目先のことに埋もれて心が茫々としてくる。何かを見失っているように思う。この漠とした不明瞭さはいったい何だろうか。
心の焦点があわない日々が続く。
今年は秋から冬にかけて、葬式によく出た。
冠婚葬祭の中でも葬式は前触れなく行われるもので、なんともいたしかたないのだが、3ヶ月で4回は多くないかい? どうしてみんなそう足早に逝ってしまうのか。
なんだかどうも葬儀会場にばかり足を運んでいたような気がする。葬式は今、都市部ではほとんどが専門の葬儀会場で執り行われるので、お宅へ伺ったりすることは、ほぼない。無味乾燥であるような気もするが、時代だろうか。
どこも同じようなつくりであるため、ふと錯覚を起こし「先週も来たな」とか思ってしまう。
話が変わるが、こういう葬儀会場が増えてきたのはいったいいつごろからなんだろう。
高度成長期だろうか。家の主流がマンションなどの集合住宅となれば、そこで葬式をするわけにもゆくまい。寺院で執り行うこともあっただろうが、非檀家の核家族の割合が高くなればお寺さんでの葬式も難しくなっていく。
僕の祖父母の時代は、まだ自宅葬だった。家に祭壇が作られ、そこから出棺した。まだまだ昭和の時代のこと。ただ母方の祖母は長命し、亡くなったのは平成になってからで、葬儀は斎場で行われた。時代が変わったのだ。
今は老人人口が多くなり、葬儀会場がどんどん新設されているように思える。介護施設と並んで盛況なビジネスとなっているのではないだろうか。もしかしたら過当競争になっているかもしれない。新聞にも毎日のように斎場のチラシが入っている。
電話による勧誘も多い。とある日に僕が電話に出れば「セレモニーホール○○ですが」と。あちらも仕事でやっていることで大変だろうとは思うが、葬儀の予定などを訊ねられるのは気分の良いものではない。妻に尋ねると、平日もあちこちからかなり掛かってきているようで、電話に出るのが嫌になったと言う。
11月には叔父が死んだ。急死だった。
父の弟だが、これで6人兄弟の長兄である父も、三人の弟を失ったことになる。
さすがに父の落ち込みは見ていて辛くなるほどで、最も年長である自分が何故生きているのか、などという。もう一人の弟も、今は車椅子でしか動けない。僕からすれば、他の叔父たちと違い酒も煙草もやらずストイックに過ごしてきた父は長生きしてもらわねば困るのだが、本人としてはいたたまれないのだろう。
叔父の葬儀も、やはり会場で行われた。
慟哭を聞くのは、辛いものだ。
葬儀が始まると、音楽が流れた。どこかで聴いたことがあるのだが、すぐには思い出せない。「これ、何の曲やったかな?」と僕が独り言のように言うと、隣にいた叔母(父の妹)が「ロッホ・ローモンドや」とすぐに言ってくれた。あっそうか。
スコットランド民謡の名曲だが、こういう澄んだ美しいメロディは、もしかしたら葬儀に合うのかもしれないと思って聴いていた。聴くうちに、涙が出た。
ただ、叔父が指定したわけではあるまい。葬儀場が用意していたものだろう。血管が破れ救急車の車中ではもう既に意識が無かった叔父が、そんなことまで遺言をしたはずがない。
葬式に音楽を流す、というのは、おそらく葬儀場が始めたことではないか。自宅葬の頃は、そんな習慣は無かったのではないかと思う。つたない経験からの話で、実際はそうではないかもしれないが。あれ、キリスト教の葬儀では讃美歌が流れるのだったっけ。「主よ御許に近づかん」というのは、フランダースの犬の最終話を観て泣いた世代の僕としては、馴染みなのだけれど。しかし仏式だと、読経だよなあ。
最近は自宅葬においても音楽は流れるようで、以前とある田舎で葬儀に参列したとき、出棺の際になんとも言えない悲しい曲が流れた。曲名はわからない。インストだがどちらかといえば演歌調の曲で、ただ悲しみを助長させるだけに思えた。ああいうマイナー調の曲はどうなのかと思う。おそらく互助会が用意したのだろうと思うが、例えば結婚式の花束贈呈で「かあさんのうた」が流れるようなものだ。
ただ、葬儀に音楽が定着していることはわかった。
別の機会。「自分の葬式にどういう音楽を流したいか」という話題が妙に盛り上がった。主体は若い人で、葬儀に音楽は当たり前の世代らしい。
驚くことにその場にいただいたいの人はもう決めているようで、尾崎豊がいいだの「私は絶対にハナミズキ」だのと言っている。そうか。
僕は、そんなこと考えたこともなかった。叔父の葬儀の前で、ロッホローモンドなどもまだ聴いてない。尋ねられたのだが気の利いた答えも言えず窮して「どうせ自分は死んどるんやしそれを聴くこともできんやないか」などと冷や水を浴びせるようなことを言ってしまった。場の空気もみず誠に申し訳ない。
