夜明けの曳航

銀行総合職一期生、外交官配偶者等を経て大学の法学教員(ニューヨーク州弁護士でもある)に。古都の暮らしをエンジョイ中。

宮尾本・平家物語

2005年01月05日 | 読書
今年の大河の原作というので、年末年始に全4巻を読んだ。

といっても義経はあまり出てこない。
弁慶との出会いの場面もなく、第4巻でいきなり弁慶が1シーンだけ出てきたりする。
別途「義経」という小説もNHK出版から出るらしい。

以下、思いつくままに。
1.清盛が、権謀術数家というよりは、人情に厚く、同族・友達思いで、強運による栄華を彼らとshareしているうちにああなった人物、という描き方をされていたこと。
有名な「頼朝の首をわが墓前に供えよ」という遺言も、一族を発奮させるための時子の捏造であったという解釈が、女性作家らしく斬新だった。
2.平家の血筋を絶やさぬため、二位の尼(時子)と西海に沈んだのは、安徳天皇でなく、異腹の弟守貞親王で、安徳天皇は守貞親王を装って生き延びた。
3.ドラマではいつもすごく美化されている、建礼門院徳子が、わりとボーっとしたあまり賢いとはいえない人物に描かれているのも新鮮だった。
4.木曽義仲がものすごい野蛮人、uncivilized personとして描かれているが、木曽は当時信州の一部、信州人ってやっぱり歴史的にこんなものなのか?と思った。
5.お徳という狂言回し的に使える人物が出てくる。これを大河でナレーションも兼ねて白石加代子がやるのが一番の楽しみ。
6.でも、なぜ肝心な大原御幸がカットされているのだろう。最後の方で作者が息切れしてしまったとしか思えない。これが平家の白眉と思うのに。
7.知盛の人間的魅力をもっと描いてほしかった。個人的には木下順二『子午線の祀り』の知盛が大好き。1999年に野村萬斎(同じ高校の後輩。姉上が同学年で隣のクラスだったので、父兄会で万作氏をよくみた)が新国立で演じた時、「見るべきほどのものは見つ」という科白に鳥肌がたった。
8.敦盛と熊谷直実のエピソードももう少し詳しく書いてほしかった。私は名前が似ているので、昔からこの場面には執着がある。ちなみに、通信販売等で「名前の漢字を教えてください」と電話で聞かれるたび、いつも「敦盛の敦です」といっているのだが、わかる人はめったにいないのが非常に嘆かわしい。最近信長がドラマに出るたびに舞っている「人間五十年下天(化転ともいう)のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり、ひとたび生を得て滅さぬもののあるべきか」は幸若舞(司馬遼太郎は「謡曲」と誤記しているが)『敦盛』だし、現に「敦盛をひとさし」なんて科白もあるのに。「新平家物語」では勘九郎がやっていたが、今回は誰がやるのだろう。
9.電車のキセルのことを薩摩守忠度から「薩摩守を決め込む」といったりしたが、もう死語になっているようなのは残念(斬り?!)。でも、西に落ちる前に俊成に和歌を託したというエピソードには毎度泣ける(『新平家物語』では中尾彬がやっていたのよね)
10.滝口入道と横笛のエピソードは、20年前嵯峨野の滝口寺に行ったとき、えらく感動して、入道の「剃るまでは恨みしかども梓弓、まことの道に入るぞうれしき」という歌を絵皿に描いたりしたな(今もリビングに飾ってある)と思い出した。
11.義経は義朝の八男だが、叔父鎮西八郎為朝(滝沢馬琴の名作で、三島由紀夫が歌舞伎にした「椿説弓張月」の主人公)既に八郎を名乗っているので、九郎にしたとこれで初めて知った。

それにしても、あの、親子兄弟で殺し合う時代を、巧みな権謀・裏切りで泳ぎきった後白河法皇のあの節操のない政治力、あれこそ現在の私が最も見習うべきものなのだろう、とわかってはいるのだが…。

