音源入手の方法には様々なものがある。
もちろんCDを買うのが当たり前であるし、現在では携帯やパソコンにネットからダウンロードすることも一般的である。また、レンタルCDもまだまだ隆盛であるし、昔のレコードを中古盤で購入したりすることも可能だ。そうやって、古いものから最新のものまで音源入手の方法には事欠かない。
僕が少年の頃は、まだCDの時代ではなかったし、ダウンロードなんてとんでもない時代だった。つまり、「アナログ」の時代。何かと不自由な時代だったのかもしれないが妙に郷愁も覚えたりする。
高校生になってアルバイトが出来るようになるまでは、もちろん自分の自由になるお金などはごくわずか。その頃の僕の音源入手の方法と言えば、①両親や祖父母をそそのかして甘えてレコードを買ってもらう。②リッチな友人からLPを借りてコピーする。③FM放送や深夜放送などのラジオからのエアチェック。④TVから録音する。以上4パターンしかなかったように記憶している。レンタルレコード屋さんなどは少年の頃には記憶にない。TVから録音、などは今では考えられないが当時はよくやっていた。イヤホンジャックにマイク端子を突っ込んで録音した。よくスピーカーにマイクを近づけて録音した、「ご飯できたわよ」というかあちゃんの声が入っちゃった、などという笑い話がある。僕はイヤホンジャックから録音したのでそういうことはなかったが、当時のTVはイヤホンジャックが二つあって片方はスピーカーの音も生かしながらイヤホンも使用できるというジャックだったので助かっていた。今ではTVにイヤホンジャックはたいていひとつしか付いていないのでこういう芸当は出来なくなった(別にする人もいないけど)。
そんなふうにして、僕は録音済カセットテープの山に囲まれていた。もちろんこれらのものは音は悪く保存も永遠とは言えないのでもうほとんどは四散している。しかし、「これは」というものは当時流行った「メタルテープ(懐かしいですね)」にダビングして保存した。今でもそれらは手元にある。思い出深い珠玉の歌の数々。表題の「他愛もない僕の唄だけど」はその中の一曲である。そしてこの歌は今に至っても僕のいちばん好きな歌である。
ヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」。これについては、以前シャインズ「風のように光のように」で触れたことがあるけれども、当時ポプコンの入賞曲はよくエアチェックしていた。そこからデビューして売れていく人たちも多かったけれど、多くの歌は埋もれていってしまった。
1977年春のポプコン。僕は小学六年生だった。この年も、僕はラジオのコッキーポップからその年のポプコンの様子を録音していた。もう世界歌謡祭とポプコンはリンクしていて世間の注目を集め始めていたけれども、そこから生まれたヒット曲といえば、小坂明子「あなた」や中島みゆき「時代」くらいで、さほど派手ではなかった。この年の秋のポプコンで「あんたのバラード」がグランプリをとって世界歌謡祭でも優勝し、「夢想花」「大都会」「街が泣いてた」へとポプコン・世界歌謡祭が完全リンクして確実にヒットする時代が来るちょうど一つ前である。
その春のポプコングランプリは小野香代子の「さよならの言棄」だった。そして、入賞は惜しくも逃したけれども、児雷也の「他愛もない僕の唄だけど」が出場曲の中にあった。
黄昏にはうつむきかげんの少女がよく似合う
寂しそうな目をして佇んでいる 一人ぼっちで
僕はと言えば古びたギターケースに腰掛け
くわえた煙草に火をつけてため息ひとつこぼした
十字路には買い物帰り 立ち話のおばさんたち
なんでもない曲だったと思う。派手さは全くない。ただ、妙に心に残った。優しいメロディーと、日常の光景を描写した詞。まだ小学生だった僕は煙草に火をつけたこともなくギターもまだ持っていなかったけれども、この曲が通奏低音のように僕の心に流れ離れなくなった。この曲を僕はメタルテープにダビングして繰り返し聴いた。
いつも僕がブログでフォークの話を書くときには、いろいろな思い出話を付随させるのが常であるけれども、この曲にはさしたる思い出もない。ただ「好き」というだけである。中学に入り質屋で4800円の白いギターを買って自分で奏でるようになったときにも、教則本以外でまず自力でコピーしたのはやっぱりこの曲だった。いろいろなアンケートで「あなたの一番好きな曲は?」という問いかけにはいつも「他愛もない僕の唄だけど」 と記入した。知っている人は皆無だったけれどもそれでいいと思っていた。好きなものはしょうがない。
