汽車に乗って旅に出る。昼間は流れる車窓風景をぼんやりと眺める。夜は物思いに耽りつつ夜汽車に揺られる。いずれにせよ酒が不可欠なのではないかと思う。お前だけだ、と言われるかもしれないが賛同者も多いのではなかろうか。
そういうときに何を呑むか。僕は圧倒的にウイスキーを好む。
ウイスキーのポケット瓶というものを僕は旅の友として最上のものと定義しているが、そういうのは昨今流行らなくなってしまったのかもしれない。
みなみらんぼう氏の名曲に「ウイスキーの小瓶」といううたがある。一人旅の心情を歌ううたとしてこれほど心に沁みていくものはない。
ウイスキーの小瓶を口に運びながら 涙と思い出を肴にして
酔いつぶれてしまいたいなどと 思っているこの僕を
こういう旅情というものが無くなって久しい。今は列車で呑む酒と言えば圧倒的に缶ビールだ。列車がガタンと動き出すとあちこちから「プシッ」というプルトップを引く音が聞こえる。さあこれから旅立つぞ。楽しい旅が始まるんだという合図の音にも聞こえる。それはそれでいいものだが、缶ビールには何故か勇ましさを感じる。団体旅行、グループ旅行にはそれはそれで似合う。ただ、一人旅に伴うそこはかとない哀愁のようなものは「プシッ」には醸し出されない。不思議なものだと思う。またカップ酒というものもあるが、それも旅情にどうも結びついてくれない。
よくよく考えてみれば、どうも缶ビールやカップ酒は「開けたら呑みきらなくてはいけないもの」であるからかなとも思ったりする。どちらも開ければ蓋が出来ない。勢いも必要である。ウイスキーの場合は「チビチビ」とやる。なのでいきなり酔っ払ったりはしない。強い蒸留酒で、しかもストレートであるので少しづつ呑む。これが長い汽車旅の格好の友となる。移り行く車窓をぼんやりと眺めそして徐々に陶然として、さまざまな思いが頭をよぎる。
列車の窓に僕の顔が映る なんて惨めな姿なんだろう
戯れだと思っていた恋に 打ちのめされてしまうなんて
旅に逃げているわけじゃない。でも、旅は救ってくれることも確か。そのひとときの現実逃避が何かを昇華させてくれる。
しかし前述したように、ウイスキーのポケット瓶を座席横の窓枠に置いて旅をしている人は少数派になった。人に話を聞いてみると、「アル中に見える」とひどい印象を言う若者がいた。なるほどなあ。ポケット瓶というのはたいてい180mlである。つまり一合。度数を仮に40度として、日本酒だと2.5合ぶん。ビールだと350mlで約4本ぶんとなる。そうなると、アルコール摂取量が多すぎると感じてしまうかもしれない。だからこそチビチビ呑むわけで、そこが旅情に結びつくと僕などは我田引水的に考えるのだが。
ラッパ呑みでもすればそれはアル中的様相を呈するが、僕が知る限りは、ポケット瓶を買えば小さなプラスチックのショットグラスが付いてくる。それに少しづつ注ぎチビチビやっているぶんにはさほど問題はないと思うのだが。最近は見なくなったが、昔は付属のショットグラスなど無かったのだろうか、瓶のその小さなフタにチビリと注ぎ、舐めるように呑んでいるオヤジさんをよく見たものだ。もちろんポケット瓶のフタであるから慎重に注いでもすぐこぼれるほど入る。その表面張力で盛り上がったフタの酒を、振動でこぼれないよう口で迎えにゆき、キュッと干す。そのチビチビ感に旅情を僕などは感じるのだがどうなのだろうか。これにはさすがに賛同者は少ないだろうか。
列車で呑むウイスキーにはポケット瓶の他に「ミニチュア瓶」というものもある。これには50mlしか入っていない。アルコール含有量とすればまあ缶ビール350mlでいうと一本強、お手ごろな量だろう。
このミニチュア瓶、実に可愛らしい。
話が反れるが、ポケット瓶というのは、基本的に瓶が平べったい。何故平べったい形状をしているのかということについてちゃんとした解答を僕は持っているわけではないけれども推測するに、これはスキットルの形状を模しているだろう。スキットルというのは、旅行、アウトドアの場面で酒を入れるための携帯用水筒のこと(→Wikipedia)。これからの発想だろう。つまり携帯に便利な形であって、ポケット瓶だからポケットに入るように作られているのである。最初から旅先で呑む仕様になっているわけで。これが普通の円筒形であったとすれば、窓枠に置くことが出来ない。特急には簡易テーブルがあるけれど、普通列車であれば置く場所に困ってしまう。
