気ままな今日のひとりごと

日々の出来事や感じたことを自由に書きます

癌になったら

2014-10-26 22:40:44 | 日記
母の死で思うこと。

私が癌になったら、
絶対、抗がん剤治療は受けない。
抗がん剤って、いったいなんなのかしら?
母は抗がん剤治療を受けてから、食欲が落ちてどんどん衰弱していった。
もし、治療を受けなかったら、もう少し元気でいられたんじゃないか。もう少し、自由にやりたいことができる体力と気力があったんじゃないか。
そう思わざるを得ない。

そして、もうひとつ。
癌になったら、総合病院で全身を診てもらうこと。
母は甲状腺癌が発症したとき甲状腺専門の病院にお世話になった。
歯肉、すい臓、肺、肝臓、いずれも甲状腺からの転移ではないと言われたけど、私は転移だったと思っている。

三年前、甲状腺を全摘出したとき、主治医が「肺にいっちゃってるかな?」と呟いた、らしい。
あのとき、すぐに総合病院にいって他を診てもらえば…今とは違う結果があったかも知れない。

医者たちは、正直な人もいるのかもしれないけど、こちらは何にも知識がないからいくらでも嘘(ごめんなさい)をつけると思う。
医者同士で庇いあうのだと思う。
それが当たり前の世界なのかも知れない。

母はその都度、先生の言葉を信じて信じて…
信じられた母は、それで幸せだったのかも知れないけど…







幼いころの母の想い出

2014-10-14 13:21:38 | 日記
年内中に、弟家族が実家に引っ越すことになった。
目下、形見分けになるものは除いて整理中とのことだ。
実家は実質無くなるが、弟たちが母が長年住んだ家を引き継いでくれることをありがたいと思う。


母は、物持ちのいい人だった。私たち子供が10代くらいから使っていた食器なんて今もワンサとあるし、お鍋もそうだし、スプーンやフォークなどもずっと買い換えず使っていた。想い出が詰まったそういうものを弟は処分するのが辛いだろうな…と思う。

ほんとうに贅沢をしない人だった。
旅行などでお金を使うようになったのは父が亡くなってからだ。父は老後あまり余生を満喫できないまま急死したので、やりたいことを思いっきりやろう、と思ったのではないかと思う。

でも、日々の生活はほんとうに質素だった。


私が小学生の頃、母は内職をしていて一緒に手伝わされた。
ひとつが1円にもならないような造花や、何かの部品のひとつのようなもので、子供ながらにこれじゃ何個作ってもいくらにもならないじゃんと内心思った。
でも、念願の自宅を購入したとき、父は母のへそくりの額を聞いて驚いたらしい。
内職のほかに、洋裁が得意でよくご近所の方たちの洋服のお直しを良心的な代金で引き受けていたから、地道にコツコツ貯めていたのだろう。

今や外食は当たり前だが、当時我が家で外食なんて一大イベントだった。父の給料日に駅の近くのレストランへ中華料理を食べに行くのが我が家の唯一の贅沢だった。
母の指示により、きちんとした服を着て行った。母もおしゃれをした。
そして食べる前に母から「お父さんが一生懸命働いてくれたお金で外食できるんだよ、感謝して食べなさい」、みたいなことを毎回言われ父に「いただきます」をしていただいた。

そんな母の娘なのに、私と姉は浪費家だ。
いったい誰に似たのだろう…。


そうそう、先日の苦情の件、一昨日お客様から、支払い金額を教えてと電話があり、昨日振り込みしてくださった。
対応した係長宛の電話だったが休みだったため後日また連絡が入るかも知れないけど…。



久しぶりの…

2014-10-08 23:45:52 | 日記
久しぶりに、お客様を怒らせた。私の対応が不快だから、わび状を出せ!と係長に要求した。
そんなつもりは全くなかったが、私の一言が「支払えないのでは」と決めつけた言葉に受け取られ、突然激昂された。
私は、そんなつもりはなかったけど、念押しした一言がお客様にそう思わせたなら仕方がないと思い、詫び状を出した方がいいと思った。
そのことを課長に伝えて、課長にも会話録音を聞いていただいた。
課長は、不快な気持ちにさせたのならお詫びするが、そもそもお客様が(支払い以外の部分でも)義務を怠った結果起きたことであるとして詫び状を書く必要はないと、お客様の要求は拒否するよう係長に命じた。


