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たまには社会派、ケータイ論

2008-12-10 00:33:05 | 社会学
大阪・橋下知事の小中高生の携帯電話、学内持込禁止について、
最近ニュースをちゃんと見ていない、読んでいない私の意見は論点が
ずれているかもしれませんが、お手柔らかに。

そもそもは「携帯電話への依存度が高くなれば、学習時間が短くなる」と
つまりは学力向上策の一環。

保護者からはGPS搭載だからといった安全面や緊急連絡方法の手段として
必要との声もあると思います。
物騒なこの社会、それをとがめることはできませんし、
そういう配慮は必要でしょう。
しかし、たとえば、「ケータイ」とは別の安全装置があるとすれば、それはどうなのでしょう。
それでよかろうに。


ということで、安全面や緊急連絡方法の必要性を絡めての議論はとばしまして、
学力向上策におけるケータイ不必要論をときたいと思います。
1980年生まれ松坂世代の小生は、
1996~98年を高校時代として過ごしました。
ポケベル、たまごっち、ルーズソックス、アムラー全盛時代です。
我が母校もポケベル所持者は女子で80~90%という水準だったと思います。
私はクラス女子において最後の3、4人というところで
ようやく両親の許可を得たわけですが、
それまで頑なに了承を得られなかった理由は
「ポケベルは所詮はおもちゃ」。
そして、1998年、大学受験生になった高校3年生の私やクラスのほとんどは
あっさりポケベルを解約し、勉強に専念したのでありました。
今や、ケータイはメッセージ、通話をはるかに超えた機能を装備しており、
一時代前の情報ツール「ポケットベル」と比べるにはおこがましいですが、
社会人の必須ツールの「ケータイ」と、
学生の「ケータイ」は意味が違うでしょう。
私がケータイを持ったのは、大学に入学してからでありますが、
ま、勉学にいそしんでいたわけであり、
大学卒業後もなんだか資格試験の勉強に追われる日々でありますが、
そのつど、集中したいときには
ケータイの電源自体を切っております。
2、3年前のとりわけ簿記1級を目指していた頃は電源切りっぱなしが常で
もはや電源切ってることすら忘れているよな状態が多々ありました。
つまりは、ケータイは勉強には不要ということです。
真面目に勉学に取り組むには、おもちゃは不必要。
超学力主義であり、今も勉学に取り組む者として、
経験を交えての意見です。
勉強にケータイは必要ありません。
ですから、来年8月に社労士試験を控えている私、
いや、実は12月中に他の資格試験がありまして、それに怯えている私ですが、
なんと言っても本命は社労士、
これからもっとペースをあげなくてはいけませんし、
かといって映画、ライブ、舞台の時間を大幅に削ることはなるべく避けたい。
ということは、勉強の時間をぎゅっと凝縮・集中しなくてはいけません。
そいうことで、勉強に集中するため、
ケータイの電源切るため、
通話・メールが不通の状態が多々あるかと思いますが、
だいたい、健康に過ごしておりますので心配なさらずに、
遅くなっても返事はします、という
社会派どころかただの個人的状況説明ですが・・。
と、いうことで、
勉強に集中したいため、
これまでもかなり放置気味になっておりましたが、
ブログの更新をかなり落とします。
それでも1、2週間に1回は心がけたいところ。
という連絡を、webでしていますが。

ふぅ、これでブログの呪縛から解かれるぜ。
その途端、頻繁に更新したりしてー。






コメント (2)

やさしさとはなにかね。

2008-07-15 00:19:02 | 社会学
先日、そのうち米寿の祖母と連れ立って1日外出することがありました。
電車に乗り優先座席に座らせてあげたかったのにどうしたことか。
優先座席には元気ハツラツな高校生からちょっとは疲れているのかもしれんが社会人や
漫画読んでる学生、そんだけしゃべってりゃ元気あるやろ!というオバハンが
堂々と座っているではないか。
目の前に、若く見えようが老人が立っているというのに。
おもいっきり眼とばし、舌打ちでもしそうな私でしたが、
今のご時勢、何されるかわかりませんし、
祖母を巻き添えにしてはいけませんので
ほどほどにしておきましたが(それでもしたんかい!うそ、心の中で呪いかけただけです)。
途中、降り立った人間の容姿した動物がいたので座らせることができましたが、
だーーーれも席を替わりましょうか、とゆずってくれる方はいませんでした。
いや、そこ、優先座席なんですけど。