僕は、葬式自体が必要ないと思っている。
昨年、別ブログで村落墓地の連載をしたため、民俗学的に葬儀というものの歴史と実態についてかなり様々な書籍を読んだ。考えるに、現在の葬儀というものは江戸時代の檀家制度、寺請制度の名残で、そんなものは僕個人には関係ない。信仰心もなく、死んで浄土に行くとも地獄に落ちるとも思えないので、戒名とかはどうでもいい。
夏に、内臓にヘンなものが見つかって入院した。僕も死を考え、妻に「葬式はせんでええぞ。金がかかりすぎる。どうしてもと周りがやかましく言うなら、とにかく最低ランクでやって。金は残せ」と言ったら、妻が「縁起でもないことを」と怒った。
そのときも、さすがに音楽までは考えなかった。
葬式にふさわしい音楽とは、なんだろうか。
おそらくは、インストがいいのだろうと思う。そしてきれいな曲で、マイナー調でないほうがいい。葬式と言ってすぐに思いつくのはショパンの葬送行進曲だが、これが掛かっていたのを聴いたことがない。おそらく、生々しすぎるのだろう。
まあクラシックか。「G線上のアリア」とか「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか。ラヴェルは実際に聴いたことがある。
歌詞があるものは、相応ではないような気がする。まあ洋楽であればいいか。言葉の意味がわからないほうがいい。ロッホローモンドは、そういう意味でもふさわしい気がしてきた。もっとも、僕が実際に聴いたのはインストだったけれど。
もっと明るくゆくなら、カントリーの名曲「Will The Circle Be Unbroken」がある。加川良さんのカバー(その朝)や、なぎらさんのカバー(永遠の絆)が有名だが、やはりここは原曲か。
will the circle be unbroken
by and by load by and by
there's a better home a-waiting
in the sky, lord, in the sky
やっぱりダメだな。なんか泣きそうになる。
ハンバートハンバートの「大宴会」なんかもいいとは思うんだけれど、こういうのはBGMになりにくいからやっぱりふさわしくないかな。
今は、自分が死ぬときに、どんな音楽が流れていたらいいか、を茫洋とした心のままに考えている。
葬儀は必要ないし、もしも自分の葬儀がなされたとしても、僕はそれに出席していないのだから、どうでもいいと言える。
いちばん好きな歌を聴きながら逝くかな。そうなると「他愛もない僕の唄だけど」とかになるけど、なんか違うな。
終焉を迎えるときに去来するものとは何だろうか。
それは、自分自身にとっては、追憶しかないと思っている。
おそらく「思い出」だけが、最後に残るものだ。あの世が信じられない以上、歩んできた足跡だけが僕には残される。そのめぐる追憶というものが幸せなものであったならば、莞爾として人生を終えることが出来る。
そのとき、僕が独りであれば、もう何も思い残すことはない。
僕には子供がいないため、心配なのは妻だけだ。彼女を残してゆくのは忍びない。つまり妻より一日でも長生きすればいい。だから、老いるまで何としても生き延びなければならない。
そしてこの世を去ったあとは、いったい何が残るだろうか。
墓標などいらない。骨なんかは産業廃棄物でいいと思っている。そもそも、子孫がいない僕の墓など一瞬で無縁となる。だいたい墓を建ててくれる人などいるのだろうか。甥や姪に金を置いて死ねば建ててはくれるだろうが、無駄なことだ。
近親者や友人が、まだそのときにいるとすれば、彼らに多くは望まない。すぐに忘れ去られるのも寂しいから、なんとなしにあんな男がいたと記憶の片隅に置いておいてくれればいい。
功成り名を遂げた一部の人とは違い、僕も含めた市井の人間は、居なくなれば語り継がれることなどない。だから、僕が居なくなって、さらに僕のことを直接知っている人も居なくなれば、僕という概念上の人間もまたこの世から消える。
そこまで思いめぐらして、べーやんの「忘れな詩」が浮かんできた。
もしも私がうたい終わってギターをおいてこの場所を遠く去る時に
誰一人うしろ姿にふり向く人はいないとしても それでいい 想い出一つ残せれば
