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「でにをは」別口入力・三属性の変換による日本語入力 - ペンタクラスタキーボードのコンセプト解説

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異業種フィールド横断ビジネスの最後のシナジーは『言語』である

2020-01-23 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

ゲーム・チェンジャーの競争戦略


早稲田大学ビジネススクール教授の内田和成氏による著書『ゲーム・チェンジャーの競争戦略 ―ルール、相手、土俵を変える。』を読みました。
企業間競争においてテクノロジーの進歩、物流の効率化、グローバル環境の変化、イノベーション発想の転換などによって既存の支配的だった企業が否応なしに競争に巻き込まれ
従来のビジネスモデルではうまくいっていたものが新しい局面では逆に変化に踏み切れない足かせとなって新興の競争相手に打ち負かされてしまうケースがみられてくるようになってきました。
競争のルールそのものを変えてしまう「ゲームチェンジャー」の出現にどのように対抗していくのか、この本では攻める側だけでなく攻められる側――既存プレーヤーの戦い方にも注目して戦略の鍵となる要素を我々に示してくれます。
なかでも印象に残ったのが競争を仕掛けてくるゲームチェンジャーの4つの類型
・秩序破壊型(Breaker)
・市場創造型(Creator)
・ビジネス創造型(Developer)
・プロセス改革型(Arranger)
のマトリクスの説明と各章がそれぞれのテーマを掘り下げて詳述してあるところです。
私自身の理解力と読み込みが足らなかったせいか「市場創造型」と「ビジネス創造型」の違いがよく分からなかったのがありますがこのブログで描く未来展望を念頭に置きますと大いに触発されるものがある内容でした。

最近特に気になるのが「プラットフォーマー」と呼ばれる多数の消費者や事業者の基盤となる製品やサービスを提供している企業とその動きです。
例えばGoogleは検索(とその広告)だけで食っているのではなくてMapやYoutube、AndroidOS、日本語入力なども手広くやっていてその影響力は今や私たちの生活に欠かせないものとなってきています。
Amazonもショッピングだけではなくてプライムビデオや音楽ストリーミングやAWS(クラウドウェブサービス)などその事業領域は多岐にわたっています。
両者に共通しているのは展開する事業領域が単一・専業ではなく、ITのシナジーを余すところなく活用し多方面に展開していながら経営資源がバラバラになるのではなくてトータルでしっかりと統合されている事です。
特にAmazonプライムのサービスなどはプライムビデオ動画と映像ソフト販売の食い合いも内包しつつの構えではあるものの、お急ぎ便やプライム配送料無料のメリットもさることながらKindle電子書籍からミュージックまで生活からコンテンツ環境全方位の至れり尽くせりぶりは見事というより他はありません。
彼らは異業種の垣根を取り払うことで有機的なシナジーを生み出し、ビジネスの総体を拡張しながらユーザー目線の巨大なエントリーゲートを構えて丸飲みしてくるかのようです。
これは私見ですが、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのNetflixやHuluのような専業的プラットフォーマーは今はいいですがこのままソリッドな形態のままでいると一気に形勢が動いてしまうリスクを裡にはらんでいるのではないか、と思っているのです。
動画サブスクリプション業界は目下競争激化で新たな参入者も控えておりせっかく育った市場ではあるのに消耗戦で焼け野原になってしまう展開が待っているのやもしれず、市場の動向は目が離せないところであります。
そういった意味では専業事業者にとってはややリスクが高いのではないかと一段下の認識を持っています。
もちろんプライムビデオのラインナップは前者に比べるとやや見劣りがしますがAmazonはサービス総体でいえばまだ情勢に柔軟に対応できるだけの方策のバッファがより大きいように思えるのです。
しかし専業では一本足であるところの脆弱性ゆえか突発的事態に対してできる選択肢が限られてくるのはよく考えれば自明の理でありますし今後の動向を注視していくことが求められていくと思います。