だから、ポケット瓶はレギュラーサイズの酒瓶のデザインを押しつぶしたような格好になっている。これはこれで味わいはあるのだが、ミニチュア瓶は違う。レギュラーサイズの瓶を正確に縮小した瓶である。手のひらに乗る大きさ。だから、ままごとのようで実に楽しい。思わずコレクションしたくなる(実際にコレクターは多いはずである)。
こういう小さな瓶が何故製造されているのかといえば、最初はおそらく見本用だったのではないか。試供品だったのかもしれない。確かに普通の酒屋では見かけない。高価なウイスキーやブランデーを一瓶買うのは財布が許さないが一口味見したい、と思う人にはちょうどいいとは思うのだが。このミニチュア瓶を容易に見ることが出来る場所は、ホテルの部屋のミニバーと列車の車内販売である。
車内販売で「ウイスキーはいかがですか」と聞こえてくればこのミニチュアボトルである。プラスチックのグラスに氷とミネラルウォーターをつけて販売してくれる。水割りセットだ。50mlであるから水割りを一杯か二杯作れば終わりである。これを寂しいと思うかちょうどいいと思うかは個人差であるので論評は出来ない。
しかしながら、これは僕のようなものから見れば値が高いのではないかと思うのだ。酒の種類によって値段も違うのは当たり前だが、ワゴンサービスの場合ウイスキーを注文すれば600円で済めば実に安く、1000円くらいの値段がついたりもする。50mlに、である。確かに昔は車内販売のウイスキーといえばサントリーオールド(ダルマ)が定番であったが、今は「山崎」とかが出てくる。別にそんな上等のものを望んではいないのだが、まあ時代なのだろう。しかし1000円は高くないか。相当上等のバーでないとこの値段はつかないと思うのだが。
しかしまあ「阿房列車」の内田百先生に言わせれば、「決して高いことはない」と言われるだろうが。これは単なる水割りではなく、走る列車の中で呑む水割りだから。飛んでいく風景を見ながらの水割りなど普通のバーでは絶対に呑めない訳で、そういう付加価値もついての1000円なのだ、とおっしゃられるだろう(これに類した発言を百鬼園先生は確かしていたはずだと思うのだが、手元の本を繰っても出てこない。出典に自信はないので完全に信用しないで欲しい)。
しかし僕は内田百ではなくセコい市井の人間なのでやはりなかなか手が出ない。それに一杯ではどうせ足りないので、やはりポケット瓶を愛用することになる。水割りでなくてもかまうものか。むしろストレートでチビチビやるところに旅情が生まれる、と頑なに言い訳をしつつ、またポケット瓶をキオスクで購入する。
初めてウイスキーのポケット瓶を呑んだときの記憶がまだ僕には鮮明である。それは冬の北海道だった。もう20年以上も昔の話。
現在は北海道の鉄道網は廃線の嵐で壊滅状態だが、当時は「羽幌線」というローカル線があった。日本海側の留萌から幌延を結ぶ単線で、羽幌はそのちょうど中間にある街である。かつては炭鉱とニシンで賑わったこの街も、炭鉱は閉じニシンも来なくなって人口が減少し、路線も無くなった。
当時も既に廃止直前で本数も少なくなっていたが、僕は留萌から列車を乗り継ぎこのローカル線で羽幌にやってきた。なんで羽幌に来たかといえば、妹がこの町出身である歌手のファンで、その実家である喫茶店の写真を撮ってきてくれ、と頼まれたからである。日程も決めていない周遊券の旅だった僕は、それでなんとなしに羽幌までやってきた。
降り立ってみるとえらい吹雪である。国道沿いにあると聞いていたのだが、風が強く寒くてなかなかアプローチに苦労した。店は比較的簡単に見つかって、僕は写真を一枚撮り駅へ引き返したが、極寒の吹雪の中を歩いたので身体が冷え切ってしまった。こういうときにはラーメンでも食べればいいのだろうが昼食はさっき食べたばかりである。僕は酒を呑もうと思い、駅のキオスクで「サントリーレッド」の小瓶を買った。ビールなど全く飲む気がしない。当時でそれは270円だった(細かいことを記憶しているが、貧乏旅行のせいである)。
待合室に人はいない。次の列車は二時間後だった。誰もいない空間で、僕はチビリと酒を呑んでいた。
