気ままな今日のひとりごと

日々の出来事や感じたことを自由に書きます

記憶

2015-11-25 07:19:28 | 日記
少しずつ記憶が甦って来た。
パズゥのことを「覚悟してください」って病院の先生に宣告されてからのこと…

自分にとって負の場面ばかりフラッシュバックしていたけど、時間がたってきて
少しずつ、宣告されてからのことが甦ってきて …パズゥもきっと解ってくれてると思えるようになってきた。


家にいるときはパズゥのそばを離れなかった。
玄関まで迎えに来れなくなってからは真っ先にパズゥを探し「ただいま」を言って抱き締めた。
よかった!と泣いた。
ずっと撫でてあげた。
頭のなかはパズゥのことでいっぱいだった。

ベランダで日向ぼっこしたね。
お日様を浴びて気持ち良さそうだったね。
具合が悪いのに玄関のお迎えに来てくれたね。出遅れて悔しそうに鼻にシワを寄せて「にゃーっ」って鳴いた顔が可愛かったよ。
ベッドから動けなくて私をオンオンって呼んで一緒にテレビ見たね。
腕枕して一緒に寝たね。
夜、目を覚ますと大きな目でじっと私を見てたね。見返すと顔をぐっと近づけてじーっと見つめ返したね。
あのとき何か言いたそうだった。
きっとパズゥは解っていたんだね。

少しずつ自分を納得させられる記憶が戻ってきては…責める心を納めて…その繰り返し。


この間、寒かったのでパズゥのお骨をこたつに入れた。
寒がりだったからね、こたつが大好きだったもんね。


端から見たらおかしいのかもしれないけど、そんなことをしながら自分を納得させてる。
大好きだったマグロの刺身やチーズやら鶏肉やらは、お皿に分けてパズゥのお骨にあげて、そんなことをしながら、少しずつ少しずつ…。そんなことしながらながら私は立ち直っているよ。











ペットロスではないけれど

2015-11-07 09:52:33 | 日記
パズゥが死んでしまってから
どうしても最期の日の後悔と罪悪感が心から離れず、息絶えた顔が忘れられず、苦しくてごめんねばかり言っていた。
目を開けて、口を開けてすこし歯を剥いたような最期の顔だった。

どうしてもっと側にいて体を撫でてあげなかったか、今日が最後かもと思いながらなぜ眠ってしまったか、なぜ、せめて顔を見ながら寝なかったか…

猫は人知れずひっそりと死んでいく動物だと聞いた。
でも、家猫のパズゥはそれができない。しかも立ち上がることが出来ずかろうじて体をわずかに動かすことができる程度だった。
でもあまり側にいてほしくないように思え、そっとしておいた。

あのときは、パズゥが嫌がることをしたくない、と思った。
だから…

でも、最期私を呼んだのではないか、寂しくて怖かったのではないか、私の顔を見たかったのではないか…息絶えたパズゥの顔が…そう思えてしまうのだ。

パズゥが息絶えていることに気
づきすぐ旦那を呼びに行って戻ってベットに寝かせたとき、パズゥの顔は穏やかになっていた。
だから、パズゥの最期の顔を見たのは私だけ…

1ヶ月が過ぎた同じ日、あの日と同じ時間に最期の時間をやり直した。ほんとはこうしたかったんだよ、ごめんねとパズゥに話しかけながら。
自己満足だけど、パズゥも「そうだったの」と満足してくれたように思え、私の心もすーっと落ち着いた。

パズゥがいない日々にも、大分慣れてきて、シータとくぅとの毎日に気持ちが向けられるようになった。

まだ、パズゥの話になると泣いてしまうけど、いつかは自分を納得させられる日が来るのだろうか。

ありがとうはたくさんあるけど
ごめんねが先にたつ毎日。

パズゥとの15年は、ほんとうに幸せだった。パズゥが可愛くて愛しくて毎日のパズゥとの日々が宝物だった。
その15年より最後の一日に囚われてしまうことも、ごめんねなのだけど…

泣いてばかりいると心配して成仏できない、と思ってもまだごめんね、…なのです。