気ままな今日のひとりごと

日々の出来事や感じたことを自由に書きます

母を想う、そして父のことも

2015-04-10 23:05:03 | 日記
いまだに、新宿に着くと母が入院していた病院に母がまだいるような気がして、今日帰り顔見に行こうかという気持ちになることが不思議な気がする。もういないのに。
人混みのなかに、母に似た人にはっとしたあと、そんなわけないじゃん!とひとり笑う。

夜、涙が止まらなくなりわんわん泣いてしまうこともある。
訳もなく母を思い出して、泣く。
母を想って泣くと、父のことも思いだして、また泣ける。

父は、最期、元旦の早朝心筋梗塞で急逝した。
毎年1月2日は、家族全員が集まり新年会をした。その年は、母がはじめておせちを自分で作らず注文して、私たちのために手をつけずに置いておいた。49歳で脳動脈瘤、その後脳梗塞を繰り返していた父は酒もタバコも止めていて、食べることが楽しみだった。
大晦日に届いたおせちを見て、美味しそうだねと見ていた父に、母は、明日みんなが来るまで我慢してねと言ったことを、とても悔やんだ。食べさせてあげればよかった、と。

私は大晦日から旦那の千葉の実家に行っており、元旦義母と旦那で新年を向かえ、帰りの道中、姉からの電話で父の死を知った。
あまりに突然のことで、現実のことと思えなかった。
動転していたが、姉には私が妙に冷静に思えたと言っていた。

父は朝方、トイレで倒れそのまま息を引き取った。
弟と母が異変に気づいたときは遅かった。
声とも音とも、なんとも言えない声が眠りを覚ましたらしい。

父は寡黙で厳しい人だったが、病気をしてからは優しくてよく話す人になった。
アルバムを見ると私たち子供や母を大切に想ってくれているのがよく分かる。
子煩悩な人だったんだなというのが、伝わる写真ばかりで。
住宅ローンも完済し、お墓を建てて両親のお骨を分骨し、なにもかもきれいに片付けて他界した。


母は、しばらく後悔にさいなまれかなり落ち込んだ。
夜は特に寂しいらしく、泣いて電話してくることもあった。
1年ほどして気持ちも落ち着いて、自分の人生を楽しめるようになったが、毎月必ず墓参りに行き、父に会いに行っていた。
私がこうしてなんの不自由もなく生きているのは、お父さんのお陰だと言っていた。

私はこれから、どんな人生を送ればいいのかな。
いまだにふわふわしている。
せめて、旦那を幸せに。
自分も幸せに生きたい。

それでいいんだよ、と言ってくれるような気がする。

それが、一番だよと言ってくれてる気がする。