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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
こちらもご覧ください。→http://www.ashimira.jp/

力強く自分らしく

2016年01月11日 | キャリア
今日は「成人の日」だ。私自身の思い出は、人生で初めて酔っ払って記憶を無くしたこと。気づけば友人の家でひとり目覚め、お母さんに詫びながら帰った。

あれから28年。随分と年を重ねたものだ。少しは成長出来ただろうか。まだたまに記憶を無くすこともある(笑)

さてそんな今日は二男の成人式。の予定であったが、件の入院で参加出来ない。もっとも町主催の成人式はお正月に済んでいるがそれには出席していない。

知的障害を持つ二男は就学時期(小学校~高校)すべてを養護学校で過ごしたため地域に友人はいない。今日は学校主催の成人式が予定されていたのだ。

本来は参加し、ともに成長してきた友達との楽しい機会があったかもしれない。しかし、手術のため諦めざるを得なかった。

考えてみれば、随分と酷い成人式を迎えている。意識は戻ったものの強い痛みがあり、まだまだ薬漬け。食欲も戻らない。

それでも身体は治癒に向かいドライブをかける。医療の力に頼らざるを得ないが、それでも回復へと着実に歩を進めている。

こんな成人の日を迎えた二十歳もいる。それでも健康で今日を迎えた方々と価値は同じだ。

みんな等しくおめでたい節目。大切な一日。新成人の皆様には、力強く自分らしく青春を謳歌していただきたい。

より善く生きようとする力

2016年01月07日 | キャリア
先日来話題にしている二男の手術が終わった。

朝は仏壇につぶやくことから始まった。

「もうちょっと生かしてやってーな。」

手術の内容は「肺動脈弁置換手術」というもの。18年前(2歳時)に取り付けた人工の肺動脈弁を取り替えるという手術だ。心臓を切るので結構大きな手術。輸血もいただいた。

手術の様子は待合室のモニターで観ることができた。さすがにメスを入れ骨を切り…は怖くて見ることができなかったが、その後は最後まで食い入るように見た。

心臓自体に手を入れる際には、心臓の動きが邪魔になるため人工心肺に切り替える。それはつまり鼓動が止まることを意味する。

モニターに映る微動だにしない心臓。約1時間の手早い処置の後、再び心臓に血流が戻ると力強い躍動が蘇った。

「生きてるで!」

と主張しているようだった。

人の命の強さを思った。同時に心の機能との共通点にも思い至った。

一旦止まった心臓も血流により再び鼓動を開始する。切り刻まれても復活する。「生きよう」する力が潜在的に備わっているのだ。

人の心の機能も同じだろう。どんなに厳しい現実に晒されても「ありたい自分の姿」に向かおうとする。より善くあろうとする。自分らしく生きようとする。

そんなことを思った。

「解釈」と「マインド」

2016年01月06日 | たわいない話
ここ最近気になることがあり「リーガルマインド」という言葉をテーマに取り上げたくなった。

私は法学部出身。当時教わったのは、法学部で学ぶべきことは「リーガルマインド」の獲得だということ。

ではその「リーガルマインド」とはなんだろう。少し調べてみて最もしっくりきたのが以下の説明だ。

「各問題について、法原則や条文を根拠とする合理的な推論によって論理的に考え、きちんとした法的理論構成を行うこと」

これはいわゆる「主観的な解釈」とは異なる。

例えば何らかのルール・規約に勝手な拡大解釈を加え「違反」だと騒ぎ立てることはリーガルマインドとは対極をなす。

私自身「法学部出身」ということに多少の思いを持って社会生活を送ってきた。しかし同時に「法」は最後の手段であるという感覚もある。

そんな葛藤の中でキャリアカウンセラー・キャリアコンサルタントという道を選び、それにプラスして社会保険労務士という「リーガル」な側面を持つに至った。

また、「軍師」の学びを通じ、経営の本質を深く知ることもできた。

「リーガルマインド」を起点に思いを巡らす夜。

キーワードは「泰然自若」という言葉。
人生の「軸」は自分しかない。

命があるということ

2016年01月05日 | キャリア
今日、二男が入院した。彼は生まれてこの方頻繁に入院を経験している。従って家族としても「慣れっこ」になってしまっていた。

しかし今回はこれまでの多くの入院とは意味が異なる。

彼の持病は重度の心臓病。生まれてすぐに病気が判明し、いくつかの「諦めざるを得ない瞬間」を経てなお生きながらえた命だ。

1歳になる前に血管のバイパス手術。2歳のときに心臓自体にメスを入れる手術をした。そして今回はそのとき以来18年ぶりの大きな手術となる。

「慣れっこ」になってしまっていた私たちが今日触れた現実。それは「死亡または高度障害の可能性は2~3%」という医師からの説明であった。まぁ、そうだろう。。

あくまでもこれは最悪の事態であり、ほぼあり得ないこと。それでも不安は拭えない。

しかし、心臓病に加え知的障害を抱え生まれてきた彼との出会いを振り返ると強く思うことがある。

・長短にかかわらず、すべての命に意味がある。
・誰でも笑顔に満ちた生を生きることができる。
・純粋に幸せに生きることで、人に幸せを与えることができる。
・命があるということがすべて!

これまで多くの幸運をものにしてきた。そして今もそれを引き寄せるオーラを放っている。怖いものはない。

さぁ、冒険だ!

声なき声を汲み上げる存在

2016年01月04日 | キャリア
昨夜、最寄駅から徒歩で帰った。周囲には街灯がなく対向車が来ると足下が見えず少し恐怖を覚えた。

しかし、同時に以前と比べると夜の空は明るくなり、星の数は格段に減っていることにも気づいた。近くに大型ショッピングセンターが出来て以来、夜空の星が消えたのだ。

これまでの日本は、このように夜空が明るくなり星の数が減る時代を過ごしてきた。それが「成長」であった。

しかし、考えてみればこれからの日本は違うはずである。あの大型ショッピングセンターに買い物に行く人は必ず減る。車の数も減る。

それなのに次々と新しい商売が生まれる。新しい店が出来る。そして相変わらず、新しい道もトンネルもできる。それらは特に人口減少を想定したものではないであろう。

これまでのやり方で「自社だけ」が売れるようになるはずがない。トレンドを読む力と踏み込む勇気が求められる。でなければ人口減少という局面を乗り越えることはできない。

ところで、結構な割合でこのようなことを考えていて腹案を持つ社員がいる。みんな自身の成長のために学んでいるのだ。

しかし多くの場合経営にその声は届かない。そもそも経営は社員の声など聞く耳を持たぬ。バラバラ好き勝手な主張を聞いてはいられないという面もあろう。

しかし、考えようによっては勿体ない。せっかくの知恵であるし、良い方向に向かう可能性もある。このような「声なき声」を経営に伝えることが自分自身のあるべき姿である。

今日も星空を見上げながら、企業内の「声なき声を汲み上げる存在」であることを思う夜を過ごしている。