別れの辛さもいつかは巡る季節に忘れるだろう
くわえた煙草の煙の中で少女が少し笑った
寂しいのは君一人じゃない 誰でもみんな寂しいはずさ
以来30年近い月日が流れた。レコードも出ていたはずだったのだけれども子供だった僕は買うこともしなかったので、この古いカセットテープに入っている音源が僕にとっては唯一である。
ちょっと検索して調べてみると、児雷也さん、というかこの曲を作って歌った上隅信雄さんは、今は地元愛媛でライブハウス「児雷也」を経営して、音楽活動も続けてらっしゃる様子。HPはこちら。地元のFMではよく出演されていらっしゃって、ファンも多いらしい。
他愛もない僕の歌だけど 少しは君を慰められるだろう
他愛もない僕の歌だけど 少しは君を幸せに出来る…
いつか児雷也さんのライブハウスに行ってみよう。僕はファンとも言えない、レコードの一枚も持っていない人間だけれども、この「他愛もない僕の唄だけど」が僕にとっての、永遠の「MY FAVORITE SONG」であることに間違いはないのだから。
もちろんCDを買うのが当たり前であるし、現在では携帯やパソコンにネットからダウンロードすることも一般的である。また、レンタルCDもまだまだ隆盛であるし、昔のレコードを中古盤で購入したりすることも可能だ。そうやって、古いものから最新のものまで音源入手の方法には事欠かない。
僕が少年の頃は、まだCDの時代ではなかったし、ダウンロードなんてとんでもない時代だった。つまり、「アナログ」の時代。何かと不自由な時代だったのかもしれないが妙に郷愁も覚えたりする。
高校生になってアルバイトが出来るようになるまでは、もちろん自分の自由になるお金などはごくわずか。その頃の僕の音源入手の方法と言えば、①両親や祖父母をそそのかして甘えてレコードを買ってもらう。②リッチな友人からLPを借りてコピーする。③FM放送や深夜放送などのラジオからのエアチェック。④TVから録音する。以上4パターンしかなかったように記憶している。レンタルレコード屋さんなどは少年の頃には記憶にない。TVから録音、などは今では考えられないが当時はよくやっていた。イヤホンジャックにマイク端子を突っ込んで録音した。よくスピーカーにマイクを近づけて録音した、「ご飯できたわよ」というかあちゃんの声が入っちゃった、などという笑い話がある。僕はイヤホンジャックから録音したのでそういうことはなかったが、当時のTVはイヤホンジャックが二つあって片方はスピーカーの音も生かしながらイヤホンも使用できるというジャックだったので助かっていた。今ではTVにイヤホンジャックはたいていひとつしか付いていないのでこういう芸当は出来なくなった(別にする人もいないけど)。
そんなふうにして、僕は録音済カセットテープの山に囲まれていた。もちろんこれらのものは音は悪く保存も永遠とは言えないのでもうほとんどは四散している。しかし、「これは」というものは当時流行った「メタルテープ(懐かしいですね)」にダビングして保存した。今でもそれらは手元にある。思い出深い珠玉の歌の数々。表題の「他愛もない僕の唄だけど」はその中の一曲である。そしてこの歌は今に至っても僕のいちばん好きな歌である。
ヤマハが主催していた「ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)」。これについては、以前シャインズ「風のように光のように」で触れたことがあるけれども、当時ポプコンの入賞曲はよくエアチェックしていた。そこからデビューして売れていく人たちも多かったけれど、多くの歌は埋もれていってしまった。
1977年春のポプコン。僕は小学六年生だった。この年も、僕はラジオのコッキーポップからその年のポプコンの様子を録音していた。もう世界歌謡祭とポプコンはリンクしていて世間の注目を集め始めていたけれども、そこから生まれたヒット曲といえば、小坂明子「あなた」や中島みゆき「時代」くらいで、さほど派手ではなかった。この年の秋のポプコンで「あんたのバラード」がグランプリをとって世界歌謡祭でも優勝し、「夢想花」「大都会」「街が泣いてた」へとポプコン・世界歌謡祭が完全リンクして確実にヒットする時代が来るちょうど一つ前である。
その春のポプコングランプリは小野香代子の「さよならの言棄」だった。そして、入賞は惜しくも逃したけれども、児雷也の「他愛もない僕の唄だけど」が出場曲の中にあった。
黄昏にはうつむきかげんの少女がよく似合う