【おまけ】
大河の義経と静といえば、
『義経記』の尾上菊五郎:冨司純子(これが縁で結婚)
『新平家物語』の志垣太郎
『草燃える』(1979年)の国広富之:友里千賀子(『おていちゃん』ヒロイン。朝ドラのヒロインは一度は大河で使ってやるという暗黙の了解があるらしい(今回の静も『てるてる家族』の石原さとみ、中越典子も建礼門院役で出ている。「新選組!」おその役の小西美帆もそのせいだろう)が、このキャスティングはあんまりだという声が高かった)。源義時役で松平健がブレイクした作品でもある。その恋人で大場景親(加藤武)の娘・茜が松坂景子。最初は伊東祐親(まだブレイクしていない滝沢栄)の思われ人で頼朝との確執の理由として設定されている。
当時はビデオなど自宅になかったから、修学旅行中に困ったことを覚えている。
『武蔵坊弁慶』(かつてNHKでは水曜日も歴史ドラマをやっていた)の川野太郎。
弁慶は中村吉右衛門で、その妻が荻野目慶子、娘が高橋かおりで、那須与一の標的になるという設定。荻野目も当時は清純派だったが、男を死に追いやるくらいの凄みが女優の仕事にはプラスに働くこともあると思う。高橋も後に三田村邦彦との不倫報道があってちょっとびっくりした。

『炎立つ』の野村宏伸
などがあるが、歴史的には『炎立つ』のちょっと軽薄な義経像が最も実像に近いらしい。

あと、ドラマになると、主人公の女関係を奇麗事にしすぎるのがいや。
跡継ぎがなければ滅びるのが武家社会なのだから、また、息子もいつ死ぬかわからない乱世なのだから、たくさんの子供を作るために蓄妾するのは当時の常識であり棟梁の義務。それを、現代の一夫一婦制イデオロギーから合理化するための不自然な設定を作ったりするのがどうも苛つく。

「常盤御前判決」という裁判例は今考えるとものすごいジェンダーバイアスむき出しの考え方だ。やっぱり司法界ってジェンダー的には遅れている。

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担保法

2005年01月04日 | profession
今日は1月4日だが、第1時限目から担保法の講義があった。

担保法は昨年度に続き、2回目。
昨年度は、初めて教壇に立つ上に、改正民法が公布はされたが施行はまだという、新法と旧法を両方教えなければならないという大変な課題に挑戦することになった。
その上小テストを毎回やって、全部採点して、学生ごとにコメント(あなたは保証は理解できているが、抵当権をもう少し復習するように、等)を書いて最後の講義までに全部返したので、結構タフであった。
また、銀行取引約定書を初めとする契約書式や新聞紙上の競売物権情報等を用いた授業を去年に引き続き、今年も行っている。

とくに、任意規定の場合、特約による変更は可能であり、最も周到な債権者である銀行の用いている書式では、債権者に不利な民法上の任意規定を全て特約で変更するようになっていることを、それぞれの該当条文を示して解説したりする。
大学の授業ではあまりとりあげられないが、実務上は、任意規定か強行規定かの区別は大変重要。なぜなら、前者なら特約で排除できるから(といってもあまり一方的にやると消費者保護の観点から無効にされるので、さじ加減も必要だが)。
また、債権管理という観点は大学の民法の授業からは抜け落ちている気がするが、実務では非常に重要。せっかく債権があってもそれが時効等により消滅したりしたら、何の意味もなくなるから。連帯債務より連帯保証の方が好んで用いられるのは、時効中断しやすいからだ、というような話を講義でも行ったりしている。

これらにとどまらず、銀行法務を長年やってきた経験からは、大学で習う民法と実務で使う民法の間には懸隔がある。それをこのような講義方法で埋めようと努力している。

ただ、限られた時間内で、基本を押さえつつ、実務的な話をするというのは、至難の業。
でも、法科大学院でもこのモットーを貫いていこうと思う。
新司法試験の問題を見たら、実際の契約書等を使った問題になっており、自分のやり方は正しかったのだと大いに自負を感じた。


