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存在の不思議、無常の力

キャリアコンサルタント、田中道博のブログです。
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「大寒」の次!

2016年01月21日 | キャリア
今日は二十四節気の「大寒」である。ここ数日本当に寒い日が続き、川に棲む鮒の動きも鈍くなる。

鮒のことを書きたくなったのは、昨日の投稿の反応がいつもに増して悪く「意地」もあってのことだ(笑)ちょっと引きずっている(爆)

結構良い内容を書いたつもりだったが現実は厳しい(汗)タイトルがよろしくなかったと言い訳している。

さて、「大寒」の話題である。一年で最も寒い時期。文字通りの気候でその名に恥じない。この週末もかなり冷え込むとの予報だ。

ふと、「次の」二十四節気は?と考えてみる。それは「立春」!つまりは「春」がすぐそこにあるということに気づく。

「春」と聞くとウキウキもする。事実2月になれば春の気配を感じられる日もある。「春」を目指す受験シーズンも本格化する。

先日「自己概念が存在する場所」というタイトルで文章を書いた。しかし「自己概念が存在する季節」もあると感じる。

例えばこの季節。初めて行ったスキーの経験、雪が積もり心躍ったあの日、近しい人の誕生日…など、それぞれの「思い」が存在する季節なのかもしれない。

そして近づきつつ春もまた「自己概念が存在する季節」。人は常に「経験」を積み重ね今を生きている。

寒い日には鮒の動きが鈍くなる

2016年01月20日 | キャリア
今週に入り一段と寒さが厳しくなった。「暖冬」といわれているが、この程度の冷え込みがないと季節感は感じられない。

今日の寒さに触れふと浮かんだことは、少年の日に川へ鮒を捕りにいった記憶だ。「釣る」ではなく網で掬って「捕る」のだった。

特に今日のような寒い日が続いた後はよく捕れた。動きが鈍くなるからだ。私はさほど上手くなかったが、中には手掴みするツワモノもいた。

小学校時代、常に家には何らかの淡水魚がいた。水草を採って水に浮かせているといつの間にか卵から鮠(ハヤ)が孵ったこともあった。

私にとって川に行くことはワクワクする冒険であった。川の中にいる数多の生命体と心で対話していたのかもしれない。

川底の石の裏や水際の草の下、淀の中…といった見えない世界を想像することがたまらなく好きだった。

そんな川も護岸工事が進みその後魚は減った。少年の姿も減った。しかし、あの日々、あの風景や心境は私の中にイキイキと存在している。

かの川での日々はまさに自分を作ってきた経験であり、自己概念の構成要素だ。

今日のこの寒さを感じなければ「川の記憶」を語ることはなかっただろう。本当に寒いけれど、少し暖かい気持ちになった。

あしあとみらいコラムもご覧ください。

自己概念が存在する場所

2016年01月18日 | キャリア
昨日までの週末二日間、東京にてCDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)の研修に参加させていただいた。

16日の土曜日は晴れていて上空から日本を代表する山々を眺めることができた。私は通路側。隣の窓側のご婦人は熱心にシャッターを切っておられた。

まず目立った山は御嶽山。一昨年の噴煙による被害は記憶に新しい。その奥の乗鞍岳の背景には北アルプスの堂々たる山塊が広がる。

順次、中央アルプス、南アルプスを一望に。更には、いよいよ「主役」である富士山も眼下に眺めることが出来た。

ここで自分自身にベクトルが移る。

眼下に広がる景色の中に、自分自身を創ってきた「経験」が広がる。北アルプスの峰々や新穂高・上高地の風景、木曽駒ヶ岳や麓の町の様相。そしてそのときの感慨も。

小学校4年生のとき亡父に連れられて行った北アルプス。また新入社員研修で訪れた箱根の山々。仲間と登った富士山。そして、父との最後の登山となった丹沢山系も。

自己概念は「心」に宿るのだと思ってきた。しかし、それを創り、いまだに存在する「場所」。それを上空から眺めたような気がした。

自己概念が存在する「場所」について更に考えてみたくなった。

思うようにならないからこそ

2016年01月15日 | キャリア
明日からの二日間、「大学入試センター試験」が実施される。長男が受験した際に家族として経験した重い時間を思い出す。

しかし受験生として経験するプレッシャーは成長への大きな要素だ。安易に私立を選んだ私のように逃げて生きることも出来る。だが果敢なるチャレンジは大いなる学びを伴う。

キャリアカウンセリングの理論家、ジョン・クルンボルツ博士のカウンセリング場面の映像を観てみると、「行動」につながる支援を旨としている様相だ。

人も環境も変化する中で、アクションを起こし、学びを深めていくという点を重視する。何もしなければ起こらない偶然の出来事から得る学びを人生の資源とすることを唱える。

「学習経験」は人の成長に欠かせない。

冬の寒さの中で押し寄せるプレッシャーとの闘いや、未来への不安の中で過ごした日々は、間違いなく当事者の成長へとつながり、未来を切り拓くための財産となる。

できれば実力を発揮し目標が叶うことを願う。この日のための準備・努力が実るべき機会だ。

しかし、もし思うようにならなかったとしてもそれをどう捉えるか。自らの「真価」が問われる大切な機会なのかもしれない。

人生はうまくいかないこともある。でも、だから、人生は楽しい!

「寄り添う」に思う、「メカニズム」と「条件」

2016年01月14日 | キャリア
キャリアカウンセラーがよく使う言葉に「寄り添う」という言葉がある。

「なかなか寄り添えないんです。」とか「もっとクライエントに寄り添って聴きましょう。」など。

この「寄り添う」という言葉。そんなに簡単ではないと感じる。「寄り添おう!」と思うほどに遠ざかっていくという経験をする方もおられるのではなかろうか。

ここでいう「寄り添う」とは、もちろん物理的に「近づく」という意味ではない。心理的に近接の状態にあるという意味だ。

もっとも、心理的に近いと自然と前傾姿勢になるなど物理的にも「近づく」といった現象は起こりうるだろう。

さて、「寄り添う」だが、私は「メカニズム」と「条件」の両面から語ることが可能だ…ということが頭に浮かんできた。

「メカニズム」とは心の機能のこと。「条件」とは姿勢や心がけのこと。どういうことだろう。

「寄り添う」という言葉を巡っての「メカニズム」と「条件」。他の視点も含め思いを巡らせてみると結構楽しい。

「寄り添う」。なかなかに深い言葉である。考え甲斐がある言葉だと感じている。