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退職オヤジのひとりごと

退職オヤジが直面する新しい日々…感動か困惑か?
カオスの日々を綴ります

日曜討論を見て

2019年11月03日 10時03分25秒 | 思いつき

 なんとなく、日曜討論を見ました。

 話題が多く、問題の表面上を舐めているだけの気がして仕方がない。

 今、早急に取り組まなくてはならない被災者支援対策も、従来通り重箱の隅をつつくような各党の意見を一方的に述べるに過ぎない。

 これは、体のいい政党(あるいは出演者)のPRじゃないのか?

 意見は意見でよいのだが、台風被害について、長い菜箸の先でつつくような話でどうするの? 


 じゃ、ここでこのような方向に話がまとまったのだから、それぞれ党に持ち帰り、幹部に具申し、具体案をまとめるなり動きましょう・・・とはならない。
 自分の意見の正当性などより、被災者の今を受け止めろ!

 NHK情けない! 


 
 深く考えずに書いてしまいました。 失礼しました。

入試制度の紆余曲折

2019年11月03日 07時54分16秒 | 時事問題

来年度から今の大学入試センター試験に代わって、新たに実施する「大学入学共通テスト」。その柱として導入が決まっていた英語の民間試験の延期が決まりました。


以前から「とにかく書いておかないと」さんも指摘されていた、『大学入試改革』


 なぜ大学入試に改革が必要なのか
 ある大学の、学生論文コンテストに出された論文によると、

 ①今回の大学入試改革は「高度情報化、AI研究の発展・普及、グローバル化、新興国の台頭などによって社会そのものが変化し、日本が世界で生き残っていくためにはこれからの時代に耐えうる人材を育成しなければならない。そのためには教育のバージョンアップが必要不可欠だ」・・・。そこで、大学入試が小中高教育のゴールだからゴールそのものを変えることで、ゴールに至るプロセス(小中高教育)も見直す。

 ②「求められている力」とは、①知識・技能、②思考力・判断力・表現力、③主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度の3つで、これらは「学力の3要素」と定義されている。

一発勝負では、試験そのものが目標となってしまう。そのために、
一発勝負を避け、受験生をあらゆる方面から総合的に評価し、合否を判定する。具体的には、
  1センター試験の廃止
  2入学希望者の学力テストを複数回実施
  3基礎学力テストの複数回実施
  4小論文・面接など様々な尺度で評価

をする・・・ということなのでしょう。



 しかしながら、現場では
 「地域格差、経済格差に加え、そもそもそれぞれ違う性格をもつ検定をひとまとめにして、目的の違う大学入試に使うこと自体に妥当性があるかという点で反対意見は強かった。文科省の判断は遅きに失したのではないか。・・・」という意見や、

「そもそも僕たちは民間試験は何のためにやるのか納得していなかったので、延期は当たり前の結果だと思っています。・・・」などの高校2年の男子生徒の感想。

 民間業者は「いまさら延期することで生まれる混乱もあるとは思うが、教育現場では都内の進学校ですら不安や疑問が広がっていた。
 保護者会も質問の嵐ですでに大混乱の序章が始まっていた中で延期されたことは現場として評価したい」
「英語の技能を高めようということに異論はないが、50万人の受験生が受ける国家的なテストに民間試験を活用することにそもそも無理があった。地域格差や経済格差という根源的な課題が解決されないまま実施ありきで進んできたことが大きな問題だった」などなど。

大学教授らのグループは文部科学省で会見し、英語の民間試験だけでなく、来年度から始まる大学入学共通テストについても、延期するよう求める声明を出しました。
 声明では大学入学共通テストで行われる国語や数学の記述式の問題も、採点の公平さなどに課題が多いと指摘し、共通テストの実施も延期すべきだとしています。



 思うに、選抜試験はフェアであることが、唯一、他人を蹴落とすことに対する正当性であり、数多ある競争の中でも、入試はフェアであると信じていました。

 ところが、東京医科大学の入試の合否判定について、女性などを不利に扱う不正な操作が大学当局の主導で行われていたことが、2018年の内部調査で明らかになり、その信頼性にも疑問符が付き始めています。(2011年にはネットに問題が流失したりもした)


「フェア」であることを意識して、マラソン日本代表は<グランドチャンピョンシップ>というレースを設定し、一発選考を実施しました。


 入試とスポーツの選考会では、一律に語ることはできないでしょうが、この問題の難しさを表しているようです。
 また、「一発勝負ではそれが目標となってしまう」ことも危惧されているようです。


 参考までに、受験大国である韓国の入試制度は、
「大学修学能力試験」と「各大学の入試試験」から成り立っています。
 韓国の受験生は高校3年生の11月ごろに「大学修学能力試験」を受け、その成績によって受験大学を選び、年明けから始まる各大学の入学試験を受けるようです。
 「大学修学能力試験」は全国の受験生の学力の成績をつける日本のセンター試験と似ています。「各大学の入学試験」では面接、高校の内申成績、各大学独自の評価方法で入学を判定します。
 入学採点の割合は「大学修学能力試験」の成績が約6割を占め、「大学修学能力試験」での失敗は大学受験失敗に繋がってしまいます。
 学歴社会のため、「どこの大学に入学するか」は受験生にとっては人生を決めてしまうぐらい大切。このプレッシャーに負け?または打ち勝つため?受験の最中に携帯電話のメールを使ったカンニング事件が起こり、問題になったこともあるそうです。


 日本の高校でも、大切な授業の前半でマークシートの問題を解き、後半で答え合わせをする・・・なんてことも有るようです。

やはり、日本の現制度も行き着く先は韓国のようになるのでしょうか。

また、理科の実験等のように、筆記試験だけでは能力が把握しきれないものも多いのでは。




 入試という、ある種理不尽な制度は、「個人は自分と向き合い将来を考え、対象との接点を模索する機会を与えられている」ことが救いである気がします。


アメリカでは「高校で得た知識を問うのではなく、大学の講義を受講する能力の確認」をすることが、その目的となっていると聞きます。

 大学では、「答えのない問題について考える」ような講義に対応できる能力が求められているようです。


 大学進学の目的は、「入学することではなく、そこで学ぶこと」ということでしょうか。


 また、特定の教科にのみ実力を発揮する生徒への門戸を開くシステムも必要ですね。
(かのアインシュタインは、数学は抜群だったが、生物学・語学は落第点でギムナジウムを中退している)




 大学入試制度について、本当に『ずぶの素人』の私が感じたことなので、見えていないことが多いかと思います。

 しかし、具体的な方法ではなく、『大きな方向性』についての判断の甘さは、すごく感じます。
 東京五輪の7~8月実施の諸問題についても、ドーハの結果を見るまでもなく、予想される事態でした。

 判断すべき立場の人たちが、目の前にぶら下がった「改革」や「誘致」に取りつかれて、正しい判断ができないことが、大きな問題と感じます。


 掛け違ったボタンは掛け直すのですが、「はずす」という余計な仕事を増やし、現場は振り回されていくのでしょう。