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モモ、ウマにのる

クルマにものる

埼玉へ

2016-01-04 21:40:00 | 
5時前に起き、朝8時のファミリー車両で帰る。
行きは赤ちゃんが多かったけど帰りは大きめのお子さまが多く
車内は大変な騒ぎでスモモ眠れず。
品川に着いてあと数分というときにようやく寝てくれて
私もうとうと(オットはずっと前からぐうぐう)。

最寄り駅に着いたのがお昼の12時だったので
ブックオフや書店をはしごしながら遠回りして帰る。
午後も車で買い出しに出て、
早起きは一日が長くていいねー! なんて言っていると
日が暮れてから年末年始の疲れが一気に出てへろへろに…

冬休みって短いのね…

宮島行

2015-02-15 12:00:00 | 
2日目は5時半起きで朝風呂に入り、
7時からお腹いっぱい朝食をいただいて、
フェリーで宮島へ!

朝早かったので
フェリーターミナルの目の前の駐車場(1日千円)にとめられてラッキーだった。

航行中の景色を楽しむためデッキに出たはいいが
海風が思った以上に寒く、
そういえば今日は一日外を歩き回るんだ、今から冷えている場合ではない
と思い出して客室内に避難した。

しかしこのフェリー、10分で到着する。
そうこうしているうちに


厳島神社が見えてきて



到着~


*



鹿さんがお出迎え。

この子はじっと動かないのでポーズを取ってくれているのかと思ったけど
ちょうど日が当たって暖かいので日光浴を楽しんでいたのかもしれない。
じゃましてごめんね。

奈良の鹿より小柄な印象。
鹿せんべいのような鹿のおやつを売っていないので
人間に寄ってくることもなく、クールな鹿さんたち。

ちょうど団体さんが集合写真を撮っていた。
置物みたいに鹿が一緒に写っていたので感心していると


あっ、手なずけられてる~
いい仕事見つけたね!

弥山ハイキング

2015-02-15 10:00:00 | 
宮島の霊峰・弥山(みせん)には絶対登りたかったのだけど、
「今の体調じゃ無理だよ」
とオットに言われてあきらめかけていた。

だけどやっぱり登りたい!

登山は無理でも、ロープウェーに乗って行っちゃう!


厳島神社の参拝が終わってもまだ9時過ぎだったので、
午後の予定を早めて午前中に弥山へ向かった。
ロープウェーまでの道のりがすでに険しくて心が折れかけたけど、
じつは裏から回ってしまっていたからで
普通の観光ルートを歩けば無料送迎バスがあったらしい!


  
空いていたのでゴンドラを貸し切り。



巨岩や奇岩の点在する弥山。



(こんな岩をクライミングするわけではない)

登山道は階段が整備されている。
普段のモモフウフだったら
なんだ坂こんな坂
と へいちゃらで進んで行けるはずの道のりが
妊娠6か月の体には堪え、
ちょっと歩いては休み、また歩いては休み、の繰り返し。
もんのすごく体力のない人みたいでカッコ悪かった~

でも楽しかった!
歩くの大好き。



途中、ゆうべコンビニで思いついて買っておいたマドレーヌを食べ、
ときどきダースチョコを食べながら
一歩一歩慎重に歩いた。



着いたー!
向こうに見えるのは山頂の展望台。(2013年にリニューアルされたとか)

お弁当を広げている人たちを見て
「ここでおにぎり食べるのもよかったね」
と、なぜ思いつかなかったのか悔やんだモモフウフ。
ちょうどお昼時だよ…

でも、お昼は参道のお店であなごめしと決めていたからね。
朝食のエネルギーも残っていたし、元気を振り絞って下山。



美しい。



舟岩。


ほかにもいろいろ名前のついた岩があったはずなのだけど、
説明版がないので気づかず通り過ぎてしまったもの多数。
清々しい空気を満喫したからいいのだ。

飛行機でお腹ぱんぱん

2015-02-14 12:00:00 | 
オットの有給を利用して、2泊3日で広島旅行に出た。

11時半の飛行機でゆっくり出発だったので、
9時前に家を出て羽田に向かう。

飛行機では… えらい目に遭った!