ここで今回の記事を作成するのに役立ったWeb上の記事、特に異業種をライバルとみなす現代の趨勢を読み解く記事があったので下にあげておきます。

Netflix「ライバルはフォートナイト。すでに負けている」と発言。TV画面の奪い合い激化 - Engadget 日本版
・私どもは、自分たちのライバルは何だと考えているかというと、「お客様の興味関心と時間とエネルギーを奪い合うすべてのものがライバルだ」と思っています。特定のものだけをライバルだと考えますと、「そのライバルにいかに勝つか」という発想になるんですね。(任天堂:岩田聡)
2010年6月29日(火)第70期 定時株主総会 質疑応答
トヨタ「ライバルはもうホンダではない」の真意 全ての企業の競争相手はGAFAである | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

さて、当ブログでもぶちあげているペンタクラスタキーボードの目指すシナジーとはいったい何なのか…単に日本語入力・IME・テキスト作成の枠内だけにはとどまらずいろいろ夢想しながら業界を股にかけていくのだ、と意気込んでおるところであります。
コンテンツ方面もマーケティングの新領域も手を尽くしたとばかりに腕組みしている場合ではありません!新たなフロンティアを模索しているのでしたら原点に立ち返って残された最後のシナジー、『言語』をもう一度見直してみてはいかがでしょうか?
業界関係者様、アカデミック方面の方々…コーディネートお待ちしております。

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ポメラの立ち位置が面白いのでこの方面の新セグメントを夢見る

2019-05-23 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解

思いついた文章をさっと開いてパッとメモ…2008年に初代機が発売されて以来各所から絶大な支持を誇るデジタルメモツール、『ポメラ』(キングジム開発製造販売)。
文字入力専用と思い切ったコンセプトながら日常動作に優れており、バッテリー長持ち、開いて即起動、使いやすい日本語入力ATOK搭載、キータッチもメカ的に快適、黒バックに白文字にもできる。
…ヒットするのもうなづける、非常に練り込まれた商品だと思います。

さて我がペンタクラスタキーボードもデバイスとしての位置づけやユーザー層や使用シーンの想定など外的環境への目配りをしっかりしなければなりません。
当然冒頭で紹介したポメラからくるインスピレーションもあるかとは思いますがここまで割り切った作りには到底追いつけそうもないので、拙案なりの独自の道を切り開いていくしかありません。
ペンタクラスタキーボードはとにかくデカいので、ノートPCみたいに液晶開閉のブック型に収めるのは難しいので、タブレット+スタンド+キーボードみたいな形にどうやら落ち着きます。
要は、マウス+キーボードのインターフェイスを捨てずに、画面はタブレットPCみたいにスタンドアロンでも動作する…といった具合でなにやら面妖なシロモノではあるのですが、
現時点でも存在する取り外しもできるタブレット一体型PCとよく似た構成ではあるのですが、既存型のマルチ/分離タイプとは味付けが少々異なり、ビューアorマウス依存というべきなのか何だかよくわかりませんが主従関係が色濃く出ており、タブレットとしては検索窓に入力するぐらいはできるものの基本的にはWeb閲覧/メディアビューアとしての[見る]に重きを置いております。
他方、文章入力とマウス使いのWeb閲覧(コピペやページ検索)は通常の[見る]だけの行為とは一段別ものとして扱い、これを通時の使い方としてマウス複合オペレーションを[主]に置いたウエートのあるデバイス(キーボード稼働)が最適形なのかな、と思っております。
無論、問題はあります。
バッテリの問題、実質2デバイスであること、タブレット使用時の日本語入力はペンタクラスタキーボードの良さを生かし切れていないそっ気のないプレーンな変換システムとして併存させるのはそれだけのためにあるのはもったいない、起動の早さは望めそうもない、等々…。

普通なら中途半端に欲張ってて割り切りもない筋の悪いコンセプト。
コスト度外視のガジェット道楽ふぜいになりそうなシロモノ。
こんな立ち位置、市場として成り立つわけがない、などのお叱りを受けそうですが
やれ執筆だ創作だと肩ひじ張ったニーズのその手前に、数多の潜在マジョリティである、ものぐさ/無精/怠け者のニーズに応えるスタイルもあっていいのではないかと…。
ネットを徘徊しながらちょこちょことメモメモしたり→後でそれを切り貼りして適宜加筆してテキストを作り上げる、作業っていうのも発信型ではなくて蓄積型の人にはよく見られる使い方だと思うのです。
インプットの多い時代に情報の断捨離も求められる昨今ですが、溢れくる情報も捨てられない…そんな人たちへの受け皿となってくれるはずです。