なーーーにがエコじゃ!何が地球を大切に!じゃ!ボケ!!
目の前の人間を大切にできずに偽善者ぶってんじゃねぇ。

優先座席ってのは、無駄に空いてたらそりゃ座った方がいいと思います。
安全ですし。
しかし、優先座席ですよ、優先座席。
優先座席の言葉の意味から説明せんなあかんのかね?アタマ悪いってかわいそう。
優先座席を必要とする対象者が現れたら即座にかわるべきでしょう。
そんなこと、ここでわざわざ書かなくてはいけないことなのでしょうか。
優先座席に座るからには、席を求める人がいないか常に注意を払っておくべきでしょう。
なーーーにをボンヤリしとんのじゃ!
サービス業の飲食店において、入店して、席案内して、メニュー渡して
オーダーの手をあげるまでは最低限、しっかり注意を向けておかなくてはいけないのが接客業なのに、
何度も何度も「すみませーん」と声出させやがって!
ペラペラしゃべってやんとちゃんと客のこと見とけやボンクラ!!みたいなもんです。

いかにも、マスコミで取り上げられる犯罪者だけが悪者かのように言われますが、
いや、実際、悪は悪でありますけど、
世の中を汚しているのは果たして彼らだけなのか、ということ。
そして、あまりの口の悪さに私が悪に見えるということ。


モーヲタくんへ激励

2007-03-27 01:08:03 | 社会学
加護亜依、またも喫煙ということで引退。
かつての勢いをすっかりなくした「モーニング娘。」、とっくに彼女たちの時代は過ぎている。
それを今更、アジアに進出だなんて、どういうタイミングやねん。
デビュー10周年の選抜メンバーが「♪エイジアーー」なんて歌ってるけども、
なんだそりゃ?シルクロードか?
新メンバーに中国人加入だとか言ってるけど、
片言がかわいい外国人の時代はボビーの暴力騒動でみーんな目を覚ましました、
もう、そんなのウリにできません。
それでもしつこく、ハロプロを応援しているヲタ!
いい加減に目を覚ませ!
結成初期のモー娘。は(今も継承されてるか。)クラスで1番ではないけど、ちょっとかわいくて、どこにでもいる存在、みたいなウリでした。
現実は、クラスの女子に、
「キモいんだよテメー!」とか「ウゼー!!」とか言われて机をガンっと蹴られて
教室の隅っこで存在消してたような人がヲタだとしたら(あくまで仮定)、
ヲタはオーディション番組ASAYANで健気に頑張る姿を見て応援していたのでしょうな。
彼女たちだけは天使だ、理想だ、クリアな涙だ、ときめきメモリアルだ!
そして、じっと目を見て握手してくれるしファンイベントはあるし、
テレビで、ステージで、いつも微笑んでくれる。
はい、それがもうバーチャルの世界なわけです。
実際の彼女らは、
ごっちんは山Pと、なっちは押尾学、矢口は小栗旬と、付き合ってたわけですよ。
あややだってW-indsの橘くんと付き合ってたわけですよ。
アイドルだったのに、石黒彩も市井沙耶香もデキ婚ですよ。
みんなカッコイイ人と付き合ってるわけです。
彼女たちだって、「お仕事」で笑顔をお金のために振りまいているわけです。
スマイルゼロ円なんてありえません。
笑顔の裏では、ヲタが昔、クラスの敵女子に言われた「キモッ!」「ウザッ!」を
連呼していたのかもしれません。
あとでケラケラと笑いのネタにされてたかもしれません。
そんなことも気づかずに、わずかな希望を残してハロプロを応援(=お金をつぎ込む)していたのかもしれませんけど、
2度目の喫煙騒動に男と温泉。
ヲタよ、彼女たちはバーチャルではない。これが現実。
さ、働け。

今日の音楽:「なんてったってアイドル」小泉今日子
コメント (3)

