音楽家ピアニスト瀬川玄「ひたすら音楽」

クラシック音楽の伝統を受け継ぐ真の音楽芸術家を目指して活動しています

◆音楽における「やりたい事」と「技術」について

2011年02月27日 | ◆一言◆
音楽における「やりたい事」と「技術」について、
ちょっと考えてみます。


奏者に、音楽を通して「やりたい事」がある場合、
ただ残念ながら「やりたい」という「思い」だけでは、
それを実現することは出来ないでしょう・・・

まずは、
音楽するにあたっては、なにがしかの「楽器」が必要で
(楽器は必要ないのでは!?とされる「歌」においても
実際には「自らの体を楽器としている」といえましょう)
そして、
それらの楽器を扱うにあたっては
それぞれに特有の「技術」というものが必要でしょう。

楽器によっては、幼少の頃よりその楽器を
扱い親しむことが重要なものもあるでしょうし
(きっと特に弦楽器の人達)
その楽器の技術の修得には、
並々ならぬ時間と労力が必要とされましょう。


というわけで、
音楽するにあたって不可欠な「技術」を手に入れることは一大事であり、
そこに対する多大な意識の配分が必要となるでしょう。


「やりたい事」があったら、ここでようやく
手に入れた「技術」を通して、初めて実現できるというわけです。


しかしそこで、ふと考えられました。


もしも
「やりたい事」が無い・明確でないのに
「技術」だけは修得できているような場合があるとすれば!?


これまた、
「やりたい事がある」のに「技術が無い」のと同様、
「技術がある」のに「やりたい事が無い」
というのは、
音楽演奏として、どちらも不完全なものと
言わざるを得ないでしょうか・・・


ここであらたに問題となるのは、
では、音楽における「やりたい事」とは何であろうか!?
ということ。

個々人の個性・感情・意思によるところも多分にあるでしょうし、
音楽に限らず、あらゆる人生経験を積むことで
「音楽を通してやりたい事」が広く・深まってゆくかもしれません。
(しかし「経験」については「ちょっと注意すべきかな・・・!?」と思うこともあり、
人生経験が進むことによる「慣れ」により「新鮮味」を失い、その結果
魅力を損なうということもあるのかも・・・ちょっと
心しておいたほうがよいのかもしれません)

あるいはちょっと突き詰めて考えると、
音楽において「やりたい」のみならぬ「やるべき事」というのが
少なからず存在するのではないかと、
音楽研究を進める今の私には思えたりもします。

よい音楽をするのに「必要な事・必要な知識」、
それを「やりたい」という意思は、
単なる感情論ではない「音楽そのもの」の「よりよさ」を求める
ひとつの大切な姿勢のようにも思われます。



いずれにしろ大切なのは、
「やりたい事」と「技術」、
「どちらがより重要か」ということではおそらくなく、
「どちらも重要」と考えるのが良いのではないでしょうか。



なんだか、
当たり前のことをつらつらと書き連ねている気もしますが・・・
されど、
「当たり前」と思われる事象であっても、
それはおろそかにされるべきものではないかもしれず、
やはりしっかりと、言葉にしてみる価値は少なからずあるであろうと信じて、
この記事をアップしてみます。











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