先程のポメラは単体で成り立っている自己完結した製品であるところも特筆すべきところであります。
なにしろストアとかアプリだとか余計な事を考えなくて済むのがいいです。(最新機種ではiPhoneとの連携や無線LAN搭載などもありますが)
ペンタクラスタキーボードにおいてもあれこれ盛り込んで欲張ってしまうとエコシステムの構築・管理に多大な労力を割かれてしまうので、サードパーティを広く招き入れての"プラットフォーム志向"ではなく、
単なる道具に徹する"ツール志向"を貫いて、言い方はアレですけれど中央集権的に、ミニマリスト的に覚悟をもって処すことが肝要ではないかと思います。
この立ち位置を表すとしてもPC/スマホ/タブレットそれぞれの役割に収まりきれるものではなくあえて名前を付けるなら「ポメラセグメント」あるいは
メディアビューア、Web閲覧も織り交ぜてのペンタクラスタキーボードの有り様をより切り取る言葉として「ゾーシ(草子・ZOSI)デバイス」なるものを提唱したいと思います。
既成概念を打破するにはまず名づけから…ということで付けたこの概念ですが、拙ブログでは時々トンチンカンな事を言ってしまうのが悪い癖でして申し訳ありません。
ですがこの「草子」という言葉は娯楽的な書物という意味もあり、カジュアルなニュアンスももちつつ「絵草子」などのようにテキスト以外のメディアビューアのイメージの広がりにもピッタリだと思うのですが、どうでしょうか?
草稿・草案・起草といったドラフトの作成過程で使われる「草」の一文字を使うことにも大きな喚起力があります。
単体での読み方は「そうし」ですが、あえての意味を持たせるための際立たせの用をもたせるために「ZOSIゾーシ・デバイス」としてみれば、なにやら先進的でカッコいいものに見えてくるからなんだか不思議です。
こういった言葉は車輪の再発明というかすでに同様の概念があるかもしれませんがペンタクラスタキーボード界隈としましてはこの用語を使いたいと思います。

 
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粒度考:「視野を広く持つ」ではなく「構えを洗練させてみる」の方がしっくりくる

2018-09-27 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解
物事を分割することで「構造」が生まれ、推論や指示系統や相互関係などの「シナリオ」が自ずから喚起される――いきなり抽象的な話から入っていきましたが、物事の枠組みを決定するうえで、分割のスタイルというのは重要なところです。
これは言語においても多分に当てはまります。日常の頻出事項はきめ細かく要素が生まれ、そうでないものは面倒をもって何かの複合的な概念としてなんとか言い表して事を済ませます。
日本語においては梅雨、時雨、五月雨、小糠雨(こぬかあめ)など雨に関する語彙が充実しているのと同様に
英語だとcattle(集合的に畜牛)、cow(雌牛・乳牛)、bull(雄牛)、ox(去勢された雄牛)、calf(子牛)、beef(牛肉)など畜産系の語彙が発達しています。
逆に自国の語彙にないものはひと単語では言い表すことができず、既存語の組み合わせによってあらわすことになります。
これは世界の切り取り方そのものです。切り取り方ひとつで世界の見え方が変わって見えてそこの語彙背景を匂わせながら陳述に動きやムードを纏わせることができます。

話は変わってペンタクラスタキーボードの世界の切り取り方はどうでしょうか。
「でにをは別口入力」によって助詞の境界はハッキリしたおかげで無用なセパレート変換候補は排除されて選択肢が絞られてよりシンプルな世界を目指した、とも言えます。
その一方で助詞でも非助詞であっても統一的にまな板にのっけられることのできた形態素解析のプロセスに余計な分断をもちこんでしまいむしろ事態を複雑化させてしまっているというのも見方によっては真実です。