招待状のないショー

2006-12-08 00:25:02 | 社会学
ほんと、私ったら友達が少ないんですよ。
よく、爆弾少女って言われてましたけど、
まぁ、何をやらかすかわからんってことですよ。
ブログだってできるだけ社会的、政治的なことは書かないようにしていますが、
何を書くかわからんもんね。
内容によっては、ブログ炎上するかもしれんしね。



まぁ、そんなにアクセス数ないんですけど。

ということで、実社会のみならず、
インターネットの中でも友達は少ないわけですよ。
そもそも、10年くらい前の社会学では、インターネットは
「仮想現実」という表現が専ら使われていたわけですが、
今となってはブログにて、たいした出来事もないのにへったくそでしょーもない・・・、
もとい、自分の日記を公開したり、
mixiやGREEにおいて、現在、所属する社会組織(いわば、学校やサークル、職場等を介しての人間関係)から始まりさらに仲間を増やし、
なんといっても本名で登録したりしているらしいではありませんか。
もはや、インターネットは仮想現実ではなく、実社会を反映しているわけです。
ですからきっと、実社会でも友達の多い人はmixiとやらでも多いのでしょう。

そんなわけで実社会でも友達の少ない私は、妹からmixiの招待状がやってきました。

誰か・・・・。私に・・・・・招待状ください・・・。
mixiでは、足跡がつきますので、ややこしいことは書きません。いつもニコニコ。エヘヘヘ。
私はブログ第一主義です。mixiはこのブログへの入り口です。

「mixiやってそうでやってない人ランキング」で優勝しそうなぢもとに清き招待状を。

今日の音楽:「招待状のないショー」井上陽水
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「初恋」と「デスノート」から考える若者のエネルギーの社会学

2006-06-17 00:43:02 | 社会学
学生運動に東京オリンピックにビートルズにアポロに、
1960年代、何かを変えようとする力が皆にみなぎっていたように思う。
私は全てを肯定しているのではない。しかしエネルギーを感じるのだ。
初恋」は、権力に対する反発で学生運動、三億円事件を描いた。
これに対比して考えたいのが「デスノート」。
公開も今日となり、コミックも壮絶な人気を誇り、映画の前売券も勢いがあるとのこと。
コミックのおもしろさがどういう理由であれ、
社会として「デスノート」が支持されているということは、私は社会の病理だと思っている。
コミックの中でも、得体の知れない者によって、
社会から逸脱した人間を処罰してく社会をどう思うか、
街頭インタビューしているシーンがあった。
犯罪者を罰するのだからよいではないか、とも思うし、
犯罪者であっても単純に殺してはいけないという意見もあるし、
きっと実社会で街頭インタビューをしても、
これは難しい質問で、ホンネとタテマエの出るものだろう。

「デスノート」の人気を緻密な心理合戦だと言われるかもしれないが、
本当にそれだけだろうか。
やはり、ノートに名前を書くだけで人を殺すというカンタンな手段が病理なのだ。
少年犯罪の話を書き出すと、文字数が完全にオーバーするので、
読者のニュースの量を信じたいのと、
今、私に確実のデータをそろえていないので、学問としては未熟ではあるが、
少年少女が加害者の殺傷事件は低年齢化している。
大人になれていないオトナがたくさんいる。
簡単にキレて、殺意を抱いてしまう。理性ではなく感情で生きている。
そんな時代だから、
簡単に殺せるノートに人気が出たのではないだろうか。

決して学生運動や三億円事件(真相は今もわからないが)や暴動や反乱などを
肯定しているのではない。
しかし、1960年代と2000年代で違うことは、
若者のエネルギーの方向性だ。
時代に立ち向かっていった彼ら、文句ばかりたれて時代のせいにばかりしている我ら。
もしかしたら文句どころか考えることすらやめてしまった人もいるかもしれない。
青い人間のエネルギーはどこへ行ったのだろうか。
「デスノート」で主人公は、よりよい世界にするためにノートを使っているが、
(それは正義から主人公自身も犯罪者となっていくのだけれど)、
ほとんどの人間がそのノートを手にしたとき、
自分の都合で使うのではないだろうか。
家でひとりでこもっていては駄目だ、
社会に出なさい、そしていろんな人と話して自分と違った意見を聞きなさい、
自分を否定されても議論しなさい。
自分を着飾ってばかりだったり、
ヘッドホンをしながら自分の世界で道を歩いていては駄目だ、
社会を見なさい。
そういった点で、1960年代の方がずっと健全だと思うのだ。

社会と向き合え、若者達よ、そして闘え!!