私は今の督促業務の前は、お客様相談室で苦情対応をメインにしていた。
苦情を言うお客様の心理に興味があったし、会社の体質改善に貢献できる奥深い業務だと3年がかりで希望が叶い異動させていただき、5年間貴重な経験をさせてもらった。
定年まであと10年を切った一昨年、最後は会社の要の督促業務で会社に恩返しして終わりたいと希望して今の部署に異動したのだが

お客様対応に自信を持っていた私だが、督促業務は債権回収してなんぼの世界、実績に結びつける難しさと自分に足りない部分を痛感することもしばしばで、着任当初は課長から直々に指摘され指導を受けたこともあった。


でも、今回課長は日頃の私の対応を評価してくださり、今回の話の流れも私の一言も問題なくお客様は怒るきっかけを待っていただけと判断した。
なんか、信じてくれていた、と感じて感謝の気持ちで一杯になった。
係長も、私の会話は苦情対応として勉強になったと言ってくださり
恐縮した。
お客様相談室出身で誰よりも年上の私は煙たい存在だろうと、与えられたことを黙々と頑張るしかない、と思って一年半やってきたが、なんか報われた気がした。

しかし、まだまだである。
今回の一件で、たくさんのことを学ぶことが出来た。
現場のリーダーも私の会話を聞いてくれ、今後に結びつける業務アドバイスをたくさんくれた。
それは、私にとってとても有難い内容で…すごく感動した。
ほんとうに有難いことである。
私は幸せものである。


詫び状を出すかどうかの返事を、昨日の夜20時に約束通り係長から連絡したが、3回とも留守電だった。
係長で収まらなければ、自分が電話を代わるからと課長も待機してくれていた。

後日また連絡予定である。

実は、苦情を受けた夜、その夢を見た。
お客様が「私も言いすぎちゃってごめんなさい」と言ってくださった。正夢になればいいのだが。
係長に言ったら、「それはないでしょう(-_-;)」とのことだが…そうなればいいなあ。



今ここ!

2014-10-06 15:06:34 | 日記
9月から所属部署の勤務形態が変わり、月の半分が遅番勤務になった。遅番は21時に会社を出て自宅につくのが22時。生活のペースがかなり変わってしまったが、午前中の時間を有効に使えるのが有意義でもあります。
天気が良ければ、朝干した洗濯物も乾いて取り込んでから仕事に行けるし、ちょっと買い物もできるし、銀行や所用も済ませられるし、結構気に入ってます。


前回、何事もシンプルに行こう、と書いたけど、今までの自分を見直して過去に挫折していたことを「とにかくこつこつ継続」したいと考えた。
結果を急いですぐに諦める自分もそろそろやめたいと。
そのひとつとしてやってみているのが
会社のビルの階段を事務所がある8階まで一日一回登ること。
それが1ヶ月以上続いています。
過去に何度かやっては3日坊主で終わっていたことなんです。
なぜ、今回続いてるのか?
ある本に、できないことに注目して×をつけないで、できたことに○をしよう、との内容に共感して、今までの考えを180度変えてみたら続くようになりました。
不思議です。
でも、×でなく○のほうに注目しよう、と考え方をシンプルに変えたからかな。

そのことが後押しして、家の中の整理整頓も少しずつ実行してみて出来たことに○、また少し出来たことに○。出来ないことに注目すると、出来たこともあるのにそこに意識が行かず、まだダメだ、もっとやらなきゃってなるけど、出来たことに注目して自分に○してあげると不思議に続く不思議…。

毎日、なにやってんだろ、と
自分にダメだししてたけど、小さなことも出来た自分に○。
これだけで、なんか世界が変わる。大袈裟かもしれないけど、そんな気持ちです。