こういった何に力点を置くか、それによって変わってくる世界の捉え方は「業務プロセスの粒度」であるとか「サービスの粒度」といった形で分解能のきめ細やかさの度合いをこう呼ぶビジネス用語が定着してきておりますが、私流のアレンジを加えると尺度にこだわらずスタイルそのもののありかたをふわっと描いた言葉として、
「粒様」(りゅうよう)といった造語も同じく使っていきたいと思います。
粒度を枝の例えに言い換えることもできます。枝の分岐が2~3又に分かれるのか、多数の枝に一気に分岐するのかという数量的な要素ももちろんありますしもっとイメージで伝えるとしたなら曲がりくねった枝ぶりであるとか峻厳な佇まいの枝ぶりもあるでしょうし、こういった「味」を解釈するうえでは「粒様」のほうが抽象的でより察しがつくというものでしょう。

「井の中の蛙大海を知らず しかし空の深さを知る」という改変ことわざも、一見負けず嫌いのやせ我慢からでた感が見え隠れする表現ではありますがこれもある意味では粒度の幅を絞ってその一方で「空」という深いレイヤーへのリーチはいつでもアクセス可能!…みたいな「選択の潔さ」からくる新たな地平の可能性に気づかせてくれる素敵な表現だと思います。
これとは対極に
「天網恢恢疎にして漏らさず」というのもぼんやりと目に見えないくらいのゆるい網、これは可算数個の粒度では説明しきれず不定数の粒度の概念を持ち込むかのごとくでありますがそのたどり着く先は「すべて漏らさぬ包囲網」であってここにいろんな神秘の明知が詰まっています。
これら二つの例も「粒度の運用法」という共通の眼差しから見たら統一的に説明のつくまな板の問題と捉えることができます。

ここで冒頭のタイトル「視野を広く持つ」ではなく「構えを洗練させてみる」の方がしっくりくる…に立ち返って思いを巡らせてみたいと思います。

粒度・粒様にいろんなパラメータを投げかけることで私たちはさまざまな世界の捉え方を描出できる術を手にしてはいますがそれだけでは世界の全てを知った事にはなりません。
私たちは俯瞰的なポジションにいるとつい錯覚して画一的な操作概念でアクセス可能な事象しかないと思い込んでいますがそんな保証はどこにもありません。
すべてが等価だとしたら先程の言語の例になりますが語彙も文法のなんでもMIXのちゃんぽん言語が効率化を目指した先の最終帰結となるわけですが、実際にはそんなふうにはならないのです。(今のところですが)
「視野を広く持つ」「価値観の多様化」といった言説には何か確固たる軸を持てない、大きな物語を持たない現代人の大いなる悩みから来た苦し紛れのぼやけた表現なのかもしれません。
特に「視野を広く持つ」というのは当世コレクター気質の現代人からすれば、カタログ集め、モンスター集めの営みでしかなくてコンプリート自体が目的化された書庫としての多様性しか意味しておらず奥行きに乏しいものであります。
「知っていれば」「持っていれば」それで終わり、の「そんな人もいるよね」程度の他人事のような世界観です。
このような有様では果たして「本当に知った」ことにはならないのです。
ネット情報に耽溺している私も、ついこんなことにはなっていてはしまいか、大いに自戒したいところです。もっと文脈も汲み取らねば…。

長々と書いてしまいましたが、大事なのは「視野」というスケールの問題ではなく、「構え」というルール/体系を自覚しながら行う営みのほうにより真髄があるのではないか、ということです。
なのでペンタクラスタキーボードのコンセプトもイロモノ扱い、変わり種扱いという辺縁のバリエーションと捉えてしまわれるのではなくなぜ(日アルファベット完全分離・でにをは別口入力・三属性の変換)このような「構え」をもつようになったか、その背景を噛みしめてもらいたいのです。