P.S.少々(?!)無理のある記事ですけど、
卒論で悩んでいる大学生がいたら、ぜひこの続きを引き継いでくださいまし。

私が申し上げるようなことでもないかもしれませんが。

2006-05-17 23:17:21 | 社会学
えーーー、久々に、キレてます、
恐い、と思った方はまた明日遊びにきてね、
今日は真面目に書いてます、真面目にキレてます、
読みたい人は読む、読みたくない人はまた明日、
それでいいじゃないか。



えーーーー、あえて、具体的事例をあげませんが、
今日のニュースはクズすぎていい加減にしてほしいと思った。
お前もか!と。そしてプライバシーって何なんですか。
それがメディアとしての判断なんですか。
へーーーーェ。あ、これでニュースわかったかな。
毎日毎日同じような罪が起こってるけど、
バカじゃないのか?人間として恥ずかしくないのですか?
新聞読んでますか?テレビ観てますか?ニュースって知ってますか?
というか、どこかのだれかさんはマスコミの人ですよねぇ。
捕まるから、やったらアカンという考えはモラルとしては最低レベルやけど、
それでもまぁ、エエわ。
犯罪に大きいも小さいもない、
被害者の痛みは計り知れないという考えのもとに私はいますが、
特にこの手のニュースは、
公務員、有名人、センセイと呼ばれる人、有名大学生などが加害者の場合取り上げられる。
まぁ、全部が全部ニュースになってたら計り知れないでしょう。
しかし、そういった人だからニュースになるというのはおかしくないか?
というわけで、冒頭のどこかのだれかさんはマスコミの人、という考えはおかしいのだ。
そういう社会的地位として上位にいる人は、
事件を起こさない、という世の観念にあるからニュースになってしまうのではないか?
もはやセンセイと呼ばれる人が
立て続けに新聞沙汰になっても驚くこともなくなった今日この頃、
それはそれで問題ではあるが、
学校に行けば先生にわいせつ行為を受けるかもしれないし、
家にいても暴力を受けるかもしれないし、
隣の人は何をやっているかわからないし、騒音かもしれないし、
警察に頼っても、わいせつはあるかもしれないし、
事件をもみ消されたりするかもしれないし、
病院に行っても医療ミスはあるかもしれないし、
カルテは改ざんされてるかもしれないし、
宗教に頼ってもそれはおかしいかもしれないし、
せめて音楽を、と思ってもクスリ漬けかもしれないし、
私は、いえ、あなたは何を信じて生きているのですか?教えてください。

こういうことをやったらこうなってああなって、とメディアを通して
知っていると思うのやけど、
それでも同じような犯罪を繰り返す人は、
はっきり言ってアタマが悪いとしか考えられない。
ドラマ「弁護士のくず」がはやってますが、
人間のくず、学習能力なし。
私は間違ったことを言ってるとは思いません、くずはくずです。

ニュースの量に比例して、刑罰も比例するべきではないでしょうか。

今日の音楽:「息子」奥田民生




アンノン族

2006-05-07 22:33:38 | 社会学
アンノン族、まだ生き延びております・・。
おいっっ!!
アンノン族って言葉まだ生きていたのか!?
へっへっへー、これぞ社会学の真骨頂、
とかわけのわからんことを言いつつ、
私の好きな雑誌はananとnon-no。
たまにMORE。
anan読むのは、負け組を感じつつ、
non-no読むのは、25歳なのに、と思いつつ、
大掃除の合間に、取り出せる範囲で古い雑誌の写真撮っておきましたとさ。
バックナンバーはここにありますよー(笑)
というか、古い雑誌は捨てろよ、
何年前のファッション雑誌を読んでるのだっっ

今日の音楽:「Over Drive」JUDY AND MARY

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明日あいてる?