この詩を書いた中村行延さんは、今どうしてらっしゃるのかなあ。公式サイトも消えている。行延さんが出なくなってから「きらきらアフロ」も見なくなった。喫茶店を閉店したあと、就職されたというような話はおっしゃられていたが…おそらくはどこかで歌っておられるとは思うのだけれど。
けれどあなたの青春のどこかの季節に まぎれもなく私がそこにいたことを
いつまでも いつまでも 忘れないでいてほしい
あなたにだけは この詩 忘れないでいてほしい
忘れないで欲しい、というのは、本音ではあるけれど、そこまで強くは望んでいない。何かの機会に、思い出してもらえる存在であったならいいな、という程度。そんな気持ちを、べーやんの歌に託したいという思いが、今はある。
そしてそれは、逆に今を生きる僕の気持でもある。
今年も、何人もの人を見送ってきた。僕の人生に強く影響を与えてくれた人、優しくしてくれた人、力になってくれた人。僕は、あなたたちのことを生涯忘れない。いつまでも、いつまでも、僕の追憶の中に生き続けてもらう。
でも、もうあえないんだな。さびしいね。
心の焦点があわない日々が続く。
今年は秋から冬にかけて、葬式によく出た。
冠婚葬祭の中でも葬式は前触れなく行われるもので、なんともいたしかたないのだが、3ヶ月で4回は多くないかい? どうしてみんなそう足早に逝ってしまうのか。
なんだかどうも葬儀会場にばかり足を運んでいたような気がする。葬式は今、都市部ではほとんどが専門の葬儀会場で執り行われるので、お宅へ伺ったりすることは、ほぼない。無味乾燥であるような気もするが、時代だろうか。
どこも同じようなつくりであるため、ふと錯覚を起こし「先週も来たな」とか思ってしまう。
話が変わるが、こういう葬儀会場が増えてきたのはいったいいつごろからなんだろう。
高度成長期だろうか。家の主流がマンションなどの集合住宅となれば、そこで葬式をするわけにもゆくまい。寺院で執り行うこともあっただろうが、非檀家の核家族の割合が高くなればお寺さんでの葬式も難しくなっていく。
僕の祖父母の時代は、まだ自宅葬だった。家に祭壇が作られ、そこから出棺した。まだまだ昭和の時代のこと。ただ母方の祖母は長命し、亡くなったのは平成になってからで、葬儀は斎場で行われた。時代が変わったのだ。
今は老人人口が多くなり、葬儀会場がどんどん新設されているように思える。介護施設と並んで盛況なビジネスとなっているのではないだろうか。もしかしたら過当競争になっているかもしれない。新聞にも毎日のように斎場のチラシが入っている。
電話による勧誘も多い。とある日に僕が電話に出れば「セレモニーホール○○ですが」と。あちらも仕事でやっていることで大変だろうとは思うが、葬儀の予定などを訊ねられるのは気分の良いものではない。妻に尋ねると、平日もあちこちからかなり掛かってきているようで、電話に出るのが嫌になったと言う。
11月には叔父が死んだ。急死だった。
父の弟だが、これで6人兄弟の長兄である父も、三人の弟を失ったことになる。
さすがに父の落ち込みは見ていて辛くなるほどで、最も年長である自分が何故生きているのか、などという。もう一人の弟も、今は車椅子でしか動けない。僕からすれば、他の叔父たちと違い酒も煙草もやらずストイックに過ごしてきた父は長生きしてもらわねば困るのだが、本人としてはいたたまれないのだろう。
叔父の葬儀も、やはり会場で行われた。
慟哭を聞くのは、辛いものだ。
葬儀が始まると、音楽が流れた。どこかで聴いたことがあるのだが、すぐには思い出せない。「これ、何の曲やったかな?」と僕が独り言のように言うと、隣にいた叔母(父の妹)が「ロッホ・ローモンドや」とすぐに言ってくれた。あっそうか。
スコットランド民謡の名曲だが、こういう澄んだ美しいメロディは、もしかしたら葬儀に合うのかもしれないと思って聴いていた。聴くうちに、涙が出た。
ただ、叔父が指定したわけではあるまい。葬儀場が用意していたものだろう。血管が破れ救急車の車中ではもう既に意識が無かった叔父が、そんなことまで遺言をしたはずがない。
葬式に音楽を流す、というのは、おそらく葬儀場が始めたことではないか。自宅葬の頃は、そんな習慣は無かったのではないかと思う。つたない経験からの話で、実際はそうではないかもしれないが。あれ、キリスト教の葬儀では讃美歌が流れるのだったっけ。「主よ御許に近づかん」というのは、フランダースの犬の最終話を観て泣いた世代の僕としては、馴染みなのだけれど。しかし仏式だと、読経だよなあ。
