昨日はモーツァルトと対比してジョーの事を書いたが世の中には「コード進行と主旋律」が分かれば、それを自由に難なく即興て弾ける(歌える)人というのがいる訳で、例えばモーツァルトはその一人だし、ジョー・パスもその一人だ。
出来る人には「簡単な事」なのだが、出来ない人にとっては「どうやったらそうできるの?」となる訳です。(これはプロ・アマ問わず)
僕の好きな将棋の例でもひとつ。
もう亡くなってしまったが升田幸三という棋士がまだ4段になりたての頃、門下の先輩達と囲碁を見に行って帰って来た時の事。早速兄弟子達が碁石を並べて、今の戦いがどうの、こうのと言うのだが、途中で「あ、これはこう置いたか? いや、どうだっか?」と先程会場で見た棋譜が思い出せないでいると、たしか14才だった升田が、
「なんださっき見たものを、もう忘れてしまったのか! 情けない」
と兄弟子達を尻目に初手から全て棋譜通りに並べたたという。これには升田よりも段位が上の兄弟子も舌を巻いたそうだ。
これなども出来ない人には出来ない事だし、升田の様に出来る人にとっては、雑作も無い事である。
ジョーの場合は幼少時に父親から徹底して「教育」されたおかげだし、升田の場合も将棋好きの兄による幼少時の詰め将棋の特訓が影響している思う。
ジョーの場合は9才~、升田は数えで10才だったから、この辺りの年齢にナニカあるんでしょうね!
僕が9才の頃は、近所の友だちを引き連れて、塀の上から、屋根の上、隣の塀を走り抜け、よその家の庭に忍んでみたり、三角ベースをしたりと外で遊びまくっていたからなぁ。。。