陶然としてくるうちに、その旅に出る直前の出来事などを思い返していた。その冬、僕は一人の女性をどうも傷つけてしまったらしい。
「貴女の気持ちには応えられない」と僕は向かい合って座っている女性に言った。言葉をもっと選べればよかったのだが、当時の僕には語彙が不足していた。今ならばもっと柔らかな、相手の気持ちを慮った言葉を遣えたと思うが、まだ僕は二十歳そこそこの子供だった。このことは、強い後悔を僕に残した。
列車の到着は雪のせいで遅れた。都合三時間僕は駅で待ち、そして車中の人となった。まだウイスキーが半分ほど残っている。当時はそれほど酒に鍛えられていたわけでもなく、今ならこんなポケット瓶など呑み尽くしてしまうはずだが、僕はまだ車窓を見つつチビチビと酒を舐めていた。北海道の車窓風景といえば雄大さがまず想像されるけれども、季節は冬、しかも流氷がやってくるオホーツク海と違って、日本海側はただ厳しさだけが迫る。
そうして北上し、車窓に夜の帳が下りるころ、列車は幌延に到着し宗谷本線に接続した。今日は稚内まで行く予定である。乗り換える頃にはさすがのポケット瓶もカラになっていた。酔いが回っていたが、その酔いが僕には有難かった。
以来、しばしば僕はポケット瓶を汽車旅に持ち込む。しかも「三つ子の魂百まで」ではないが、いまだにいつもレッドなのである。レッドが置いていない時にはしょうがないので角やダルマにする。なんでそう安いウイスキーにするのか。今はローヤルだって北杜だって「響」だってポケット瓶がある。
しかしながら、そういうウイスキーはしっかりとした酒場や、ゆったりと時間のある日の自宅で呑めばいいではないか。それに「山崎」なんぞ呑んでいると「涙と思い出を肴にして」の世界から離れてしまうような気がしてならない。ここはやはり「上質」よりも「郷愁」を求めたい。旅情ってそういうものだと勝手に思い込んでいる。
そういうときに何を呑むか。僕は圧倒的にウイスキーを好む。
ウイスキーのポケット瓶というものを僕は旅の友として最上のものと定義しているが、そういうのは昨今流行らなくなってしまったのかもしれない。
みなみらんぼう氏の名曲に「ウイスキーの小瓶」といううたがある。一人旅の心情を歌ううたとしてこれほど心に沁みていくものはない。
ウイスキーの小瓶を口に運びながら 涙と思い出を肴にして
酔いつぶれてしまいたいなどと 思っているこの僕を
こういう旅情というものが無くなって久しい。今は列車で呑む酒と言えば圧倒的に缶ビールだ。列車がガタンと動き出すとあちこちから「プシッ」というプルトップを引く音が聞こえる。さあこれから旅立つぞ。楽しい旅が始まるんだという合図の音にも聞こえる。それはそれでいいものだが、缶ビールには何故か勇ましさを感じる。団体旅行、グループ旅行にはそれはそれで似合う。ただ、一人旅に伴うそこはかとない哀愁のようなものは「プシッ」には醸し出されない。不思議なものだと思う。またカップ酒というものもあるが、それも旅情にどうも結びついてくれない。
よくよく考えてみれば、どうも缶ビールやカップ酒は「開けたら呑みきらなくてはいけないもの」であるからかなとも思ったりする。どちらも開ければ蓋が出来ない。勢いも必要である。ウイスキーの場合は「チビチビ」とやる。なのでいきなり酔っ払ったりはしない。強い蒸留酒で、しかもストレートであるので少しづつ呑む。これが長い汽車旅の格好の友となる。移り行く車窓をぼんやりと眺めそして徐々に陶然として、さまざまな思いが頭をよぎる。
列車の窓に僕の顔が映る なんて惨めな姿なんだろう
戯れだと思っていた恋に 打ちのめされてしまうなんて
旅に逃げているわけじゃない。でも、旅は救ってくれることも確か。そのひとときの現実逃避が何かを昇華させてくれる。
しかし前述したように、ウイスキーのポケット瓶を座席横の窓枠に置いて旅をしている人は少数派になった。人に話を聞いてみると、「アル中に見える」とひどい印象を言う若者がいた。なるほどなあ。ポケット瓶というのはたいてい180mlである。つまり一合。度数を仮に40度として、日本酒だと2.5合ぶん。ビールだと350mlで約4本ぶんとなる。そうなると、アルコール摂取量が多すぎると感じてしまうかもしれない。だからこそチビチビ呑むわけで、そこが旅情に結びつくと僕などは我田引水的に考えるのだが。
