いってらっしゃーい

日常生活の中でみかけたもの。街や野山はふしぎなもので満ち溢れています。

請う

2010年08月10日 | 雑文
街を歩いていると、お金が必要なかたがたが、さまざまな形でアプローチしてきます。
道端で静かに楽器を奏でるひと、体が不自由で、何かに乗ってひとごみをさまようひと、道端で延々となにもせずにすわっているひと、日本でみかけたような しょういぐんじん(漢字でかいてもわかりにくいので、ひらがなで)みたいなひと.... 先日、夜の街で知人とはなしていると、いきなり小さい手が、私の手を握ってきました。反射的に握ってしまったのですが、案の定、よこに、ちょっと顔をしかめたような微笑を浮かべる女性が立っていました。どうも、現地の人間のふりが徹底していないとき、日本語で話しているときに、こういう人々が現れるようです。そういえば、物売りなのかどうかあいまいなのですが、車の渋滞した(といっても、間違えば轢かれます)道にでて、小さな花をわたし、金をうけとる形、ちょっと意味合いは異なりますが、宗教系の服装で、なんだかありがたそうな?紙切れをわたし、つきましては...なんていうのもあります。
もちろん、金に困っている人は数多く、なんらかの救いが必要なことは必要なのでしょうが、そもそも本当におかねを渡すことがいいことなのかどうか、人前で財布を出すことに危険はないか...など考えると、さすがに毎度毎度気前よく振舞っているわけにはいかないのが実情です。
夜の街で、日本人ではなしかけて渡される名刺大のちらしを見て、思わずほほえんでしまう(日本のと同じような体裁ですが、ちょっと妙な表現が使われていたりします)こともありますが、相手を見てから、またこんどね みたいに通り過ぎてゆくのがいつものパターン、この狭い街にも、実にいろいろな顔があるのだなと、感じます。