この国の社会体制については、昔、教科書で習ったものに、現在の断片的な時事情報をあわせて推測を加えるくらいのレベルでしか知りません。が、それでも日本人ではまだましなほうでしょう。身の回りには、私企業で働く人しかいない状況で、街には屋台があふれています。この国は、将来、どんな方向に進んでいくのかと考えると、個人の印象としては、おおよそその方向性はわかるような気がします。
ここへきてから、お世話になる公務員のかたがたは、いまのところ、入国、居住、郵政のかたがたがほとんどで、入国関係は、ほとんど現地で手配をしてくださるかたがたのお世話になっているわけですが、それでも、断片的に、公務員の方々と言葉をかわすきっかけはあります。私は、案外、”仕事に誇りをもっている”タイプのかたがたと接するのが好きで、そういうかたがたのことは、素直に尊敬しています。でっかいバスで数十人の人の命を預かっている運転手の方、毎日毎日、さまざまな問題をかかえてくるひとびとに次々に対応してゆく窓口の方、もちろん、問題のある方が絶対にいないということはないですが、基本的に、仕事に対するローヤリティを無意識にもっているタイプのかたがたが多いものです。そして、私の言葉が不如意なので、伝えたいことは十分伝わっていませんが、面倒な手続きやイレギュラーな対応をしていただいてから窓口を離れるときに、”謝謝”といったり、無意識に”ありがとうございます”といって、先方が にこにこ手を振ったり、”いやいや、感謝してもらうほどのことじゃないぜ。これが俺たちの仕事さ”(勝手に 雰囲気をみてせりふをあててます)みたいな反応を返されると、やっぱり、何の仕事をしているかではなくて、人間性がサービスでは大切だよねと、納得してしまいます。あまりにもおめでたい受け止め方ではあるかもしれませんが、本来、たとえば日本の社会を支えてきたのは、このような個人の生き方の積み重ねがあったからこそ。いまは、社会が多様化して成熟化したゆえに、問題は多発していますが、原点を忘れてはいけないと思います。
このあたりの役所は、石造りの重厚な、それこそ 三菱村 にあるようなものが多く、また、昔、日本でみかけたような、窓の枠が木になっているような役所もあります。ある役所で、そういった木のわくのある窓の前で黙々と事務作業をしている方に、”ありがとうございます”といってドアをしめようとした瞬間に、事務員にかたが見せてくれた笑顔は、閉じるドアのむこうに隠れましたが、なんだか、映画かドラマの場面を見せられているような
気持ちになりました。さながら、木のドアは、エンディングで本が閉じられるような感じでした。