分かりにくい例えで恐縮なのですが「認知モアレを起こさない」ということも大事です。
「モアレ」とは、二つの規則的な模様が重なった際に起こる幾何学的な干渉縞のことでありますが、これをペンタクラスタキーボードの議論に当てはめると、品詞体系の整合性はどうするのか、変換アルゴリズムは最小コスト法みたいに助詞部分もスコア付けするのか
…みたいな従来線上の議論も当然出てくるかと思われますが、これは十分注意深く行わなければいけない、ということです。
わたくし当方といたしましては、そういった技術的なところで検証されることは喜ばしい事ではありますが、今までの確立された知見をもとにしてだけで話を進めてしまうと私の拙論ではあれがまずい、これがまずい、と厳しいダメ出しを食らうこともあるかとは思います。
ですがもう少しあたたかな立場でご検討をいただきたいということであります。
「構え」が違う以上、お馴染みの議論要素、論点であっても自己導出的な「常識の確認」に終始しているばかりでは何も建設的ではありません。「構えの中の『部分』」の話ですからわれわれは額面通りの論拠で斬るということはできずに、文脈ごと意味するところを論じなけれならないのです。
従来の日本語入力(①)と、ペンタクラスタキーボードの日本語入力(②)についてと、ほぼ同じような技術トピックをあたっているようなときであってもその背景の文脈の違いによって取り扱いを別ものとして扱う方が適切である場合もあるかもしれません。
評論の視点は、その時すでに「広い視野」の俯瞰視点に立っているとの前提でおこなわれますが、実際それが適格なものであるかどうかはふたを開けてみるまで分かりません。
「従来」の線上に①と②を載っけようとするから認識の齟齬=認知モアレが起きてしまうことになるので①②を「別の世界で起こった事象」と捉えて認識形を一から構築せねばなりません。別の世界で起こっている以上、当然物理法則も違うものなのです。


ほとんど抽象的な事ばかりであまり具体的な事には触れられなかったのですいません。
なにぶん模索中の身で自分の言いたいことすらわからない状態でありますのでご容赦頂きたいところなのですが、ここで語った思いのいくばくかが、今後具体的なところが見えてきたときにいつか羅針盤の役割になることができれば満足な事と思います。
今はとりとめもなく筆の進むまま思いの丈を書き連ねていったところであります。お付き合いありがとうございました。
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コンセプトが大事 単にアイデアだけであったとしても、それには価値がある

2017-06-12 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解
このカテゴリの中でも以前触れていましたが、このブログで書かれている解説・考察はまっとうな技術的知識にもとづいて書かれたものではなく力量不足を露呈しつつも不完全な知識でこうであろう、こう機能するであろうと言った推測、憶測をもとに書かれております。
しかもコンセプトを説明していく体においては当然のように~になります、~であるから…などの断定口調を用いておりいささか不誠実であるかもしれませんがコンセプトの筋を際立たせたいがために精一杯背伸びをしてこのような言い口になっていることをどうかご理解いただきたいと思います。
もちろん根本的なことで技術的な誤解があれば早急に訂正したいと思っておりますし、プログラミングに関して微に入り細に入った解説は自重したい…もとい話しようがないのであまり深入りはしないように努めております。
ただこうしたインターフェイスがいい、こんなデータでやりとりすればいい、などの使い勝手に関して色々と想像していくことは決して安易な考え方からきているのではなく、ユーザーの利便性の向上に真剣に向き合ってのことだと認識していただきたいと思います。

こんなブログ主ぴとてつではありますが、ペンタクラスタキーボードのコンセプトを現実に実装・製造も含めた「開発」プロセスとして実行していくのは今の段階では非現実的だとは重々自覚しております。
たとえ私じゃない誰か優秀な人がいたからといってこのような広範にわたるコンセプトを「個人レベルで」実現できる人物はどこにもいないでしょう。
このような状況では頼みになるのはひとえにコンセプトがどれだけ練られているか?の完成度に懸かっているのだと思います。
まるで夢想のように思われる方もおられるかもしれませんが力強いコンセプトやビジョンには現実の事業を引っぱりだす力が備わっていると思うのです。

