原爆ドームの後は、
平和記念資料館へ。
ここは小学校の修学旅行で一度訪れているのだけど、
ほとんど記憶がなかった。
原爆は、長さ3メートル、重さ4トン。
約50キログラムのウランが詰められていたとされるが、
そのうちの1キログラムにも満たないものが瞬間的に核分裂し、
高性能爆薬1万6千トン分に相当するエネルギーを放出した。
この瞬間、強烈な熱線と放射線を放射し、
周囲の空気は膨張して超高圧の爆風となった。
爆心地から2キロメートル以内にあったほとんどの建物を破壊し、焼き尽くし、
1945年12月末までに約14万人の尊い命が失われた。
展示から、爆心から半径1キロ以内で被爆した人には
建物疎開作業
※ に動員された学生が多かったことが分かった。
※ 空襲による火災の延焼を防ぐため、建物を破壊して防火帯を作ること
全身に火傷を負いながらも自宅に帰り着いた人は少なくなかったが、
ほぼ全員がその日のうちまたは翌日に亡くなっている。
重度の火傷だけではなく、内臓まで放射能の影響を受けていたためだ。
前夜に発令された空襲警報が明け方に解除され、
いつもと変わらない一日が始まろうとしていた朝
運命が動いた。
資料館の展示が始まってすぐのところにある
ただれた皮膚をぶらさげたまま逃げまどう親子の人形が衝撃的で、
資料はすべて生身の人間の声として頭と心に訴えてきた。
半分も行かないところで、
先ほどの酔いがぶりかえしてきて立っていられなくなった。
展示をすべて見られなかったのは心残りだったけど
人いきれで息苦しくて外に出た。
ちょうど沖縄戦を題材にしたノンフィクション小説を読んでいるオットには
私以上にこの時代の過酷さが感じられたらしく、
二人でしばし黙り込み、その後語り合った。
日本軍はたしかに残虐な行為を行ったけれど、
これほどの性能の新兵器を使う必要があったのか
それによって後々まで苦しんだのは無辜の市民だけではないのか。
使う爆弾は違えど、
今中東で行われている空爆はこれと何が違うのか。
無差別に殺すことに何の意味があるのか。
原爆死没者慰霊碑に
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
と彫り、誓ったはずの国民が、
集団的自衛権の行使容認に向けて押し流されようとしている。
戦争を放棄した憲法第9条がねじまげられようとしている。
無関心は最大の悪だと、みんな早く気づいて。
*

レンタカーをとめた駐車場の目の前が、爆心地の島病院だった。