いってらっしゃーい

日常生活の中でみかけたもの。街や野山はふしぎなもので満ち溢れています。

2010年07月01日 | よつあし
歩道をあるいていても、うしろから自転車が来ることはないので、案外楽ですが、
気を抜くと、散歩中の子犬を踏みそうになってあわてて歩をすすめる足の場所をずらしたりすることになります。まあ、もうすこしたてば、こういう状況には慣れるでしょう。
犬には、よく、ぬいぐるみのような といわれるものがいますが、私は、それだけじゃないぞといいたくなります。けっこういるのが、きぐるみのような犬です。店先で眠っていたり、夜陰にまぎれて荒い息遣いをしている、近所のレストランの犬、その他、なんでそんなにでかいんだといいたくなるのがいろいろいるのですが、日本にいるとき、道でときどきみかけるアフガンハウンドの、ひとをみてすぐに目をそらす尊大さにくらべて、このあたりの犬は、なんと生き物らしさにあふれていることか、こっちがかおをむけてみていれば、あっちも同じようにこっちをみてきます。狗肉という看板をときどきみかける国でありながら、街でであうのは、妙に愛らしいわんこたちなのでした....と、きょうのわんこ風に書いてしまいました。いま、近所の巨大幼稚園から、口笛ふきと子犬 がきこえています。この幼稚園は、とてつもない格好をしていて、いざ、ことがあれば、変形して東映戦隊的英雄集団(これはわたしがかってに字をあてただけです)の基地になるんじゃないかと思えそうなシロモノです。品川付近の、巨大ロボの足みたいなビル(あれも、いざというときには、都内各所に分散した胴体と腕と合体することになってます)ほどのインパクトはありませんが。

英語

2010年07月01日 | 雑文
さすがに、自分が不如意な言語の国にいると、心細くはないものの(もともとそういう性格なので)行動に制約ができるのはたしかで、手続きそのほかには、通訳の方を介することが多くなります。で、たまたま英語で話せる相手であることがわかると、案外いいたいことがどんどん伝わるんですね。普段の生活の不便から、”英語が通じるのはありがたいこと”という意識が、最近あまり使っていなかった言葉の能力を引き出してくれるようです。ただ、家具のデパートの中で ものほし みたいな長いものをかついでいる人を見つけたとき、”如意棒ですか?”と聞こうとして、とっさにきちんと表現できないことにきづくと、ああ、早く覚えねばと、反省したことも事実です。こんなこともいえなければ、こっちのひとの笑いは取れないですね。そういえば、初めて 美国 にいったときには、無意識のうちに、つたない英語で笑いをとっていたことを思い出しました。んー言葉を覚える目的をはきちがえているようです。