桜を見る会は、なぜ中止になるのだろうか?
野党もそのことを注目している節がない。
昭和27年、時の首相吉田茂総理からスタートした「桜を見る会」はそれなりの歴史を重ね、意味もあったのではないだろうか。
たとえば、国民栄誉賞や叙勲にはならないけど「ありがとう」といいたい人を呼ぶとか。
なぜ辞めちゃうの?
悪いのは私物化した人で、本来なら来春呼ばれるべき人もいるんじゃないの? シブコとかラグビー日本代表とか。(スポーツ関係ばっかりでスミマセン)
前進の観桜会は1881年(明治14年)に吹上御所で「観桜御宴」が行われたとのことです。その観桜会を復活させる形で1952年(昭和27年)に吉田茂首相が総理大臣主催の会として始めたのが「桜を見る会」だとか。
※資料によると1954年は4,000人余りを招待し、30万円ほどの予算で実施したようです。(52年の資料は見つけられませんでした)
138年(桜を見る会は67年)もの間、先人達が続けてきた取り組みを、自分たちに対する非難を避ける為だけで「中止」にすることの蛮行。
もっと先人が積み上げてきた文化を大切にしてほしい!
繰り返すが、いけないのは「後援会のお花見と勘違い」したことではないのですか?
私物化もここで極めり・・・ですか。
最後まで勘違いし通しでしたね。