気ままな今日のひとりごと

日々の出来事や感じたことを自由に書きます

母への詫び状(汗)

2014-08-18 19:10:53 | 日記

母さんに謝らなきゃならないことがあります(汗)
遺影の写真のことです。

外泊して、病院に戻る少し前、もしもの時にと遺影用の写真を私に託したね。
その写真は、20年?それ以上前ので、友達とワインで乾杯してる満面の笑顔の写真。
確かにいい顔した写真だけど…若すぎない?誰?って思うほど真ん丸な顔に当時の流行りメイクなのか眉毛にちょっと特徴がある写真だったから、母さんの願いではあるけど、おねえとたけしに見せてみたんだ。
やっぱりふたりとも、うーん…母さんの気持ちは解るけどねぇ…これ誰っつー写真だよね~…三人ですごーく(ちょっと…いや、かなり笑いながら)悩んだ結果、止めることにしたんだ。
そのかわり、昨年一緒に旅行にいったときの、旦那とのツーショット写真を使ったよ。
母さんの微かに微笑んでる表情がすごくよくておねえもたけしも気に入ってくれて決まったんだよ。
この写真はすごく好評だったんだから。
おばちゃん(母の姉)なんて、遺影写真が欲しいって、焼きまわししたんだよ。
おじちゃん(母の弟)は、病気で来れなかったから、四十九日を向かえたあと、送ろうと思っています。
母さんの人柄が良く出てるほんとうにいい写真だよ。


たけしは優しいから、お母さんのお気に入りの写真は、また何かの時に使おうと言ってた。
そうするね。

だから、許してね、母さん。






お世話になった病院へ

2014-08-17 21:47:12 | 日記
先日、
母を看取って下さった看護師さんと緩和ケアの先生に、会いにいきました。
母の最期に立ち会えなかったので
最期の母の様子を聞きたいね、と姉弟と話していました。
最期の母のことを聞かないと、終わらないような、とても大事なこと…。

母がいない病院が不思議な感じでした。
先生も看護師さんもとても歓迎してくださいました。

母は最期まで意識がはっきりしていて、血圧はどんどん下がるのに呼び掛けると返事をし、普通に看護師さんと話をしていたそうです。そのため、看護師さんも朝方に家族を呼ぼうか迷ったくらいだそうです。
典型的な末期症状もなく、家族を呼んで、と言うこともなく、静かに、眠るように逝ったそうです。

ただ、外泊から病院に戻ったときは、自力で歩けなくなってしまったことにかなり落胆していたようです。

亡くなる2日前に弟に「生きていてもしょうがない。死にたい」と言ったそうですが、あとにも先にも弱音を吐いたのは一度だけ…
常に前向きだったと。


先生に、最期に間に合わなかったことは、お母さん、なんとも思ってなかったと思いますよ、と。
それより、その日体調悪く熱が出ていた弟を気遣っていたらしい。最期まで私たちのことを気にかけてくれていたそうです。…3人、号泣…

先生が持っていた本のようなノートには母の容態や母との会話がびっしり書かれているようでした。
少し見せていただきましたが、母の分だけで一冊の本のようでした。みたいと言えば、もう少し見せていただけるのかしら…

また、なにか話したくなったら来てください、と言ってくださり、本当に行ってしまいそうです。そのとき、ノートを見せていただけるか聞いてみよう…

この病院に出会えてほんとうによかったです!と感謝の気持ちを伝え病院を後にしました。


そして、日に日に
母への感謝の気持ちが心のなかに広がってます。











母さんへ(^^)

2014-08-06 22:49:08 | 日記
母さん

もしかして、自分が死んだこと、分かってないかも知れないね。ごめんね、
母さんも同席の上で告知を受けたけど、「余命いつまで」とか「末期」という表現は、私たちだけが昨年9月、母さんが歯肉ガンの手術を受けてるときに聞かされたんだよ。
先生や看護師さんには余命を言ってあげたらと言われたけど…「これ以上よくなることはないんだよ」って、おねえがやっと言葉にしたとき母さん暫く沈黙して苦しそうに「お母さんも頑張るから!」って言ったね。あのとき、母さんの心はどんなだったんだろう。きっと信じたくなかったんだよね。
だってあんなに健康だったんだから。
でも、孫の優ちゃんが3歳になるまで生きていられるかな、と言ってみたり母さんなりに十分余命を感じてるんだね。
もうこれ以上母さんを辛くしたくないよねって…言うのは止めたんだよ。
私は一時、辛くても母さんの人生だから、言うべきではと思ったの、でも、言わなくてよかった。聞いたら母さん、どんなに気落ちするか、生きる気力を失うか…たけしもおねえも、何よりそれを恐れたんだと思う。母さんは希望を持てたからあんなに頑張れたんだよね。

最期に間に合わなかったこと、すごく後悔してる。
こんなに早く逝ってしまうと思わなかった。
怖くなかった?淋しくなかった?
ひとりぽっちで逝かせてしまって、ごめんね。
でも、母さんの死に顔、笑顔だった。なんだか、ほっとしたような…。私はその母さんの顔に救われた。あぁ、母さん楽になったのかなって。

いつも私たちを心配して「遅くなるからもう帰りな」って言ってくれたね。
私が最後に母さんに会ったのが亡くなる4日前の日曜日だった。
眠ってばかりいたけど、食べたいって言ってたさつまいもを蒸かして牛乳でペースト状にして持っていった。ふたくちだったけど一生懸命食べてくれたね。
その週は平日休みがなくて土日に行くからね、と言って、またねと手を振って病室を出て…もう一度振り返ったら、まだ私を見てた。
いつも握手して病室を出てたけど、その日は手を握らず出た。
手を握ればよかった…。
その日は、「もう帰りな」って言わなかったね。

父さんには会えたかな?父さんは急死だったから一時母さん辛かったと思う。今いろんなこと話出来てるかな?母さんも父さんがいれば、幸せだね。
私たちもいずれ死んだら、父さんと母さんに会えるよね。
会ったら、いろんな話しよう。

今の世界に母さんはいなくなってしまったけど…どこかできっと見てくれてるよね。


普通に物を食べられないことが辛いと言ってたね。
今あるすべてが当たり前なことではなく、
とても幸せなことなんだ、って感じながらこれから生きていきます。


ありがとうございました。
お母さん。