気ままな今日のひとりごと

日々の出来事や感じたことを自由に書きます

緩和ケア科

2014-06-28 07:28:46 | 日記
先週金曜、家族が呼ばれ緩和ケアの先生と面談。
最後通告のお話かと思って緊張。でも違いました。
確かに状態は刻々と進んでいますが、先生の話は、入院中と退院後の緩和ケア科のサポート体制のお話でした。大まかに言えば入院中は衰えた足の筋力のリハビリまで、退院後は、母が病院にいかなくても緩和ケア科のスタッフが家に訪問して生活支援までしてくれ、緊急時の対応までの説明を受けました。私たち子供の生活環境のことまで考慮してくださり、支えてくれる内容で、安心もしましたがそれよりも感動した、というのが本音です。
そのなかで、延命の説明も受けましたが、それよりなにより、病院が母の限りある時間に前向きに対応しようとしていることに私たちも希望の気持ちが出来た、というのが素直な気持ちでした。

先生曰く、私たちがイメージした緩和ケアは「ホスピス」で、緩和ケアは支援とのこと。希望をくれました。

母はというと同じ病室の方が余命1年の宣告を受けながらも、抗がん剤治療は拒否して最期の時間をやり残したことに使うため退院していったことにかなり感銘を受けていました。子供に迷惑をかけたくないとの強い決心があり、子供の前では弱音をはかず子供を励まして送り帰したあと、夜わんわん泣いていたそうです。
母は、私はあんな風に強くなれないと言い、私たちも頼ってもらえたほうがいいのだから、と話して…。

今の母の状態は、酸素摂取濃度?が薄く鼻から酸素を取り入れています。腹水が溜まり、両足はパンパンに膨れて歩けない状態。
この状態が緩和ケアでどのくらい改善されるのか…ですが
緩和ケア科を信じたいと。
希望がなければ、言わない説明だと感じたので…信じます。
それと何より、母の生きたいとの強い精神力。これは元来の母の強さと楽観的前向きさがあれば、復活するのではないか。そしてそれを支えるのが、家族の精神的支えなのだと思います。

病院帰り、姉弟と三人で
餃子をつまみにビールを飲んでいろいろ話しました。
思ったことは、きょうだいってやっぱりいいな!ということ。



それぞれの想い

2014-06-18 10:28:33 | 日記
私は三人きょうだいの真ん中で、姉とは4つ、弟とは8つ歳が離れている。年が離れているせいか、私は弟と遊んだ記憶や想い出がない。親の関心がそれまで末っ子だった私から弟に移り私は親に注目されたくて、いい子だった。成績もそこそこ、学級委員に選ばれたり、作文を昼休みの校内放送で紹介されるような子供だった。
高校は親の推薦するお嬢様学校を拒否し、商業から普通高校になったばかりの不良が多いと言われる学校に自分で決めて進学した。
高校3年のときは、父が脳動脈瘤で倒れて手術したあとで母から進学は無理かもと言われたのをいいことに、さっさと担任に就職先を斡旋してもらった。父も私にはなにも言わなかったし、母はあんたはしっかりしてるから安心、といつも言った。
母がそういうと、反発心や寂しさを感じていた。それが伝わらないことが反発や厳しさになってしまったように思う。

姉と弟は、それなりに親に心配と世話をかけた。
金銭面でもかなりの世話になってるだろう。そういうところからも親との接点がずっとあったから、
私と、姉弟には温度差があるだと思う。

今回、母が夏を越せないかも知れないと聞かされた私ら子供には、それぞれの想いに違いが出た。
食欲のない母の前で食事したくなない弟、この状況で母には無理だと、なにもかも母には無理と言う。
私はすべて母さんの意思が優先であり、寿命を全うするまで家族で楽しい気持ちで過ごさせてあげたい、と思った。
でも、真逆の弟にはそれは通じなくて、先日旦那と実家にいったとき弟は少し距離を置き旦那と私に接した。
姉は、私と弟の中間。だけどどちらかというと弟寄りである。