予約時にクラスJ
(千円プラスでアップグレードできるJALのちょっと広い席)
が取れなかったので
チェックイン時に改めて聞いてみると、
3人席の真ん中なら前後で取れる
と言われ、オットと離ればなれで座ることに。


そしたらね…

着陸に備えてシートベルト着用のサインが点灯した辺りから
体調がおかしくなり、
息も絶え絶え、脂汗!

酔ったぁーーー


隣にオットがいない
両側を知らない人に挟まれている
という状況が拍車をかけ、
どうしようどうしよう
ここでゲーしたらどうしよう
あと少し持ってくれ!
いやもう無理かも…
出る!
上から出るうーー

と、心の中で大騒ぎ。


着陸直前、
もうだめかもと思った瞬間
げっぷが2回出て(キタナくてすみません)
嘘みたいに楽になった。

お腹に羊水が入っていると、気圧の影響を受けやすいのかなぁ。
もう飛行機やだ
って思うくらいつらい体験だった。
帰りは絶対にオットの隣に座ることに決めた。


*


そんな試練を乗り越えて広島に到着。
レンタカーを借りて、いざ市内へ!

原爆ドーム

2015-02-14 10:00:00 | 
長田屋から歩いてすぐの、原爆ドーム



現在は経年劣化の調査のため、足場が組まれていた。



まわりには、瓦礫が今も。


*


被爆して表面がぶつぶつになった瓦が展示されていたので
手で触れてみていると、
学生ボランティアらしき男の子が話しかけてくれた。

「原爆が実際に光った時間って、1.4秒しかないんです。
 その1.4秒で、これだけの被害が出たんです」

「この原爆ドームは爆心のほぼ真下に位置していたんですが、
 真下だったがゆえに屋根が破壊されて、建物自体はそのまま残ったんです」

「川が沸騰したっていう言い伝えが残ってるんですが、
 近年の研究で
 1.4秒の照射では沸騰はしなかっただろうということが分かってきています」

「今見えてる駐車場のすぐ横が爆心地の島病院です。
 当時島医師は出張手術に出ていて
 ご家族も外出していて無事だったんですが、
 働いていた職員と入院患者は全員亡くなったそうです。
 同じ場所で医院を建て直して再開するっていうのは大変なことだったと思います。
 たくさん亡くなっているわけですし。
 それでも建て直されて、現在はお孫さんが院長をされています」

手作りのファイルをめくりながら熱心に説明してくれて、
こうやって地道に伝えていくことが大事なんだなと感じた。
旅行者に、若い世代に、どんどんつなげていってほしい。

平和記念資料館と爆心地

2015-02-14 09:00:00 | 
原爆ドームの後は、平和記念資料館へ。

ここは小学校の修学旅行で一度訪れているのだけど、
ほとんど記憶がなかった。


原爆は、長さ3メートル、重さ4トン。
約50キログラムのウランが詰められていたとされるが、
そのうちの1キログラムにも満たないものが瞬間的に核分裂し、
高性能爆薬1万6千トン分に相当するエネルギーを放出した。
この瞬間、強烈な熱線と放射線を放射し、
周囲の空気は膨張して超高圧の爆風となった。
爆心地から2キロメートル以内にあったほとんどの建物を破壊し、焼き尽くし、
1945年12月末までに約14万人の尊い命が失われた。


展示から、爆心から半径1キロ以内で被爆した人には
建物疎開作業 に動員された学生が多かったことが分かった。

空襲による火災の延焼を防ぐため、建物を破壊して防火帯を作ること

全身に火傷を負いながらも自宅に帰り着いた人は少なくなかったが、
ほぼ全員がその日のうちまたは翌日に亡くなっている。
重度の火傷だけではなく、内臓まで放射能の影響を受けていたためだ。