今日は日にちが日にちだから欠席者が多いかと思ったがそうでもなかった。

レポートは、昨年は、自分の家や下宿のの不動産登記簿謄本を取ってそれを分析するという課題を出したが、今年は、受講生の多くが昨年1年生の社ゼミの授業で同じ課題を既にやっているので、違うものにした。

昨年に引き続き、短期賃借権、滌除、執行妨害を扱った、
『ナニワ金融道』青木雄二
『理由』宮部みゆき
『女たちのジハード』篠田節子

の該当部分を配り、新法と旧法を対照させながら、法的論点を解説させるというもの。

漫画や文学作品を使った方がより身近に法律がどのように適用されるか感じることができる(少なくとも私はそうだった)と思うからだ。

今日提出させたのだが、どれも非常に出来が良くてうれしい。
1年生の社ゼミのとき、「この子は大丈夫か」と思った学生も、前期の契約法でどんどん力をつけてきて(毎回小テストをやるから手に取るようにわかる)、今では見違えるようなレポートを書くようになってくれたのが、本当に教師冥利に尽きる喜びだ。

こういう幸福があるから、どんなに辛いことがあっても教師はやめられないな、と思う。

(久しぶり)

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笙野頼子・金毘羅

2005年01月02日 | 読書
書評等で話題になっている「金毘羅」を読んだ。
話題になっているからでなく、今生きている作家の中で一番好きで、著作は全て読んでいるので、最新作を読んだということなのだが、今までの彼女の集大成というべき傑作だった。
ついでにいうと、三島賞に続き、芥川賞受賞コメントで「文学の神様に感謝したい」と言っていた意味が、この作品でよくわかった。

純文学論争もよかった(現存日本人作家の中で純文学を背負ってたっているのは彼女だと思う)が、フェミニスト文学者としても一流だと思う。
「水晶内制度」は「ジェンダーと法」で課題図書の一冊に選んだ。

「金毘羅」でも、以下のようなくだりに、眼からうろこが落ちた。

「「本当は男」である女はさまざまな課題を課せられるだけではない。現実の差別社会の矛盾を全て引き受けながら、その矛盾から一切眼を背けていなければならない。つまり、魂が壊れていなければ成立しないのです」

実は2000年11月25日に地下鉄で彼女に会ったことがある。トレンチコートを着て立っていた。
偶然にも私は九段会館で行われた憂国忌に行く途中だった。
彼女は後述するように佐倉からめったに遠出しないようなので、本当にすごくラッキーだ。
三島由紀夫に次いで好きだと思う私の気持ちが通じたのだろうか。
「笙野頼子さんですよね」と話しかけたら、ものすごく意外そうに「よくわかりましたね」といっていた。新宿で詩人の人たちと座談会があるとのこと。「手紙はどこに書いたらいいでしょうか」ときいて、その出版社にすぐ手紙を書いたのだけれど、もちろん返事はなかった。

地方の大学に赴任し、昨年音羽に引っ越した後は、雑司が谷から佐倉に引っ越した彼女にますます親近感をもった。彼女は雑司が谷のマンションの駐車場で、他の住人が気まぐれに餌をやっていたために集まっていた野良猫を、その住人が飽きて放置したあと、近隣と戦いながら保護し、ついにはその猫たち(5匹)のために、佐倉に一戸建てを購入して引っ越したのである。
雑司が谷のそばを通るたびに「ここは笙野さんも通った道かしら」なんて思ったりしている。

毎年のように参加している山中湖三島由紀夫文学館の三島由紀夫文学セミナーで、一昨年、加藤典洋、大塚英志、清水良典という顔ぶれだったのも面白かった。
純文学論争で笙野さんの天敵が大塚氏、そして、笙野さんの伝記「虚空の戦士」を書き、彼女から「武士は己を知る者のために死す」とまで信頼されているのが清水氏だからだ。
シンポジウムはもちろん面白かった(文学の話が記号論に及ぶと大塚氏が「もう帰りたくなってきた」といったのにはちょっとびっくりしたが)し、清水氏から笙野さんの話がたくさん聞けたのもうれしかった。


