凛太郎の徒然草

別に思い出だけに生きているわけじゃないですが

僕の旅 佐賀県

2008年01月13日 | 都道府県見て歩き
 今でこそ、はなわの歌とか「がばいばあちゃん」などで佐賀県の注目度は非常に高いけれども、僕が20数年前に初めて佐賀県に行ったときは、さほどでもなかったと言っていい。九州の中では、最も地味な県として認識されていたのではないか。
 自転車旅行でうろうろしていた頃、さあこれから九州上陸だというときに、佐賀から来たサイクリストと同宿したことがあった。全く予備知識も無くガイドブックも所持していなかった僕は尋ねた。「佐賀はどういうところを見て回ればいい?」
 彼は言った。「佐賀はとくに何もないよ。ガタばっかりだ」
 ガタ? いったいなんのことだろう。よく分からなくてさらに聞いてみると、それはどうも潟のことらしい。干潟。有明海は日本有数の潮の干満の差を誇る湾であり、それにより広大な干潟を生み出す。佐賀には観るところなど何もないけどその干潟だけは一見の価値があるから、絶対に見てきてくれ。彼にそう言われて、僕は有明海を目指した。
 福岡の大宰府に僕は居たのだけれど、そこからまっすぐに有明海に出た。すると、目の前に広大な「ガタ」が、海岸から遥か彼方まで広がっている。海など遠くて見えない。どこまでも歩いていけそうだ。これは確かに今まで見たことがないもの。僕はしばし佇んでしまった。
 しかし、ガタはそう何時間も見ていられるものではない。これでシオマネキやムツゴロウでも追えば楽しいのだろうけれども、そんな準備もない僕は干潟を横目で見ながら自転車を走らせた。すると、しばらくして長崎県境に到達してしまった。考えてみれば最短距離で佐賀県横断をしてしまったわけで、宿泊もせずにその旅の佐賀の巻は終了してしまった。

 ガタを推奨してくれた彼には感謝しているが、もちろん佐賀はガタばかりではない。なので、また僕は佐賀へと数度訪れることになった。こうして何回も行く機会を与えてくれた彼には(皮肉ではなく本当に)感謝している。
 さて、佐賀でまず思い出すのが肥前鍋島藩。鍋島藩と言えば、化け猫騒動と「葉隠」がまず出てくるが、僕はやはり幕末、明治維新へと思いが行く。葉隠の有名な一文「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」から潔い精神主義が連想されるけれども、鍋島藩は実は学問の藩だった。藩校弘道館で若年の頃から学ばされ、学業成就が達成されないと家禄没収、藩士にも登用されないというえげつないノルマが課せられ、若者は血の滲むような勉強を重ねた。そうして鍋島藩は秀才を次々と生み出し、彼らが明治維新政府の重鎮となっていくのである。
 その弘道館跡には記念碑がひとつ立つだけだけれども、秀才たちの足跡は佐賀市内あちこちに点在している。大隈重信。大木喬任。副島種臣。そして江藤新平。彼らの生誕地や墓所に立ち、思いを馳せることが出来る。
 佐賀の街には秀才たちによって幕末時最先端の科学力を持っていた鍋島藩の底力の跡をいくつも辿ることが出来る。例えば日本初の洋式反射炉跡もある。彼らはこれでアームストロング砲の製造にも成功し、戊辰戦争に威力を発揮した。これら火力が明治維新を成し遂げたとも言える。この近くには、外敵を防ぐために作られたとも言われるジグザグののこぎり型家並みも残り、さらに近くには本行寺が在る。あの江藤新平が眠る寺である。
 内閣総理大臣も勤めた早稲田の創始者大隈重信は、生家も保存されしっかりとした記念館も建っているのだが、江藤新平の所縁のものは、非常に分かりにくい誕生地と、この墓があるくらいだ。出来たばかりの明治政府において、四民平等の精神に基づく近代化政策の先頭を走り、学校制度、警察制度の整備、裁判所建設、国法・民法編纂など日本国家の骨組みを作り上げ、大久保利通との政争に敗れなければ間違いなく憲法も作り上げて日本を世界に冠たる法治国家にしていたはずの人物。彼は佐賀の乱の首魁にまつり上げられて、最終的に大久保に殺され首を晒されてしまうのだが、民権主義者だった彼が近代国家建設をもっと引っ張ってくれていたなら…とどうしても思う。彼の魂はここ佐賀の本行寺に眠る。曲がったことが大嫌いだったこの清廉潔白な政治家を悼み、合掌を幾度もしてしまう。

 幕末よりもっと古くて有名な史跡が佐賀にはある。あの「吉野ヶ里遺跡」である。僕が初めて佐賀に行ったときにはまだ発掘されていなかった。今ではしっかりと整備され、往時の姿を再現しつつある。これは凄い。もしかしたら邪馬台国ではないか、とも言われるこの環壕集落(城郭か)は、古代の九州の実力をまざまざと感じさせてくれる。九州王朝説には僕は完全に賛同は出来ないが(否定的とも言うが)、確かに相当の王権がここには存在したのではないか。さまざまな可能性を考えてしまう。
 唐津には名護屋城跡が残る。秀吉の朝鮮出兵の根拠地となったこの城も、今では草生す廃城だが、その広大さにはハッとさせられる。じっくり歩くといい。傍には名護屋城博物館が建ち、これもなかなか立派なものである。