前夜に発令された空襲警報が明け方に解除され、
いつもと変わらない一日が始まろうとしていた朝
運命が動いた。
資料館の展示が始まってすぐのところにある
ただれた皮膚をぶらさげたまま逃げまどう親子の人形が衝撃的で、
資料はすべて生身の人間の声として頭と心に訴えてきた。

半分も行かないところで、
先ほどの酔いがぶりかえしてきて立っていられなくなった。
展示をすべて見られなかったのは心残りだったけど
人いきれで息苦しくて外に出た。

ちょうど沖縄戦を題材にしたノンフィクション小説を読んでいるオットには
私以上にこの時代の過酷さが感じられたらしく、
二人でしばし黙り込み、その後語り合った。


日本軍はたしかに残虐な行為を行ったけれど、
これほどの性能の新兵器を使う必要があったのか
それによって後々まで苦しんだのは無辜の市民だけではないのか。

使う爆弾は違えど、
今中東で行われている空爆はこれと何が違うのか。
無差別に殺すことに何の意味があるのか。

原爆死没者慰霊碑に
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
と彫り、誓ったはずの国民が、
集団的自衛権の行使容認に向けて押し流されようとしている。
戦争を放棄した憲法第9条がねじまげられようとしている。
無関心は最大の悪だと、みんな早く気づいて。


*



レンタカーをとめた駐車場の目の前が、爆心地の島病院だった。

唐津シーサイドホテル

2014-08-21 07:00:00 | 
最後の晩は奮発して(モモ家にしては)ちょっといいホテル。
プールがついていて
水着専用のエレベータがあったりして、リゾート気分。
オットはプールサイドで日焼けするつもりで
海水パンツを持参していたのだけど、
ホテルに着いたのが夕方で気温も低めだったので、プールには入らなかった。



部屋もよかった。



オーシャンビューじゃないはずだったのだけど、
部屋が廊下のつきあたりで、バルコニーから海が見えた。
とんび(?)とからすの交流を撮影したのはこの砂浜。

右手に見えるのが日本三大松原の一つ「虹の松原」。
翌日にこの近くで女性の遺体が発見されてぞぞぞぞぞ



佐賀県のホテルだけあって、客室のお茶セットが白山陶器だった。
急須でドリップコーヒー。

この立筋が素敵なだけじゃなくて飲みやすく、
欲しーーっ! と思った。
だけどうち、お湯呑みだけで20個以上あるんだよな…(OBQ調べ)


*


夕食は、オットお待ちかね、プールサイドでバーベキュー。
(食べ放題・飲み放題)
事前に胃腸薬を飲んで準備万端のオット、満喫した様子だった。
よかったねー

ゆいレール

2014-01-20 09:00:00 | 
小学校の社会の授業で、
「沖縄の地図を見て、何か気づいたことはありませんか?」
と先生が聞いた。
「線路がない~!」
誰かが言うと、
「そうです。沖縄にはー、電車が走っていません」
と習ったことを覚えている。



今は、モノレールが走っていた。
2003年開業だそう。



なぜか背もたれがとても小さいのが気になった。



一日乗車券を買ったので、何度めかに先頭の席に座れた。
(先頭といっても2両編成)



高低差がかなりある。よく線路通したなぁ。



車窓から見ていると、屋上やベランダに木がもりもり植えられているお宅が多かった。



ホームにあった警告ポスター。



分かりません。

関西の言葉を文字にすると読みにくいと言われたことがあるけど、
それと同じで私たちが見慣れないから外国語みたいに感じるだけで
沖縄の人ならこのちっちゃな「ぅ」とか「ぇ」とか「ゃ」とかが頻出する
沖縄ことばが文字になってもすんなり頭に入るのだろうか…


ちゃーすか!