調で、ホ長調E-Dur。ですが、
この曲も「ドビュッシーらしく」主音・主和音で曲は始まらず、
「ド♯・ミ・ラ」という「サブドミナント」で音楽は開始されます。
「ドビュッシーらしく」と強調してみました理由は、
同じく初期の作品《夢Reverie》においても、同じようにサブドミナント系(あちらでは
[II度の和音]、こちらは[IV度の和音])で開始されていた例がありますので。
中間部の始まりはこの曲では明白で(ダブルバーで区切られています)、
第39小節から始まる「Tempo rubato(un peu moins vite)」となります。
調性も転調されていて♯3つのイ長調A-Durとなっています。
中間部は声部がきれいに整理された四声体で出来ているといえましょう。
ところどころ四音以上の和音が現れる自由さはありますが、弦楽器なら
和音を重音で弾いたり、コーラスならば一つの声部が分割されることもあり、
ゆえに四声体の域を踏み外してはいない、といえましょう。
第71小節からは、再びダブルバーが引かれて調号も♯4つに戻り、再現部。
第89小節から、前回にはない音形に変化して音楽は終わりへと向かい始め、
第99小節からは、テーマを奏でながらのCoda(終結部)になります。
第103小節から、小節毎にオクターブずつ上がってゆき、まるで
天高くアラベスク音型は舞い上がってゆくよう!です。
遠く静かに(pp)、でもはっきりと(三つのテヌート)・・・おしまい。
♪♪♪♪♪♪♪
《アラベスク 2番》Allegretto scherzandoでは、
アラベスク模様を思わせる旋律線は、まずは右手一本に限定されているようです。
左手は主に和音で、右手の旋律を伴奏しています。
右手の旋律が何をしているかというと、
《アラベスク 1番》の長いフレーズとは違って、
ここでは細やかな一拍ずつの速く短い曲線が描かれるようです。
この音型を、バロックやクラシックの装飾音として古くから使われる
「プラルトリル」と見ることも可能かもしれません。
(装飾音の始まりを、拍と合わせて、その後ろで素早く回すやり方は、
古くから伝わる装飾音の伝統的な演奏法。)
細かく動く小さな音をクリアに演奏するのはなかなか難しいですが、
コツとして思われることを書いてみますと、
例えば最初のかたまり「ミ・ファ♯・ミ・ラ」を取り上げ精査してみますと、
ここにはピアノという楽器において苦手な「同音連打」に近い要素があるようです。
すなわち、
最初の音「ミ」と、「ファ♯」を経由して戻ってくる次の音「ミ」が
一瞬の内に同じ音として戻ってくるところに、難しさがあるといえましょうか。
よって、
大事なのは「最初のミ」を弾いた後、鍵盤に指が長く留まらないよう、
「鍵盤からこの指を素早く上げるよう意識」することで、
返ってくる同じ音「ミ」に対処できるようになり、結果この音型をキレイに
弾くことができるかもしれません。(方法が分かったら、
後は練習して体に覚えてもらうしかありません!)
この《アラベスク 2番》は、
なんとドビュッシー自身が演奏してるという録音(ピアノロール)が残されており、
貴重な参考となります。
結構な速いテンポで、前のめりに速くなったり、遅くなったり、
自由自在なルバート奏法を目の当たりにすることとなるでしょう。
(これが「scherzando」という音楽性!?)
もしかすると、
「録音」という緊張を強いられる状況下において
ドビュッシーが「あがっている」ため、奏者の意図以上に速いテンポになったり、
テンポが揺れ、前のめりになってしまっているよう、聴こえなくもないのですが・・・
(ドビュッシー自身は、ピアノの名手ではありますが、ピアノ課中退というコンプレックスも
抱えていたらしく、場合によっては人前でピアノ演奏することを拒否することもあったようです。
例えば晩年自身の練習曲を自分で人前で演奏することはしたくない、と、師であるフォーレに
断っているという手紙が実際にあります)
それにしても、
奏でられる音達・フレーズの絶妙な「ニュアンス」をこの記録から聴き取ることができ、
只者ではない様子が伺えるでしょう。
(偽者でないことを願います!)
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