ラッパ呑みでもすればそれはアル中的様相を呈するが、僕が知る限りは、ポケット瓶を買えば小さなプラスチックのショットグラスが付いてくる。それに少しづつ注ぎチビチビやっているぶんにはさほど問題はないと思うのだが。最近は見なくなったが、昔は付属のショットグラスなど無かったのだろうか、瓶のその小さなフタにチビリと注ぎ、舐めるように呑んでいるオヤジさんをよく見たものだ。もちろんポケット瓶のフタであるから慎重に注いでもすぐこぼれるほど入る。その表面張力で盛り上がったフタの酒を、振動でこぼれないよう口で迎えにゆき、キュッと干す。そのチビチビ感に旅情を僕などは感じるのだがどうなのだろうか。これにはさすがに賛同者は少ないだろうか。
列車で呑むウイスキーにはポケット瓶の他に「ミニチュア瓶」というものもある。これには50mlしか入っていない。アルコール含有量とすればまあ缶ビール350mlでいうと一本強、お手ごろな量だろう。
このミニチュア瓶、実に可愛らしい。
話が反れるが、ポケット瓶というのは、基本的に瓶が平べったい。何故平べったい形状をしているのかということについてちゃんとした解答を僕は持っているわけではないけれども推測するに、これはスキットルの形状を模しているだろう。スキットルというのは、旅行、アウトドアの場面で酒を入れるための携帯用水筒のこと(→Wikipedia)。これからの発想だろう。つまり携帯に便利な形であって、ポケット瓶だからポケットに入るように作られているのである。最初から旅先で呑む仕様になっているわけで。これが普通の円筒形であったとすれば、窓枠に置くことが出来ない。特急には簡易テーブルがあるけれど、普通列車であれば置く場所に困ってしまう。
だから、ポケット瓶はレギュラーサイズの酒瓶のデザインを押しつぶしたような格好になっている。これはこれで味わいはあるのだが、ミニチュア瓶は違う。レギュラーサイズの瓶を正確に縮小した瓶である。手のひらに乗る大きさ。だから、ままごとのようで実に楽しい。思わずコレクションしたくなる(実際にコレクターは多いはずである)。
こういう小さな瓶が何故製造されているのかといえば、最初はおそらく見本用だったのではないか。試供品だったのかもしれない。確かに普通の酒屋では見かけない。高価なウイスキーやブランデーを一瓶買うのは財布が許さないが一口味見したい、と思う人にはちょうどいいとは思うのだが。このミニチュア瓶を容易に見ることが出来る場所は、ホテルの部屋のミニバーと列車の車内販売である。
車内販売で「ウイスキーはいかがですか」と聞こえてくればこのミニチュアボトルである。プラスチックのグラスに氷とミネラルウォーターをつけて販売してくれる。水割りセットだ。50mlであるから水割りを一杯か二杯作れば終わりである。これを寂しいと思うかちょうどいいと思うかは個人差であるので論評は出来ない。
しかしながら、これは僕のようなものから見れば値が高いのではないかと思うのだ。酒の種類によって値段も違うのは当たり前だが、ワゴンサービスの場合ウイスキーを注文すれば600円で済めば実に安く、1000円くらいの値段がついたりもする。50mlに、である。確かに昔は車内販売のウイスキーといえばサントリーオールド(ダルマ)が定番であったが、今は「山崎」とかが出てくる。別にそんな上等のものを望んではいないのだが、まあ時代なのだろう。しかし1000円は高くないか。相当上等のバーでないとこの値段はつかないと思うのだが。
しかしまあ「阿房列車」の内田百先生に言わせれば、「決して高いことはない」と言われるだろうが。これは単なる水割りではなく、走る列車の中で呑む水割りだから。飛んでいく風景を見ながらの水割りなど普通のバーでは絶対に呑めない訳で、そういう付加価値もついての1000円なのだ、とおっしゃられるだろう(これに類した発言を百鬼園先生は確かしていたはずだと思うのだが、手元の本を繰っても出てこない。出典に自信はないので完全に信用しないで欲しい)。