2006-01-10 22:57:36 | 社会学
「明日あいてる?」
と異性からメール来たらみんなはなんて返すのでしょう?
これに対する返事としては理由を聞き返すものか、
はやくも断るものになるでしょう。

毎度毎度私はイラだってしまいます。
ヒマ人扱いかよっ!!と突っ込みたくなるのと、
メールを分けて入れてくんなよっ!!と
言いたいからです。

こちらの選択した意志の返事をしなければなりません。
理由を聞いておきながら、断る場合、
その用件で判断したことになるので失礼になるではないですか!

1回のメールで「明日あいてる?」の続きに用件を入れていただきたい、
と思うせっかちな私は恋愛体質として向いていないのでしょうか。

「明日あいてる?」と1回止めるコミュニケーション術の場合、
返事のあり方は多種多様。
しかし、家と家とをつなぐ電話が
コミュニケーションツールだった時代なら
沈黙が流れたであろう。
とするならば誘い手はすぐに用件を言わねばならなかった。
つまり押しの一手です。女は何時の時代も押しに弱いものです。
ということは、
デートのお誘い成功率は
携帯電話の普及 及び軟弱男の増加と反比例するのではないだろうか。
仮説。

情報社会論×恋愛論。


誘い方関してはチャットコーナーを開設してでも議論したい内容です。

今日の音楽:「手紙」奥田民生



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匿名性の本質の変化 ‐情報社会論‐

2005-10-09 20:08:54 | 社会学
「メル友」とは、ポケベルという情報社会が生んだ人間関係である。
ポケベルという情報ツールが主流だった時代。
まだ英数字を使った現在のかたちのアドレスというものがなく、
ポケベル番号そのものがアドレスだった頃、
思いついた数字、自分の番号と似た数字(アドレス)にメッセージを打つことから
ひとつの出会いは始まった。

その頃、ポケベル全盛・コギャル全盛の頃1996年あたりから21世紀手前、
ポケベルやチャットを使っての出会いではウソがつきものだった。
匿名性を使ってのウソ。
なりたい自分へのレベルアップした年齢や職業のウソ、
アソビたい気持ちからの人間関係のウソ、
性別さえも偽る、からかいのウソ。
いずれにせよ、匿名性を利用し、
第二の自分を演じる、「なりきりの自分」が主流だった。

しかし、この昨今のブログブームはその匿名性の本質を変えてしまったのでは
ないだろうか。

ブログとは最新の記事がトップにくることから日記スタイルに最適であることから、
その目的での利用者が多い。
有名人でもない限り、また熱烈的な趣味やファンサイトのページでない限り、
「誰か」に対して向けたメッセージではあるまい。
サークルのメンバーが見ているものでもなさそうだし、
たわいない出来事をつづっている方も多い。
日記とは「毎日のできごとを書いた記録」である。(三省堂国語辞典より)
本来の日記というのは、
秘密の内容を書いたり、誰にもわからない場所に隠したり、
鍵をつけたりするものだった。
交換日記にしてもしかり。特定のグループ内での秘め事の記録だ。
ドラマや映画で重要人物が死んだあと、決まって日記が出てきて真相がわかるように、
鍵をつけるほど、大事なことが書いてあるということだ。
私が読んだきたブログは、
ポッポコポッポコ日々誕生するブログの全体の何%に値するのかわからないが、
全くの虚偽の自分を作っての日記というのは少ないだろう。

匿名性を含有する情報ツールは偽りの自分から、本当の自分を出すものへと変化したのだ。

名前こそ出ない匿名性をつかって、日記=ブログ上で本当の自分を出す。
それほど、実社会において心の内をさらけだせる人間関係が希薄ということではないだろうか。議論する場がないということではないだろうか。
「ってカンジ」「たぶん」と、断定的でない言葉が世間で通用していることからわかるように、
自分の気持ちをどこかに隠した語尾が市民権を得ようとしているこの時代は、
本当の自分を出せない世の中ということだ。
誰が読むかわからないし、読んでもらえるかもわからないブログで、
本当の自分を出すということは、しかも世界に発信しているということは、
世界のどこかの「誰かに自分を意識してほしい」「自分の存在を確認してほしい」
「自分と共感してくれる人を探している」ということではないだろうか。

とりあえず私は大学時代のゼミの先生に早く見つけて欲しい。
T教授、待ってます!!