最近は自宅葬においても音楽は流れるようで、以前とある田舎で葬儀に参列したとき、出棺の際になんとも言えない悲しい曲が流れた。曲名はわからない。インストだがどちらかといえば演歌調の曲で、ただ悲しみを助長させるだけに思えた。ああいうマイナー調の曲はどうなのかと思う。おそらく互助会が用意したのだろうと思うが、例えば結婚式の花束贈呈で「かあさんのうた」が流れるようなものだ。
ただ、葬儀に音楽が定着していることはわかった。
別の機会。「自分の葬式にどういう音楽を流したいか」という話題が妙に盛り上がった。主体は若い人で、葬儀に音楽は当たり前の世代らしい。
驚くことにその場にいただいたいの人はもう決めているようで、尾崎豊がいいだの「私は絶対にハナミズキ」だのと言っている。そうか。
僕は、そんなこと考えたこともなかった。叔父の葬儀の前で、ロッホローモンドなどもまだ聴いてない。尋ねられたのだが気の利いた答えも言えず窮して「どうせ自分は死んどるんやしそれを聴くこともできんやないか」などと冷や水を浴びせるようなことを言ってしまった。場の空気もみず誠に申し訳ない。
僕は、葬式自体が必要ないと思っている。
昨年、別ブログで村落墓地の連載をしたため、民俗学的に葬儀というものの歴史と実態についてかなり様々な書籍を読んだ。考えるに、現在の葬儀というものは江戸時代の檀家制度、寺請制度の名残で、そんなものは僕個人には関係ない。信仰心もなく、死んで浄土に行くとも地獄に落ちるとも思えないので、戒名とかはどうでもいい。
夏に、内臓にヘンなものが見つかって入院した。僕も死を考え、妻に「葬式はせんでええぞ。金がかかりすぎる。どうしてもと周りがやかましく言うなら、とにかく最低ランクでやって。金は残せ」と言ったら、妻が「縁起でもないことを」と怒った。
そのときも、さすがに音楽までは考えなかった。
葬式にふさわしい音楽とは、なんだろうか。
おそらくは、インストがいいのだろうと思う。そしてきれいな曲で、マイナー調でないほうがいい。葬式と言ってすぐに思いつくのはショパンの葬送行進曲だが、これが掛かっていたのを聴いたことがない。おそらく、生々しすぎるのだろう。
まあクラシックか。「G線上のアリア」とか「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか。ラヴェルは実際に聴いたことがある。
歌詞があるものは、相応ではないような気がする。まあ洋楽であればいいか。言葉の意味がわからないほうがいい。ロッホローモンドは、そういう意味でもふさわしい気がしてきた。もっとも、僕が実際に聴いたのはインストだったけれど。
もっと明るくゆくなら、カントリーの名曲「Will The Circle Be Unbroken」がある。加川良さんのカバー(その朝)や、なぎらさんのカバー(永遠の絆)が有名だが、やはりここは原曲か。
will the circle be unbroken
by and by load by and by
there's a better home a-waiting
in the sky, lord, in the sky
やっぱりダメだな。なんか泣きそうになる。
ハンバートハンバートの「大宴会」なんかもいいとは思うんだけれど、こういうのはBGMになりにくいからやっぱりふさわしくないかな。
今は、自分が死ぬときに、どんな音楽が流れていたらいいか、を茫洋とした心のままに考えている。
葬儀は必要ないし、もしも自分の葬儀がなされたとしても、僕はそれに出席していないのだから、どうでもいいと言える。
いちばん好きな歌を聴きながら逝くかな。そうなると「他愛もない僕の唄だけど」とかになるけど、なんか違うな。
終焉を迎えるときに去来するものとは何だろうか。
それは、自分自身にとっては、追憶しかないと思っている。
おそらく「思い出」だけが、最後に残るものだ。あの世が信じられない以上、歩んできた足跡だけが僕には残される。そのめぐる追憶というものが幸せなものであったならば、莞爾として人生を終えることが出来る。
そのとき、僕が独りであれば、もう何も思い残すことはない。
僕には子供がいないため、心配なのは妻だけだ。彼女を残してゆくのは忍びない。つまり妻より一日でも長生きすればいい。だから、老いるまで何としても生き延びなければならない。
そしてこの世を去ったあとは、いったい何が残るだろうか。
墓標などいらない。骨なんかは産業廃棄物でいいと思っている。そもそも、子孫がいない僕の墓など一瞬で無縁となる。だいたい墓を建ててくれる人などいるのだろうか。甥や姪に金を置いて死ねば建ててはくれるだろうが、無駄なことだ。
