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モモ、ウマにのる

クルマにものる

度津神社(新潟)

2013-10-19 10:00:00 | 甲信越の寺社/ご朱印
佐渡国一宮・度津(わたつ)神社にお詣り。




旅のメインが競馬観戦なのでEOSしか持って行かなかった。
一応35ミリレンズを持って行ったのだけど
銀塩レンズをデジタルカメラにつけると
倍率が1.6倍、56ミリ相当になってしまい、とても困った。
なにしろ、撮りたいものが収まらない!



拝殿の奥に、山と一体化するかのように
立派な本殿が控えているのを撮りたかったのに、
何が何だか分からない写真に…



社務所の玄関前には、現役と思われる唐傘がかかっていた。

大きな額縁にお守りがディスプレイされていたのだけど、
後ろに穴が開いているらしく
迷い込んだカメムシやカエル(!)がひからびてミイラになっていた…






脇が抜け道になっているのか、
けっこうなスピードで車が通りすぎていた。

目洗い地蔵

2013-10-19 08:00:00 | 甲信越の寺社/ご朱印
佐渡の目的は度津神社だけだったため
「あとは島一周ドライブでもするー?」
なんて言っていたけれど。
案内パンフレットを見ると佐渡島は東京23区より大きいことが判明、
帰りのフェリーまでの5時間で一周するのは不可能なので
地図で見つけた「目洗い地蔵」に行ってみることにした。
(無計画)

観光スポットではないのでなかなか見つけられず、
あきらめて引き返す途中で見つけた。



『山椒大夫』で有名な厨子王が
盲目の母・安寿の目を開かせたという伝説が残る。

厨子王が生き別れになった母と再会し、
互いの達者を喜んだ「達者海岸」が近くにある。



オットの家系は目が弱いみたいなので
みんなのことをお祈りした。



かつて目を洗えた?

横にお堂らしき建物があったのだけど(網戸越しにお地蔵さんが見えた)
一見普通の民家にも見えるので
勝手に入っていいか分からず遠慮した。
その横の扉の奥からはおばあちゃんらしき人が入浴している音が聞こえていて、
それもその名水を使って誰でも入浴できる施設なのか?
本当にそのおばあちゃんのおうちなのかが分からなかった。
うーむ

宝徳山稲荷大社(新潟)

2012-10-14 10:22:55 | 甲信越の寺社/ご朱印
神無月は神さまがいらっしゃらないから神社にお詣りするのはやめよう
と言っていたのだけど
(去年の神無月は久伊豆神社鷲神社吉原神社玉敷神社大國魂神社
 そして榛名神社に参拝してしまったのだった)、
中盛館の近くの宝徳山稲荷大社には、神無月、
神々が出雲大社に行く途中に集まると知り、朝からお詣りすることに。






神社の歴史は縄文時代(!)に遡るのだそうだけど、
建物はできたてのピカピカだった。



ここまで整然と並んだ幟は初めて見た!


  
コワモテのキツネさん。ちびギツネさん、しっかり!



階段を上ったところにある どデカイ拝殿。



拝殿の中には どデカイ提灯が2つ。
朝早いのに地元(?)の信者の方々がたくさん集まっておられたので、
モモフウフは中に入らず扉の外で参拝した。



渡り廊下。

宿舎のようになっているところが天理教の信者詰所を思わせ、一種異様な雰囲気だった。

弥彦神社(新潟)

2012-05-12 13:50:44 | 甲信越の寺社/ご朱印
レースに負けて拍子抜けしたとき まだ11時にもなっていなかったので、
オットが新潟に住んでいた頃よく(?)大鳥居を通っていたという
弥彦(いやひこ)神社にお詣りに行った。



新潟市内から向かうと、大鳥居を通る前に神社に着いてしまった。



鳥居をくぐってすぐ右にあった神馬舎。
今まで拝見した中で、いちばん神々しいご神馬なのでは!?



縦位置で撮ると右に傾く癖があるらしいわたくし。む、無念…






杉の枝が、一方にしか伸びていないのはなぜだろう。


  
なかなかに迫力のある狛犬さんだった。
苔がいい。



拝殿。






随神門にはやはりお武家さん …と見受けられたけれど、
御祭神は天照大御神の御曾孫 天香山命(アマノカゴヤマノミコト)だし
創建は1,300年以上前だそうだから、お武家さんであるはずはないか。



新潟に来て東京スカイツリーの文字を見ようとは思わなかった。
「どうする、乗ってみる?」
と言葉を交わすこともなく素通り…


モモフウフのような個人観光客(?)は、地元経済に貢献していないなと思った。
神社の前に数軒あったみやげ物屋。
こういうところに、入ったためしがない。
私たちのすぐ後に大型バスでやって来た団体客は
少なくともちらりとは覗くだろうし、
地元の人たちはああいう客に来てほしいのかなぁ。


*



弥彦神社から三条燕インターに向かう途中、大鳥居に遭遇。
高さ30メートルで「日本一の大鳥居」と聞いていたけれど、
じつはもっと高い鳥居もあるらしい。



裏側に掛かっている社号の額は畳12枚分(3.5×5.5メートル)あるそう。
このことをどれだけ主張してもオットに信じてもらえなかった。

遠くにある物の大きさは、分かりにくいね。
車両用信号機のレンズが30センチあると聞いても、いまだに信じられないし…

新倉富士浅間神社(山梨)