旦那のいつもと変わらない接し方に母は元気が出たようで、姉や弟にわかってよ、という気持ちがあった。
反面、姉と弟は母に本当に優しいけど、私は冷たいのかなあ、と悩んで落ち込むことが多くて今回もかなり落ち込んだ。
旦那は、そんなふうに考えるな、そんなことないじゃないか、と言ってくれ気持ちが落ち着いた。

そんなわけでこの何日か、葛藤もあったが、誰が正しいとかそういうことではなく、それぞれの想いがあるのだ、と考えられるようになってきた。
母はそれぞれの想いを受け入れてるように思う。







先生に聞きました

2014-06-12 12:48:20 | 日記
昨日、母の主治医に話を聞いて来ました。

母は末期なので、
少しでも歩けるうちは残された時間を自分のやりたいことに使ってもらうため入院させないとのことでした。
そういうことなんだ。
納得…

緩和ケア病棟にもいつでも入れるよう手続きもしてきました。

母は、孫を抱きながら、あと何回会えるのかしらと言ったかと思えば、緩和ケアで良くなればね、と言ったり…認めなきゃだけどまだ大丈夫と思いたくて、混乱しています。
そりゃそうです。
この病状の変化に無理もありません。ましてや自分の命のことだもの。母にしてみたら、痛みがあるわけでなく、食欲がなくて足がむくんでるだけで、先月まで元気だったのに、どうしたって理解できないことだと思います…。
私たち子供も辛くて、どうしてもそれ以上のことは言えません。

でも、はっきり本人に余命を告げていないから、確認したいことも出来ない、言っておきたいことも言えない。
一番重要なことは、やり残したことない?、会っておきたい人いない?行きたいところない?見ておきたいことない?言っておきたいことない?って聞けないこと。
このまんまでいいのかな、と思ってしまう。

もし、わたしが母の立場なら、もっと早く言ってほしかった~私の命だよぉ、私の人生だよ!私の最期だよーって。

でも、それは私の想いだから、気持ちだから。




母の命の灯が

2014-06-10 13:43:58 | 日記
母の状態が厳しくなってきました…
すい臓癌て、恐ろしいです。
先月元気だった母が、昨日夏まで持たないかもしれない、と先生に言われました。
???です。

抗がん剤はもう効かないそうです。腹水が溜まり末期の状態だそうです。でも、まだ入院できないそうです。
先月、食欲が出て元気になった母は、体がむくんで歩けなくなりました。食欲もなく…

父は、急性心筋梗塞で死に目にも会えず亡くなり、悔いが残りました。母が末期と聞いたとき、父の分も看病して悔いが残らないよう看病できる、と思いました。
でも、仕事をしながらで、つい最近まで元気だったのにとタイミングがわからない。混乱してます。

今なのかも知れない。
すべてをあと回しにしても、母に依りそうとき、それが今のかも、と。


今日の想い

2014-06-03 20:00:40 | 日記
今日は母の通院の付き添いだったんだけど、患者本人の体調が優れず、出掛けたくないとのことで代わりに先月撮ったMRIの結果を聞きに行ってきた。
結果は異常なし。
昨年9月に歯肉癌を切除して、経過検査結果だった。異常なしだった。
口腔外科の主治医の先生は、母が来れない状態に心配してくださり、今日来れないことに、どういう状態なのか、と聞いて下さった。

実は母は余命1年と宣告を受けている。母が歯肉癌切除手術を受けているときに、内科から子供三人が母の余命宣告を受けた。すい臓癌が末期のレベル4であるとの説明だった。
それから、国立癌センターにセカンドオピニオンをお願いしたけど、やはり同じ見解だった。
セカンドの見解が同じだったことを告げると、内科の主治医は安心したように笑顔だった。私はそれが少し不快だった。
医師の感覚はそういうものなのか、と幻滅した。
でも、今日の口腔外科の先生は
患者と家族に寄り添う対応だった。母を心配し、家族の私にも、大丈夫ですか?と言ってくださった。ありがたかった。