近親者や友人が、まだそのときにいるとすれば、彼らに多くは望まない。すぐに忘れ去られるのも寂しいから、なんとなしにあんな男がいたと記憶の片隅に置いておいてくれればいい。
功成り名を遂げた一部の人とは違い、僕も含めた市井の人間は、居なくなれば語り継がれることなどない。だから、僕が居なくなって、さらに僕のことを直接知っている人も居なくなれば、僕という概念上の人間もまたこの世から消える。
そこまで思いめぐらして、べーやんの「忘れな詩」が浮かんできた。
もしも私がうたい終わってギターをおいてこの場所を遠く去る時に
誰一人うしろ姿にふり向く人はいないとしても それでいい 想い出一つ残せれば
この詩を書いた中村行延さんは、今どうしてらっしゃるのかなあ。公式サイトも消えている。行延さんが出なくなってから「きらきらアフロ」も見なくなった。喫茶店を閉店したあと、就職されたというような話はおっしゃられていたが…おそらくはどこかで歌っておられるとは思うのだけれど。
けれどあなたの青春のどこかの季節に まぎれもなく私がそこにいたことを
いつまでも いつまでも 忘れないでいてほしい
あなたにだけは この詩 忘れないでいてほしい
忘れないで欲しい、というのは、本音ではあるけれど、そこまで強くは望んでいない。何かの機会に、思い出してもらえる存在であったならいいな、という程度。そんな気持ちを、べーやんの歌に託したいという思いが、今はある。
そしてそれは、逆に今を生きる僕の気持でもある。
今年も、何人もの人を見送ってきた。僕の人生に強く影響を与えてくれた人、優しくしてくれた人、力になってくれた人。僕は、あなたたちのことを生涯忘れない。いつまでも、いつまでも、僕の追憶の中に生き続けてもらう。
でも、もうあえないんだな。さびしいね。
長いこと書いてきてよかったと今しみじみ思っています。
年末には、iPhone紛失
年明け早々に、やらかした失敗(笑)で
隠遁生活(笑)を送っています。
私もずいぶんと人を見送りました。
今は見送る世代なのかもしれません。
母を見送った時、人があの世に持っていけるものは思い出だけだと痛感しました。もともと物欲はない方ですが、形に残るものよりも記憶に残るものを大切にしたいです。その記憶さえ、認知症になれば自分には残らないかもしれない。
だったら、家族や周りの人の記憶に残してもらえたら…と。
私の場合、父も母も急逝したので
2人の葬儀のBGMは私が選んでCDを持ち込みました。
故人の好きな歌で送りたかったから。
自分の葬儀の際には
流してもらう曲をCDにしておこうと
リストは作ってあります。
自分の終焉を考える世代にもなったのかも知れません。
♪忘れな詩は大好きな歌です。
大切な人が最期に歌った歌です。
中村行延さんも、最近、ぼちぼちライブなどをやられているそうです。
お互いにぼちぼち…やりましょう。
この話はちょっと暗めでして…昨年はいろいろありましたもんでね。どうしても気持ちがマイナス方向に。葬式の音楽の話なんて、なんで書いてしもたんやろ(笑)。
「終活」という言葉が嫌いであると以前に書いたことがあると思います。それは略語にすることによる積極的な流行の仕掛けに抵抗がある、ということがあるんですけど、今思うのは、人生の終焉に向かって何やら準備するのは良いのですが、自分ならそんな「活動」なんて言葉を用いず、密やかにしておきたいなと。
べーやんの歌は気持であって、「忘れな唄」を葬式に流してくれ、とはさすがに頼みません。「いつまでも忘れないでいてほしい」なんて押しつけがましいことはとてもとても(笑)。
しかし、ここ数年見送ることが多くなってきましたね。つらいなあ。
「大切な人」とは、べーやんが好きな星になった人でしょうか。行延さんもご健勝のようでなにより。アラレさんは、くれぐれもお大事に。無理しちゃダメですよっ(汗)。
何年も経った後、
何気にネットサーフィンしてて、
こちらのブログに辿り着きました。
本人元気に今でも歌って居ます。
毎年2月にbirthdayliveも開催してますし、
今月より、
インターネットラジオ
レディオバルーンにて、
毎週日曜13時より、
🎶中村行延のフォーク大辞典🎶
と言う番組みするようになりました。
本職としてではなく、
あくまでも楽しんでされてますので
機会がありましたら
ラジオ
又はliveにもお越しくださいませ🎸💕
facebookで『中村行延』検索結果していただいたら、
今の本人の写真等も載っております。
これからもお心に留めて頂ければ幸いです。