しかし僕は内田百ではなくセコい市井の人間なのでやはりなかなか手が出ない。それに一杯ではどうせ足りないので、やはりポケット瓶を愛用することになる。水割りでなくてもかまうものか。むしろストレートでチビチビやるところに旅情が生まれる、と頑なに言い訳をしつつ、またポケット瓶をキオスクで購入する。
初めてウイスキーのポケット瓶を呑んだときの記憶がまだ僕には鮮明である。それは冬の北海道だった。もう20年以上も昔の話。
現在は北海道の鉄道網は廃線の嵐で壊滅状態だが、当時は「羽幌線」というローカル線があった。日本海側の留萌から幌延を結ぶ単線で、羽幌はそのちょうど中間にある街である。かつては炭鉱とニシンで賑わったこの街も、炭鉱は閉じニシンも来なくなって人口が減少し、路線も無くなった。
当時も既に廃止直前で本数も少なくなっていたが、僕は留萌から列車を乗り継ぎこのローカル線で羽幌にやってきた。なんで羽幌に来たかといえば、妹がこの町出身である歌手のファンで、その実家である喫茶店の写真を撮ってきてくれ、と頼まれたからである。日程も決めていない周遊券の旅だった僕は、それでなんとなしに羽幌までやってきた。
降り立ってみるとえらい吹雪である。国道沿いにあると聞いていたのだが、風が強く寒くてなかなかアプローチに苦労した。店は比較的簡単に見つかって、僕は写真を一枚撮り駅へ引き返したが、極寒の吹雪の中を歩いたので身体が冷え切ってしまった。こういうときにはラーメンでも食べればいいのだろうが昼食はさっき食べたばかりである。僕は酒を呑もうと思い、駅のキオスクで「サントリーレッド」の小瓶を買った。ビールなど全く飲む気がしない。当時でそれは270円だった(細かいことを記憶しているが、貧乏旅行のせいである)。
待合室に人はいない。次の列車は二時間後だった。誰もいない空間で、僕はチビリと酒を呑んでいた。
陶然としてくるうちに、その旅に出る直前の出来事などを思い返していた。その冬、僕は一人の女性をどうも傷つけてしまったらしい。
「貴女の気持ちには応えられない」と僕は向かい合って座っている女性に言った。言葉をもっと選べればよかったのだが、当時の僕には語彙が不足していた。今ならばもっと柔らかな、相手の気持ちを慮った言葉を遣えたと思うが、まだ僕は二十歳そこそこの子供だった。このことは、強い後悔を僕に残した。
列車の到着は雪のせいで遅れた。都合三時間僕は駅で待ち、そして車中の人となった。まだウイスキーが半分ほど残っている。当時はそれほど酒に鍛えられていたわけでもなく、今ならこんなポケット瓶など呑み尽くしてしまうはずだが、僕はまだ車窓を見つつチビチビと酒を舐めていた。北海道の車窓風景といえば雄大さがまず想像されるけれども、季節は冬、しかも流氷がやってくるオホーツク海と違って、日本海側はただ厳しさだけが迫る。
そうして北上し、車窓に夜の帳が下りるころ、列車は幌延に到着し宗谷本線に接続した。今日は稚内まで行く予定である。乗り換える頃にはさすがのポケット瓶もカラになっていた。酔いが回っていたが、その酔いが僕には有難かった。
以来、しばしば僕はポケット瓶を汽車旅に持ち込む。しかも「三つ子の魂百まで」ではないが、いまだにいつもレッドなのである。レッドが置いていない時にはしょうがないので角やダルマにする。なんでそう安いウイスキーにするのか。今はローヤルだって北杜だって「響」だってポケット瓶がある。
しかしながら、そういうウイスキーはしっかりとした酒場や、ゆったりと時間のある日の自宅で呑めばいいではないか。それに「山崎」なんぞ呑んでいると「涙と思い出を肴にして」の世界から離れてしまうような気がしてならない。ここはやはり「上質」よりも「郷愁」を求めたい。旅情ってそういうものだと勝手に思い込んでいる。
ウィスキーやバーボン、洋酒の需要が激減していて
輸入業者も減っているとか。
基本的にお酒が弱く、洋酒も苦手な私は
ウィスキーを飲みません。
工場見学に出かけた友達は改めてウィスキーの
おいしさを知って、一緒に飲みに行くとウィスキーを飲みます。
記事を読みながら、次の一人旅には
ちょっとだけ試してみようかな…でも無理かなぁ
なんてわくわくしました。
>旅に逃げているわけじゃない。でも、旅は救ってくれることも確か。そのひとときの現実逃避が何かを昇華させてくれる。
まさにその通り。
よく一人で出かけて淋しくないねって女性の人から
