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深津絵里舞台「春琴」@世田谷パブリックシアター

2008-03-03 22:51:47 | ライブ
どうしても深津絵里の舞台が観たく同志と関西を脱出し上京する
行きの新幹線の中で原作・谷崎潤一郎の「春琴抄」を読みきり当日の観劇に挑む
文学少女でもない私にとって、谷崎潤一郎は所詮文学史において暗記した人であって耽美派ということはわかっていても、
その語意や文学をわかってはいなかった、哀れな限り、恥じる。
試験のための勉強であって中身がわかっていなければ全く意味がない
本当は舞台に向けて谷崎潤一郎を読みあさりたかったが前日に当作を読んでいるくらいなので教養の深さこそなかれ
感想を記したいと思う、以下ネタバレ注意



舞台は原作に忠実で
原文そのままの台詞、プロジェクターで映しているくだりもあり、
物語の展開もそのままであるが
少々、凡人にはわかるまい性癖であるので
これから観劇予定の方は、前もって読んでおいた方がよかろう
原作とは違う視点・・・というよりはストーリーテラーを3人に分散させたことで
より流れがはっきりとしているものの、
そのうちのひとり、NHKでナレーションの仕事という設定のおばさんは余計な気がしたのは私だけであろう乎。
それはまさに語り部としての役目だけでよかったはず
盲目となった佐助の、最後に見たお師匠様の面影を映し出す演出や、
三味線にもふすまにも押入れにもなる棒使いはまさに芸術
無駄のない日本の所作を師弟の規律をも感じる
これぞ舞台と言い張れる芸術中の芸術だ
春琴の幼少時代を深津絵里はどう演じるのかと思えば、
なんと人形を使ったではないか
そして、声は舞台「農業少女」のときのような声で、
深津絵里ともうひとりの女性とが黒子となって人形につきそっているのだ
はじめは人形浄瑠璃でも始まったのかと思ったが
人形の仕草が見事であった
たとえば幼少の女子がするような髪をさわる仕草なんぞは
深津絵里の妖艶な魅力も重なり
春琴の盲目ゆえの魅力とやらに誘われてしまうかもと思ってしまったではないか
幼子の学校ごっこを超えた師弟関係の春琴の罵倒は
迫力があり、攻めまくる。
そしてそこに食いつく佐助には背筋が凍る
佐助を抱く春琴の指使いには息を呑む
深津絵里の白くしなやかでやわらかそうな指はまさに春琴ではないのか
深津絵里でしか表現できえぬ芝居であった
舞台ではさらりと流されたはじめて習いに来た女子は原作でいう芸者の下地ッ子であろうか
その女子を追い払ったあと、佐助を傷めつけるシーンは圧巻。
何度も何度も春琴に足蹴りされ、これでもかこれでもかと。
その佐助はまるでバターになった虎のようになりぐるぐるぐるぐると、
いや、これは観た者でしかわからないシーンだ
春琴の佐助を困らせるようなわがままな食事の仕方の流れも印象的
利太郎が春琴に額をケガさされてしまうシーンでの血が吹き出る演出は
陳腐であったが、
全体を通しての鶯の表現や紙の使い方、脳裏の春琴の残像は芸術であった
クライマックスは利太郎による危害により春琴の失った美貌を見まいとする
佐助の自らの盲目への世界だろう。
原作よりいくぶんあっさりしていたものの、
これ以上のマゾヒズムは私には重すぎる
しかしながら、気高い春琴が自慢の美貌を失い弱気になるが、
佐助の性癖としてその関係を崩すまいとして変わらず丁稚でいようとする
その妙な心理の奥ゆかしさがいまいちだった印象は拭えない
それを思うともっとわがままな商屋のお嬢さんぶりを見せてもよかったとも思う
周囲には「佐助どん」と呼ばせるところも春琴の高圧ぶりをみせる要素か
もしドラマなら30分は引っ張るであろうシーンをさらりを成したのはなぜ乎
いや、そこに目的を置く時点で私も妙な性癖なのだろうか




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