・・・今日の昼間のジストニア改善練習は、失敗でした・・・実は昨日、手の症状を誘発している原因のひとつ!?と思われる自分の癖を発見しました。それは「指を鳴らす」行為(指パッチン?)。これが、指の動きを悪化させることを助長しているのでは!?と、強く実感されたのです!
「指を鳴らす」とは、多分普通は親指と中指を強く押し付け合い、瞬時に中指を掌に当てて音を出す行動と思われます。これが自分のピアノ演奏には・・・多大な悪影響を及ぼしている!? 「中指と親指を押し付け合う」これ、硬直を指に覚えさせる行為・・・(他の指も硬直する!)不必要な硬直は害です
私が「指を鳴らす」のは、右手だけ。左手は下手くそ!?でうまく鳴らせません・・・しかし左手には演奏に際しての不都合を感じずに過ごせています。指を鳴らすのが上手な右手(利き手)は・・・ジストニアと思われる症状を発しています・・・「指を鳴らす」行為は、ピアノを弾く人はしない方がいい!?
しかし・・・今日の練習では「指鳴らし」が症状を誘発しているであろうことを念頭に、ゆえに患部である中指を意識して練習を進めていたのでしょうが、ジストニアの症状は悪化しました・・・「患部を意識し過ぎ」ては断じていけない!?のが、また分かった気がします・・・
しかし夜になっての練習では、昼間とは違い、夏を通して研究開発してきた練習法(忍指法、と名付けようと思っています)を使って、改良を試みつつ弾いていたら、今までになく速いスビードで!普通の指使いで弾ける手応えがありました!この練習法は、
夏を通して研究開発してきた練習法、これは端的に言うと「患部ではない周囲の指に意識を配る」やり方です。ゆえに、今日の昼間にしていた「患部を意識する練習」とは反対。そして調子が良くなった。ジストニアの解消を目指して、研究を進めていきたいです。
ベートーヴェン自他共に認める傑作《熱情ソナタ》において、I楽章、四分音符か付点四分音符か、作者が詳細に渡って書き分けている、その理由が見えた気がしました。それは不協和音の効果の濃淡のよう。音が長いと、それだけ不協和音が長くなり、人の心を大きく響かせるのかも。天才の計画に脱帽
また《熱情ソナタ》I楽章においては、トリルに前打音が「あるか・ないか」が細かく書き分けられているのですが(奏者はこれを知らねばならない!)、その理由も、不協和音の造りに関係しているよう、思えてきました。「キツい不協和音」が現れるよう計画されているようです(逆も少々)
「やり尽くす」時に、人は自信が得られる? 全てをやり尽くすことは不可能なので、ある目標を設定し、それを事実やり尽くすことは、可能。人間としての力を得るための、一つの方法!?
目標を設定したなら「やり尽くすこと」は不可能ではないなら、人は何かをやり尽くすことができ、その達成感を味わうことができる。そこに向けての意欲は、目標を達成するための力の源となるでしょう。目標が達成できたなら、次なる目標を立てて、また挑む。一生充実!?
達成可能な目標を設定する、それを積み重ねてゆく。(なるべく無駄な目標には向かわず!?有意義な目標を設定したいものです) 達成感・経験値・そして自信が得られるでしょうか。こんなことを考えるのは初めてです・・・(某スポーツ番組を見ながら)
スポーツといえば!今日は日本の歴史を塗り替える偉業が達成されました!テニスの錦織選手が、グランドスラムで決勝戦進出! 日本初だそうで、なんだか嬉しくなってしまいました。おめでとうございます、と、決勝戦の検討を祈ります!心踊るニュースでした。またテニスやろうかな。
錦織選手は、最近になってマイケル・チャン・コーチを迎え、詳細に渡るテニスの修正を課せられ、それをこなして来たとのこと・・・その結果が早くも現れたのは素晴らしいこと! 自分も見倣って、詳細に渡る音楽造りを目指してみたく思います♪
細かく、しかし全体も見えつつ。これも色即是空空即是色で中道、か? ミクロコスモとマクロコスモが、対極にいながら、拡がって、器が広くなるよう!?
偉大な作曲家の書いた作品には、詳細に渡るミクロコスモ的指示と、音楽作品の全体を有意義に形作るマクロコスモが、共存している!? 偉大な作品においては、両者は不可分!?
私は、相変わらず、暗譜を義務とするクラシック音楽の勉強方法に異議を唱えたく思います。それは、楽譜を詳細に渡って勉強する機会を人から奪うものと思われるのです。楽譜の詳細・ミクロコスモが広がらなければ、マクロコスモ的・演奏全体がもたらす力も伸びないかもしれないから・・・
プロのピアニスト達が、徐々に独奏演奏会においても楽譜を見ながら演奏することが多くなってきたようです。暗譜に対する懐疑的な考え方が世界に拡がってきた証拠でしょうか。
しかし!だからと言って暗譜を完全否定するつもりもありません。暗譜演奏でありながらも、楽譜を詳細に渡って勉強する意識が充満していたなら、それはきっと、面白い演奏となるであろうことが予想されます。しかもユニークな魅力も発揮されやすいなら、演奏芸術としての力は多大になる!?
暗譜演奏にしろ、楽譜を見ながらの演奏にしろ、天才作曲家の書き記した全ての音楽性を成功させることは、至難の業でしょう・・・ 人はせめて、その可能な限りのパーフェクトを目指して懸命に行動する、この時、尊さが現れ、大きな魅力となるのかも?
「パーフェクトが現れることは無い」とは言い切れないと思います。奇跡のように!パーフェクトが現れることが、きっとあると思われます。(実は皆それに近いことを経験しているのでは?)パーフェクトを諦めてはいけない、ということでしょうか