 歴史の話ばかりしていてもしょうがないのだが、僕は美術工芸に疎くて駄目なのだ。佐賀には伊万里焼などの陶磁器が盛んだが、有田や伊万里にも行ってはみたもののその価値がよく分からなくて申し訳なかった。柿右衛門と言われてもチンプンカンプンなので。
 虹ノ松原などの景勝地も多く見物には事欠かないのだが、一度僕は佐賀バルーンフェスタを見に行ったことがある。この国際的な熱気球の大会を、僕はその会場を流れる嘉瀬川にカヌーを浮かべて見物した。これはなかなかに凄い。色とりどりの気球が空に乱れ飛び、その壮大なイベントを川から見上げる。なかなかに出来ない体験で感動した。このくらいの美しさであれば僕にもよく分かる。

 佐賀は嬉野温泉や武雄温泉などいい温泉も多く、また食べ物も美味い。嬉野温泉湯豆腐も美味いし(このとろりとした湯豆腐は絶対に食べるべきだ)、小城羊羹も美味い(村岡総本舗の羊羹資料館も楽しい)。
 玄界灘に面し当然海の幸も豊富である。呼子の朝市はなかなかに楽しい。そして呼子の名物として、イカの活造りがある。有名なのでご承知の人も多いだろう。新鮮であるゆえ(活造りだから当たり前だが)身が透き通っている。ちょっと値は張るが、ここまで来たら食べなきゃ。盛られた活造りは、胴体に細く包丁が引かれ刺身となっているが、頭や足はそのまま。まだ動いている。口に含むと弾力があり甘い。活きの良さが口の中ではじける。美味い。残った動く足は刺身を食べ終わった後天ぷらにして供してくれる。
 佐賀には海が二つある。こういう離れた海岸線を二つ持つ県は、兵庫と隣の福岡だけだろう。そして、前述の玄界灘ともうひとつの海は、言わずと知れた「ガタ」有明海である。ここには、実に珍しい海産物がある。面白いので郷土料理店に入った。
 「エツ」「ワラスボ」「クツゾコ」「メカジャ」「マシャク」そして「ムツゴロウ」。面倒なので解説はしない。僕たち夫婦はこういう珍しい、ここでしか食べられないものに異常に興味を示す傾向がある。みんな注文した。見た目バケモノのようなやつもいるが、それはそれ。美味いものからちょっと首を捻るものまで(珍味は食べなれないとなかなか難しいものもある)様々だったが、こういう経験はめったに出来ないので酒を呑みつつ次から次へと平らげた。
 結構酩酊して、余は満足じゃ、と言っていたら妻が言う。「ワケノシンノス」がなかったね、と。
 ワケノシンノスとはイソギンチャクのことである。僕は壇一雄氏の愛読者であり、その著作の中にこの有明海のワケノシンノスのことが書かれている。「美味いらしいぞ」とそのことを妻に言っていたのをすっかり僕は忘れていたのだ。
 翌日、車を走らせていたら「魚屋に行こうよ」と妻が言った。どうしてもワケノシンノスに面会したいらしい。そこで漁港近くの「いかにも新鮮な魚ありますっ」という感じの魚屋さんに入ってみた。
 ワケ君は居た。ブクブクいう海水の中で棲息している。妻は我慢しきれず「下さいな」と購入してしまった。どうすんだよ。しかしまあいいか。僕らはキャンプ仕様で旅行していたので、調理道具も調味料も所持している。今夜食べてみよう。料理の仕方を聞いておけよ。

 「どうしよう。もうすぐに食べないとダメなんだって。夜までは持たないそうよ」
 なんですと!!

 なるほど。魚屋では活かしておけるのだがビニール袋に入れて小売した段階でもうどんどん鮮度が落ちてダメになるのか。しかし買ってしまったものはしょうがない。クーラーボックスに放り込み、とにかく走り出した。なんとかしなくちゃ。うーむ。

 「もうそのへんで食べちゃおうよ」
 え、そのへんでか?!

 ここは車がビュンビュンと通り過ぎる国道である。車を止める場所すらない。だが、町からは離れて人家はあたりにない。いいか、止めちゃおう。
 そうして、僕らは道の脇に車を止めた。駐車場とも言えない路肩の車だまり。旅の恥はかき捨てとも言うじゃないか。僕らは車の陰で、ピンポン玉よりちょっと小さなワケを包丁でいくつも切り開き、積んであった水で汚れその他を洗い落とし、コッフェルにワケと水をいれバーナーに点火した。沸騰したらアクを掬い取り、味噌を投入した。ワケノシンノスの味噌汁の出来上がり。
 強烈な磯の香りが漂う。かなりクセのある味わいだったが、決してまずくはない。いや、これは美味い。
 
 「珍味ねー。おいしいじゃない。やっぱり買ってよかったよ」

 妻はそんなことを脳天気に言っているが、ここは往来である。人里は離れているとは言え、車で走り去る人は我々のことを見て不思議そうな顔をしている。そりゃそうだよな。なんでこんなところに車を止めて二人してアスファルトに座り込んで味噌汁をすすっているのか。珍味は確かに珍味だが、我々のほうがもっと珍しい人種ではないのか。流れる車を見つつそんなふうに僕は思っていた。佐賀県での珍妙な思い出の一場面である。

 

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2 コメント

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かっけー。 (まるちゃん)
2008-01-14 06:37:01
おおおお。
ひまわり奥さまは「そのへんで」食べちゃうワイルド系だったのね。
惚れました。

(にがさん 真似してすみません 使ってみたかったの)
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>まるちゃん (凛太郎)
2008-01-14 22:37:03
いやワイルド系でもないんですけど、何かに夢中になると周りが見えなくなると申しますか…なので思い込んだらそのへんででも食べちゃうのです(汗)。
逸話は数々あるのですが、別に女房ブログでもないので控えます。でもまあ見ていて飽きません(笑)。
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