寂しそうな目をして佇んでいる 一人ぼっちで
僕はと言えば古びたギターケースに腰掛け
くわえた煙草に火をつけてため息ひとつこぼした
十字路には買い物帰り 立ち話のおばさんたち
なんでもない曲だったと思う。派手さは全くない。ただ、妙に心に残った。優しいメロディーと、日常の光景を描写した詞。まだ小学生だった僕は煙草に火をつけたこともなくギターもまだ持っていなかったけれども、この曲が通奏低音のように僕の心に流れ離れなくなった。この曲を僕はメタルテープにダビングして繰り返し聴いた。
いつも僕がブログでフォークの話を書くときには、いろいろな思い出話を付随させるのが常であるけれども、この曲にはさしたる思い出もない。ただ「好き」というだけである。中学に入り質屋で4800円の白いギターを買って自分で奏でるようになったときにも、教則本以外でまず自力でコピーしたのはやっぱりこの曲だった。いろいろなアンケートで「あなたの一番好きな曲は?」という問いかけにはいつも「他愛もない僕の唄だけど」 と記入した。知っている人は皆無だったけれどもそれでいいと思っていた。好きなものはしょうがない。
別れの辛さもいつかは巡る季節に忘れるだろう
くわえた煙草の煙の中で少女が少し笑った
寂しいのは君一人じゃない 誰でもみんな寂しいはずさ
以来30年近い月日が流れた。レコードも出ていたはずだったのだけれども子供だった僕は買うこともしなかったので、この古いカセットテープに入っている音源が僕にとっては唯一である。
ちょっと検索して調べてみると、児雷也さん、というかこの曲を作って歌った上隅信雄さんは、今は地元愛媛でライブハウス「児雷也」を経営して、音楽活動も続けてらっしゃる様子。HPはこちら。地元のFMではよく出演されていらっしゃって、ファンも多いらしい。
他愛もない僕の歌だけど 少しは君を慰められるだろう
他愛もない僕の歌だけど 少しは君を幸せに出来る…
いつか児雷也さんのライブハウスに行ってみよう。僕はファンとも言えない、レコードの一枚も持っていない人間だけれども、この「他愛もない僕の唄だけど」が僕にとっての、永遠の「MY FAVORITE SONG」であることに間違いはないのだから。
コッキーポップ懐かしい!!
私のいたところでは、確かオールナイトニッポンが始まる前の時間帯で一番眠気と戦う時間だったような…(笑)ポプコンの曲も録音していたはずです。
テレビからの録音も同じです。
日立Padiscoのマイクは、ハンズフリーマイクもあり、テレビに近づけては、家族の会話がはいってしまったり…後に、イヤホン端子からの方法を
知り、失敗しなくなりました。
ビデオなども我が家にはなく、当時大学生の兄が
プロポーズ大作戦のフィーリングカップルに出演した時も、タイムショックに出演した時も、カセットに音だけを記録しました。
あの頃のカセット
全部ではないですが、大切なものだけ
持ってきたつもりですが見失ったものも
たくさんあることを思い出しました。
児雷也さんの曲、残念ながら思い出せません。
でもきっと、聞いたらわかる?かも?
時間が出来たら、カセットからMDに録音し直そうと思いながら出来たのは、青春キャンパスの自分の手紙が読まれたコーナーのだけです(笑)
あの頃、カセットが宝物だったけど今ではCD-Rが
当時のカセットの値段の1/10で買える時代。
何度も消したり、録音したり出来たカセットが
大好きでした。
青春キャンパスで採用されたのですか。それはすごい。僕もラジオには何回か投稿しましたが採用されたためしがない。女性立ち入り禁止コーナーにも出したことがあるのですけどね(笑)。
カセットテープは残念ながら消耗品。しかしながら、思い出のテープは結構保存しています。聴くと多分ノビノビになっているのでしょうなぁ(汗)。
まさに同感です
本当にそうなんですが、私も記憶から消えない歌です
その気持ちを表現したくて私はブログを始めたくらいです
同じように思っておられる方がおられて、嬉しい思いがします。ヒットした曲ではなかったかもしれませんが、心から離れない。
なみいる名曲が世の中には存在し、僕も何曲も記事にしてきました。しかし今でも「一番好きな歌は」との問いにはやはり「他愛もない僕の唄だけど」の一択です。
SHIGEさんの「その気持ちを表現したくて私はブログを始めた」というお言葉にじーんときてしまいました。
ところで、「ヨーコハマ be too much memories」って増田俊郎さんですか? だとしたら懐かしい…。