2011-09-28 15:52:43 | 甲信越の寺社/ご朱印
山中湖畔のホテルへ向かう途中、
新倉(あらくら)富士浅間神社にお詣りした。



さわやかな秋の空気が好きだ。





屋根の下に鬼の顔がついていた。
このあたりの神社は鬼を祭っているところが少なくないそう。



境内から富士を一望。



「富士山眺望日本一」の一文に矜持が感じられていいなと思った。


*



境内では常葉菊川高校の野球部員たちがトレーニングをしていた。
近所の神社に来ているのかと思ったら、菊川市ってけっこう遠い!
マイクロバスもあったから、わざわざ来たのか?
平日なのに。



400段あるという階段を往復ダッシュする部員たち。
若いってすばらしい…

一人一人が「こんちはっ」と挨拶してくれた。
ちゃんと立ち止まって目を見て、いまどき珍しい。



階段の上には五重塔があった。

新屋山神社(山梨)

2011-08-21 15:51:12 | 甲信越の寺社/ご朱印
本日最後の目的地は、新屋山神社。



関東ドライブ(ガイドブック)で
富士浅間神社と同じ「パワースポット」特集で紹介してあったのに、
宝来宝来神社と同じにおいがした。



手水舎には、
中国屋(かっぱ橋にある風水グッズ屋)で売っているような
龍、鶴、亀などが、ごっちゃごちゃに飾ってあった。



(写真が傾いていてごめんなさい)

拝殿では神職のおっちゃん(という風体)がバーンと待ち構えていて、
「上がってお詣りしていいですよ。初めて? じゃあ教えますから」
と手招きされて、一人ずつ小難しいお詣り。

その間ずっと後ろでしゃべっている人がいて
無礼な参拝客もいたもんだと思っていたら
おっちゃんの奥さんとおぼしき人と近所の人だった。



ご朱印は、その女性が押してくれた。

おっちゃんと 大声で近所の人の噂話? をしながら。


帰り道、
今日の最後をしめくくるにふさわしい神社だったのか
オットと話し合った。

諏訪神社(山梨)

2011-08-21 13:10:34 | 甲信越の寺社/ご朱印
北口本宮富士浅間神社の境内に鎮座する諏訪神社。



御神輿らしきものが祭られていた。




数日後の「吉田の火祭り」に向けて、氏子さんたちが準備をしていた。



私が諏訪神社にお詣りしている間、
夫婦杉にじっとお祈りしていたオット。

まっ、どうせ夫婦のことじゃなくて
馬のことをお祈りしたのだろうけど。

富士浅間神社(山梨)

2011-08-21 12:49:48 | 甲信越の寺社/ご朱印
昼食後、北口本宮富士浅間神社にお詣り。



降り出した雨で荘厳さを増した鳥居と鎮守の森。


駐車しながら
「あっ、もっと上にも駐車場あるみたいだよ」
と言うとツマを
「お詣りなんだからこれぐらい歩きなさいよ」
と諭すオット。
はい。

駐車場からも道があったけれど
「ちゃんと鳥居から入らないと」
と言われて遠回り。

夏にどこまでも歩くオットは、冬の出不精オットと同一人物とは思えない。






迫力の手水舎。



ご神馬。
たてがみがりっぱ。

うちの子たちをよろしくお願いします。




社務所(?拝殿の中にあった)では
富士登山に使う杖を売っていた。
登頂は無理でも、いつか途中までトレッキングしてみたいと思った。

武田神社(山梨)

2011-08-21 10:00:02 | 甲信越の寺社/ご朱印
北海道に行く(安い)航空券を取れなかったので、
夏休み前半はぎん太2号で西へドラーイブ!

昨日の法事の後 浅草に泊まった。父に朝
「高速で行ったら速いのに… 混むよ」
と言われたけど、行けるところまで下道で。

オットが国立、私が西荻窪に住んでいた頃 クラウンとオメガでよく通った甲州街道。
今は私がぎん太2号で走っているという喜び。
懐かしい道。


*


最初の目的地は
富士山の北登山口にある富士浅間神社だったのだけど、
八王子から乗った高速がまったく混んでいなくて
躑躅ヶ崎館跡にある武田神社にも行けそうだったので、ルート変更。



胸板すごいっスね!



手水舎の石が武田菱。

家紋の中で武田菱が一番カッコイイと思う、信玄好きのモモフウフ。






下の印は信玄公が文書に押していたものなのだとか…
ほ、ほんまに!?

押してくださった方に尋ねたら
「まぁ、そう伝わってますけどねぇ」
と、そこはあんまりつっこまないでオーラが。

本物だったら宝物殿にあるか…




宝物殿には風林火山の本物の旗があった!

4メートル近い大きさで、ど迫力。
文字は消えかかっていたけれど、
遠くにこの旗が見えたとき
敵方はさぞかし恐ろしかったろうなぁ
と思った。

私も、しばらく動けなかった。


横には上杉謙信が使っていた「毘」の旗もあった。

旗や旗印は、そのものに力があるわけではなくて、
それを用いている武将の実力という裏付けがあるからこそ、
見る者を縮み上がらせたのだ。

この旗を見られただけでも、お詣りに来た甲斐があったと思った。


オマケ

戦時中 太宰は甲府にいたのだったなぁ。
その地に立ってみて初めて実感。