レオナルド・ダ・ヴィンチのヘリコプターのように優れた洞察から生まれた空想の産物は、たとえそのままの形で実現しなかったとしても確かにその後の機構装置開発に多くのインスピレーションを与えています。
現代の流体力学・航空力学の知識のある人から見ればこんなの飛ぶわけがない、と一蹴されてしまうこのアイデアですが、この500年以上も前に描かれた一つのスケッチがこうして時を経て現代に花開くなんてロマンあふれる話ではないでしょうか。そこには普遍的な「原形」のもつ価値が宿っていたことを物語っているのだと思うのです。
つまりアイデアが大事なのです。ペンタクラスタキーボードの基本コンセプトには「かなとアルファベットの完全分離」「でにをは別口入力」「三属性の変換」の3つが謳ってありますが、この要件を満たすものなら何もぴとてつの考案した多少運指に難のある、筋の悪いキーボードのカタチにはこだわらずとも何か同等の機能のある別の機構で実現されても良いのです。
コンセプトのもつ力が人を動かし、その時代の要請する機能基準を満たすカタチにいくらでも変化をしつつ具現化されていったとしても、原形のもつ価値は揺るがないものです。

あくまでも想像ですがこのペンタクラスタキーボードの製品としての形態は何かタブレット端末みたいなものに付属する形になるのか、あるいはデスクトップパソコンのメインキーボードとして独立したものになるのか、さらにはノートパソコン単体の中で組み込まれていくのかは現時点では全くわかりません。
何が最適な形態としてどう完結していくのかは未来の話として任せるにしても、コンセプトの原形のアイデアル(理想形)なものが具体化を推進する源泉となって人々が「使ってみたい」という関心を惹くためのきっかけになると思うのです。
何かまるでこのコンセプトが実現化されて、やれ事業化されたらこうなる…やれ製品形態はこうなる…などとさも現実のように書いてはおりますが、実現を信じずに夢見るものなどいません。ブログ主ぴとてつは至って本気です。
人間の想像力が、現実の科学技術の制約に後れをとっては情けない話です。想像の力は型にはめられてしまうことなく、つねに現実に先行していなければなりません。
ペンタクラスタキーボードのコンセプトも今後どう転がっていくのかまだわかりませんが、技術の最前線をいく方たちにとって少しでも示唆を与えられるものであってほしいと思います。
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手続きを伝えるのではなく意図を伝える日本語入力

2017-05-17 | 当ブログの基本的な考え方・方針・見解
かな漢字変換の変換の使い勝手を良くするための手段として、特定の文法的カテゴリの語を専用のキーに割り当ててしまえばいいという考えは何もこのブログだけの提案というわけではなく日本語入力について考えておられる方なら誰しも一般的にもつ定見のようです。
2chのとあるスレッドで
609:04/13(水) 02:50 pLPiKaDd0
動詞変換と名詞変換をわけて変換できるようにすれば日本語もっと楽になるのに
……というレスを見つけたときはやっぱりこう考える人がいたんだ、と合点がいったものです。
誤変換の看過できないようなタイプ、想定している誤変換の斜め上を行く、品詞すら違う誤変換に出くわしたときの違和感を何とか解決できないかという思いには切実なものがあります。

また、前回のDVDレビューで日本初のワードプロセッサー機器JW-10について調べているうちに気づいたのですがこのマシンのキーボードに「固有名詞キー」というキーが盤面左手前に配置してあるのを見つけました。
こちらのケースはメモリリソース的な事情からで、固有名詞は無数にあるため全てを辞書に持つことは不可能であり、頻度の高い普通名詞と同じ辞書にすると、頻度の小さな固有名詞のために大きな辞書を引くことになり処理時間が増大してしまうという問題によるものです。
結局これらは複数の変換器を用いて文節分析をおこなう中で機能して、通常文節と固有名詞文節とは入力時にオペレータが区別して入力する方式となっています。
当時のマシン性能の事情とはいえこのように一筋縄ではいかない問題をアドホックに解決するというスタイルは技術の延長性という観点から決して好ましものとは言えませんが現に市場に投入する商品のパッケージとしてはこのような諸事情を織り込んだモノに落ち着いたというのは十分に理解できます。
こうして日本語入力の創成期にも先人たちが手探りながらも行き着いた答え――結果的に、「固有名詞キーで変換」というアイデアはもうとっくにあったことがわかりました。

