昨日ジョー・パス友の会関西支部長p-tanさんから、エラの未発表曲(ジョー参加)のCD(2LPでも)が発売されるよとの連絡が有った。(その2時間後にオーストラリア支部長のイアンからも同じ知らせが!・・・時差か!?)
http://www.jazzmessengers.com/en/72182/ella-fitzgerald/live-in-cologne-1974
p-tanさんによると、発売日は6/24説も有るとの事でしたが、一応上記サイトで購入手続き出来ました。(遅れるのかな?)
昨日ジョー・パス友の会関西支部長p-tanさんから、エラの未発表曲(ジョー参加)のCD(2LPでも)が発売されるよとの連絡が有った。(その2時間後にオーストラリア支部長のイアンからも同じ知らせが!・・・時差か!?)
http://www.jazzmessengers.com/en/72182/ella-fitzgerald/live-in-cologne-1974
p-tanさんによると、発売日は6/24説も有るとの事でしたが、一応上記サイトで購入手続き出来ました。(遅れるのかな?)
今日『ジャズ・ライフ』誌の1978年6月号のジョー・パス・インタビューを読み返してみた。
↑
トリオでレコーディングする気はないかと言った。それで吹き込んだパブロ創立第一弾が、僕と、オスカーと、ニルス・ペデルセンのアルバムさ。。。。と続く。(それは「The Trio」)
時系列で考えると、1972年にノーマン・グランツはジョーを知ったのだろう。「オスカーに連れられてダンテスに聞きに行った」という話もよく聞く。それは恐らく秋以降11~12月ではなかったかと推察する。何故ならば、73年の1月8日にはデューク・エリントン、レイ・ブラウン、ルイ・ベルソンと録音しているからだ。(「Duke's Big 4」)
「The Trio」は3月録音だが、ジョーはインタビューで「パブロ創立第一弾」と言っている。(インタビューの誤訳は有っても、ジョーはインタビューでいい加減な事は言わない人だった)
何故Duke's Big 4が第一弾ではなく、The Trioなんだろう?(レコード番号も「The Trio」の方が若い)
この事については、変だな~と思いつつも今まで放っておいたが、今日面白いサイトを発見した。
https://rateyourmusic.com/label/pablo_records/
↑ここはボランティア・グループが作っているサイトの様で、パブロ・レコードのカタログが見られるのだが、どうやって調べたのかリリースされた年順に記載されている。
「Duke's Big 4」は1974年にリリースされていた。
デュークは肺がんの為、1974年5月24日に亡くなっている。
推察だが、「Duke's Big 4」はその後にリリースされたのではないかと思う。そして、この「Duke's Big 4」は当初はパブロの為のと言うよりもむしろ、ノーマン・グランツ個人の為のレコーディングだったのではないかと思う。(ビデオも撮られていた)
ノーマンという人は、プライベート録音物を多数持っており、その録音主が亡くなると発表するという事をする人だと聞いた事がある。
そこでデュークの死後、追悼盤として発表したのではないかと推察する。
映像の方についてはノーマン生存中は極々限られた人しか見る事が出来なかった。(ジョーも、ルイ・ベルソンも存在は知っていたが見た事はなかった)ノーマンの死後7年経って、奇跡的にDVDとして発売された。
デュークの死後1ヶ月を待たず、ジョーは「PORTRAITS OF DUKE ELLINGTON」を録音している。これもすごいことだと思う。
「The Trio」(シカゴのLondon Houseでのライヴ)については、ニールスに尋ねた事がある。
僕「あれが3人で演る最初になると思うけれどリハーサルはしたの?」
ニールス「リハーサル?リハーサルはなかったよ」
オスカーもジョーも、リハーサルは嫌いだっただね。
先日のジョーの写真、ジョーの弾いてるギターは僕のギターです。
ギター・ストラップが写っていますが、今もこのストラップを使用している。
ただ、あちこち切れてしまって補修したり、エンド・ピンの穴が広がってしまったので、ホッチキスで留めたり。。。やはり22年は長いね。
写真の場所は、白金のお寿司屋さん。ここでジョーは「2回目」のプライベート・ライヴをした訳です。(写真撮影は宮角さん、プロ写真家でジョーの写真集を自費出版しています。元々は僕がヤマハのディーラーに勤めていた時のお客さん)
本日はジョー・パス22回目の命日となる。
自分が年を取るのもしょうがないなぁ、もう22年経つのかと思う。
また年寄りになったジョーというのも想像し辛い。いつもひょうひょうとして、早足だった。
彼が世界を驚かした『Virtuoso』、発売されたのが1974年、翌75年以降スイスのモントルー・ジャズ・フェスで実際に彼のソロ演奏を目の当たりにするファン、評論家に絶讃され、「いちどでいいから、見てみたい」と我々も思った。
日本への初来日はソロで、1978年。遂にベールを脱ぐという事で、六本木に有ったライヴ・ハウス「Pit Inn」最前列には、渡辺香津美氏が陣取っていた。(僕は一番後ろの立ち見)
当時はテレビで中継とか、ビデオ化もされておらず、唯一FM放送されただけだった。
以来何度も来日をしてくれた。(正確には12回)
僕はどの来日にも行ける限りのステージを見、同行出来る限り傍にいた。彼を尋ねて79年と93年には彼の家を訪ねた。
僕とジョー・パスの付き合いはたったそれだけだ。一緒に過ごした総時間数は少ない。しかし少ない故に想い出は強烈に残っている。逆にもしも僕が彼の近所に住んでいたら、ここまで熱烈なファンには成り得なかったかも知れないと思う。
これからもずっと、彼のファンでいたい!!
Youtubeで本日見つけた。
何かのインタビュー記事で、「ギター・シンセサイザーも弾いた事があるが」と語っていた事があるが、映像が残っているとは!
オルガン・サウンドはちょっと気に入ったみたい(笑