凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

僕の旅 京都府4

2006年03月04日 | 都道府県見て歩き
 前回からの続き。

 理屈が多すぎるので、ちょっと食べ物の話でもしよう。
 いわゆる「京料理」というもの。料理の基本のように言われ和食を学ぶ人は必ず通る道と言われる。しかし、京都人が毎日料亭に通っているわけでもなく、普段食べているものは家庭料理である。よく「おばんざい」という言葉を聞くけれども、こんな言葉は普段使わないなあ。まあ東京的家庭に育ったからかもしれないけれど、母親も使わない。なんだかブランド用語のような気がする。
 野菜は幸いにしてどこでも出来るので発展した。いわゆる「京野菜」と呼ばれるものはこれも現在ブランド化しているが、これは土地に応じて最も適した野菜を生産しようとした藤原氏の都市計画によって生まれたもので、賀茂なす・壬生菜・九条ねぎ・堀川ごぼう・鹿ケ谷かぼちゃ・伏見とうがらし・聖護院かぶらなど地名を冠した野菜は今も健在である。
 料理を決定付けるのは「だし」で、特に昆布だしは重要視している。僕の実家は決して裕福ではなかったが、昆布の消費量は凄かったと思う。たいしたものは料理しなくても「だし」で全てが決まるため、そこだけは母親も譲らなかった。どの家庭でもそうだっただろう。京都人はおかげでグルタミン酸には敏感である。

 しかしながら、京都の家庭料理を代表するもの、それは「保存食」の活かし方であるようにも思う。
 もちろんこれは京都市内での考えであって、実は京都には海もある。京都北部の「天の橋立」やカニで有名な間人(たいざ)も実は京都だ。こういうところではいつも新鮮な海の幸を食べていることと予想される。だが、京都南部、かつて山城国と言われた部分には海がない。しかし旨いものが食べたい。そういう欲求が「いかに保存食(乾物など)をうまく戻して食べるかに執念を燃やさせた。
 鮎などの川魚を除いて、最も新鮮な魚は若狭湾から届く一塩物である。これを京都人は珍重した。鯖街道という言葉が残っているが、昔は若狭湾から一日かけて魚を京都に運んだ。いくら急いでも腐敗が怖いので塩を強めにまぶす。それが運ぶ間にちょうど良い〆加減となり、鯖は「押し鮨」にして食べる。母方のばーさんが作ってくれたサバ鮨はもう最高で、〆て押した後に巻く昆布の加減が絶妙であり、また食べたいと切に思うのだが、明治生まれの100歳に近いばーさんにそんな大変な作業はお願いできなくなったことが寂しい。一味違うのですな。鯖だけではなく、若狭カレイ、グジ(アマダイ)などの一塩物は絶品である。これは短時間干して、生乾きのような状態で運ばれる。美味い。母親はいまだにグジの焼き物を魚の最高峰だと思っている。

 それ以外のものはない。あとは固い乾物ばかりである。例えば身欠鰊。このカチコチに固いニシンを時間をかけてゆっくりと戻し、箸でこぼれるほどに軟らかくして食べる。ニシン蕎麦は有名だ。また、棒鱈。この野球のバットにもなりそうなデカい乾物を、何日もかけてほとびさせ、ゆっくりと海老芋と一緒に煮含ませて食べる。これは美味い。妻の実家がある青森では身欠鰊や棒鱈を生産しているが、固い身欠き鰊をそのまま炙って味噌をつけて齧り、また鱈は金槌で叩いて軟らかくして食べている。それはそれで美味いのだが京都のやり方とは違う。青森の人に「よくこんなものを京都の人は日常食べているな。歯が丈夫だ」と感心されたことがある。あの、そのまま食べるのではなくてじっくり戻して軟らかくして食べるのですよ。そう言ったら、「面倒なことするなー」と斬って捨てられた。しょうがないのですよ。これも文化です。

 もう一つだけ言及しよう。京都はよく「薄味」であると言われる。素材の味を生かしていると言えば格好いいのだが、結局そんなのは、いい素材を惜しげもなく使う料亭の世界であって、庶民はちゃんと味付けして食べている。ただし、醤油に主として「淡口」を使うため色があまり付かず、見た目は薄味に見えるだろう。しかしながら、実は淡口醤油は濃口よりも塩分濃度が高いのである。
 だが、どうしても全国的には京都はさっぱりあっさり薄味の印象が強い。それは別に否定することもないのだけれども、ひとついつも首を傾げるのは「京風ラーメン」の存在である。
 巷にある京風ラーメン、よくショッピングセンターのグルメエリアなどに、甘味処と併設して店が出ているが、そのラーメンは確かに薄味でさっぱり風味である。なんでだ? 京都のラーメンというのは日本一こってりしているのに! ! 
 京都は、鶏がらスープをベースとしてじっくり煮出して作るコクのあるスープを旨とする。旨みが強くないと満足出来ない。決していわゆる「とんこつ」ではない。「天下一品」という店は全国チェーンになったのでご存知の方もいるだろうが、あれはかなりドロリとしたコラーゲンスープだ。あれが全てではないが、名店「天天有」や「第一旭」「横綱」「たか」「東龍」などかなりスープは濃い。また「背脂チャッチャ系」というのも京都の「ますたに」から始まったものと言う説もある。醤油味の強く見えるラーメンも多く「新福菜館」「夜鳴きや」などがあるがスープのコクは凄い。有名店ばかりではなく、僕の昔の実家近くの出前を取っていた店もそうだった。とにかく決して「さっぱり風味」ではないのである。このことはラーメン好きにはかなり有名な話(常識?)にはなっているが、興味のない人はいまだに「京風=薄味」だと思っている人も多いので、ちょっと書いてみた。京都のラーメンは美味いよー(郷土愛)。

 長くなりましたが「京都の旅」終わります。書き足らないことが多いので、機会を見つけて少しづつまた京都については語りたいと思います。


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