アドホックというと目的達成の手段として有用かとも思うのですが「特定の目的のための」「その場しのぎの」という意味をもつため決してポジティブな意味ではありません。
ならペンタクラスタキーボードの三属性変換も結局はアドホックな解決策の最たるものであると言えなくもないですが、このコンセプトはアドホックどころかこれらを拡大・展開して一大体系まで押し上げようと目論んでおり三属性キーも限定的・付属物的な扱いなどにとどまらずむしろメインイシューとして論を立てているのですから立場の違いは大きいと言わざるを得ません。
しかし少し考えてみればわかるのですが変換エンジンを鍛える・機械学習をさせる際には読みが振られたテキストを与えればよいのですがこの論でいくと静的プロセスでのデータのやりとりというものから甚だ逸脱しているのでせっかくの巨大なデータをかな漢字変換器のブラッシュアップに生かすことができません。
それに三属性に分けると言っても従来の品詞体系と呼応させづらい問題はどうするか、いまだに解決の目途が立っていないのです。なにしろ大雑把に3つ(+通常変換)に語句のカテゴリを分類してしまおうというのですから少々乱暴な話ではあります。
ルール・データ・メンテナンスの評価を客観的・定量的におこなう見地からみてもその都度ユーザーが関与する不測の要素の介入は定型的なデータ処理にそぐわないということから敬遠されるのだと思われます。

そんな問題を抱えつつも言葉の意味属性・文法的機能に着目し三属性にわけて同音異義語の困難を解決しようとする試みは検討の価値がありただの雑論として斬り捨てるにしては惜しいものがあります。
その理由は人間と機械との絡み合う相互作用を俯瞰して捉えた人間-機械系という一つのシステムとしての視点です。
単に機械にデータを与えた・流し込んだうえでの変換は単に機械系と位置づけられますが、人間側の関与、しかも変換キーを押して一括で変換するプロセスの完了以前のユーザーとの密なやりとりから生まれる動的な決定性は、変換文確定までに幾多のメタ情報を随時盛り込んで役立てることで可能になるのです。
でにをは別口入力のはたらきもそうです。形態素解析の足を引っ張る助詞まわりの弁別から解放され構文解析、係り受け解析などの文法的・意味的分析により注力できるようになることは日本語入力の思考世界にも新たな地平を切り開く呼び水となると思います。
さらにはネットにある情報とのリアルタイムなやりとりを念頭に置いたポスト人間-機械系なども考えられますし現に一部では実現されています。これらの「系」の視点変換の恩恵を十二分に活かした設計というのは末端的なユーザーインターフェースではある程度考慮されているにしても、変換プロセスの根幹から意図的に構築した類のものは未だ聞いた事がありません。

それらはエージェントと対話的にやり取りするインターフェイスというよりはむしろ認知・思考過程も範疇に入れたうえでの「身体の拡張」と言った方がいいのかもしれません。でにをはマーキングや三属性の取りさばきといったアクションは言語活動における身体的所作と言い表すことができ、機械が行う各種の言語処理や画面への反映の状況とまさに一体となって一挙一動しているのです。
応答的なエージェントというのは人間と機械との間にある種の距離感を生みますがコンピュータの深層ににあるデータ処理・判断の核心的なレイヤーにまで入り込んで意図を反映させる営みはまさに人機一体と呼べるものです。
ただそれらを実現させるためにはユーザーの側にもIME動作への全般的な理解が求められることになります。ペンタクラスタキーボードというのはなぜこんなややこしい事をして入力しなければならないのかというユーザーの疑問に答えて、わかりやすい誤変換の例などを提示してその回避策の有効性をひとつひとつ丁寧に説明していくことがブログ主ぴとてつに与えられた大事な使命だということを自覚していきたいなと思っています。
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