言われるけど、一人になれる時間があるからこそ旅なんだと思っています。
たとえそれが、行き帰りだけが一人だろうと…
行き帰りとホテルだけが一人だろうと…
一人になる時間がある旅が好きです。
しかしウイスキーは美味いものです。この記事で書いた「美味い不味いは別として」の酒じゃなくて本当に美味いものはある。ポケット瓶や焚火のバーボンラッパ呑みの話ばかりじゃなくて僕も一度「上質のスコッチとそのダンディズム」について語ってみたい欲求が。でも背伸びしないと無理かなぁ(笑)。
一人旅にはやっぱりウイスキーが似合うと勝手に思っています。何人かで動く時にはビールかも、ですが。女性の車中ウイスキーちびり呑みが絵になる人と出会ってみたい。さぞかしカッコいいでしょうねー。
一人旅。みんなでビールよりウイスキーが呑みたくなる旅のほうが僕も好きです。寂しさだってたまには探したくなるときだってあるんです。人には。
メキシコのハナシなんだけど。
テキーラの原料「竜舌蘭」林立の道を 電車は走る。
朗らかにテキーラあおる女性 かっこよかった。
日本の旅情とは ずいぶん趣ちがったけど…。
旅もウィスキーも絶好調だった頃まるちゃんは「娘さん」
さすがに ポケット瓶の勇気はなかったなあ。
僕は以前テキーラの記事を書いたこともあるのですが、テキーラっていう酒はいかにも「ノドに放り込む」呑みかたが似合う強い酒で、お書きになられているように「朗らかにテキーラあおる」っていうのが正しい。ラテンの酒ですから。
それに対して、この話はウイスキーのチビチビ呑みの話ですから、よくよく考えてみればまず格好よくはない。「郷愁」もしくは「哀愁」を連想してしまう。女性がカッコよくなんて無理かもしれません。やはりこれは「オヤジの領域」であるのかも(笑)。
ところでウイスキーのポケット瓶を共に旅ですか・・・、ボギーの世界ですね・・・。
メルシャンのオーシャンウイスキー。またキリンのボストンクラブ(これはちと上等ですが)やNEWS。ハイニッカ。サントリーのトリス、また21(トゥエンティワン)やQ、コブラ…ああいうのは最近でも売っているのかしらん。よくコークハイにして呑んだもんです。ボギーの世界からは相当離れていますが(笑)、妙に郷愁があります。
こういう世界を書くのは得意なんですけれどもねー。ダンディズムはやっぱり苦手です(笑)。
なかなか、本当に同年代で、音楽の話ができる人が見つからなくて、偶然このブログが目にとまって来てみたら、1965年生まれ。嬉しくなっちゃいました。
私も、断然ウィスキー派です。ただし、バーボンですが。ギター弾くのが好きです。よろしければ、遊びに来てください。お気に入り登録して、またちょこちょこ覗かせていただきます!
僕は金沢に10年住んでいましたので福井にはとても馴染みがあります。あちこちよく知っています。
音楽の話が出来るほどの造詣が深いわけでもなく、このブログでは断片的な思い出話が中心なのですが、好きなことは好きです。もちろんバーボンも愛していますし、左手の指は深爪になっています。
歴史やプロレスの話も多く、また記事はひたすら長いのでうっとおしい限りのブログですが、また見てやってください。
よぴちさんちはまだチラリと覗かせていただいただけですので、今後じっくりと読ませていただこうかと思っています。お身体のことにはコメントできる術を僕は持ちませんが、そうだ元気ですよと答えていただければやっぱり嬉しい。またどうぞよろしく。
しかし、サーフィンそして黄昏どきから焚き火にギターとはなんと素晴らしくそして格好いいのでしょうか。憧れますね。僕はなかなかそういうことが出来なかったので、なんとも羨ましい気持ちでいっぱいになります。
しかし痛風は…キツいですね(汗)。僕も尿酸値が高いので他人事ではないのですが、確かウイスキーはプリン体含有量が非常に少なく(ゼロとも言われていましたし)、そして尿酸生成抑制成分を含有するという学説もどこかで聞いた気が。本当かどうか確認していないので責任をとれ、と言われても困るのですが、もしかしたらトリスは健康にかなりいいのかもしれません。僕もビール代わりに安ウイスキー冷やしてガブガブやっております。
串かつとすじ煮込みは…危ないですけど(汗)。