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走れメルスと勘九郎の桃太郎

2005年01月01日 | 演劇
夫とシアターコクーンにNODA MAPの「走れメルス」を観に行ってきた。

これは新作でなく、28年前に書かれ、18年前まで何度か夢の遊民舎で上演してきた作品。

いつも通り、豊饒な言葉遊びの中に社会風刺を入れた野田作品だが、初期の作品は最近のものより難解だと思った。

ドラマ「7人の刑事」をもじった登場人物(リーダーは「足田」刑事)が出てきたり、そのドラマの主題歌が流れたりするが、今の若い人にはわからないんじゃないだろうか。
28年前といえば、確か、往年の人気ドラマ「7人の刑事」がリメイクされた年。私は中学2年だったが、当時好きだった役者・中島久之(山口百恵の「赤い」シリーズでよく兄役とかをやっていた人。2002年に見た「放浪記」で林芙美子の昔の恋人役をやっていた)が、その一人として出ていたので、よく覚えている。たしか宅麻伸は「ねこ」という愛称の気弱な刑事役でこれでデビューしたのでは(芸名が「たくましい」に通じるのもこの役柄からしゃれだったらしい)?その後しばらく見なくなったが、大河ドラマ「徳川家康」で、妻五徳(田中美佐子)の讒言で舅信長の手前詰め腹を切らされる嫡男信康の役で久しぶりに見た気がしたのを覚えている)
さすがに芦田伸介主演のオリジナルは全く記憶にないが、天田俊明という俳優が唯一オリジナルとリメークの両方に出ていた。


その1週間後くらいに歌舞伎座で勘九郎の「今昔桃太郎」を見た。勘九郎が来年勘三郎を襲名するので、勘九郎最後の舞台に、3歳で初役だった桃太郎を新しく友人の渡辺えり子が書き下ろしたもの。渡辺えり子も大好きな女優のひとり。
劇中、「棒しばり」や「鏡獅子」等、今まで当たり役だった舞踊を次々に踊るシーンもあり、十二分にファンを楽しませる技巧に満ちていた。

次男の七之助は出ているのに、長男勘太郎は上記の「走れメルス」に出ていて、歌舞伎座の方には出ていないが、このことも、劇中で勘九郎が「長男は野田屋さんに奉公に出ている」という台詞があり、笑えた。にしても、スケジュール調整できなかったのかな。

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SHIROHの上川隆也

2005年01月01日 | 演劇
劇団新感線が意外にも初めてとりくむというミュージカル(今までのは音楽劇であってミュージカルではなかったということらしい)「SHIRO」を帝劇で見てきた。

上川隆也が出演するからだが、どうして私の好きな役者は歌が本職でもないのにミュージカルに挑戦するんだろう。
真田広之の「オケピ!」は安心して見られたが、
内野聖陽が「エリザベート」には、ソロのシーンの度にはらはらした。でも、演技力で十分カバーしていたし、「レ・ミゼラブル」ではかなり歌もうまくなっていた。
堤さんも新感線には時々出ているけど、歌はやらないでほしい。

上川くんも、中川晃教と比べるとどうしても見劣りするけど、元々声がとてもいいので、思ったよりずっと歌も良かった。
作品は、戦争の虚しさを訴え、イラク戦争とどうしても重ね合わせて見てしまった。
音楽を伴うことによる強いメッセージ性が生かされていたと思う。

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喪服の似合うエレクトラ

2005年01月01日 | 演劇
ユージン・オニール作の「喪服の似合うエレクトラ」を新国立劇場で見てきた。

大竹しのぶは好きな女優というのではないが、舞台俳優としての才能を評価しているので、舞台作品はけっこう観に行っている。

TPT「ルル」(堤真一と共演)、「奇跡の人」(菅野美穂のヘレンはなかなか良かった)、「パンドラの鐘」(蜷川演出バージョン)、「太鼓たたいて笛吹いて」(井上ひさし)、「ママが私にいったこと」等をこれまで見ている。

「ロミオとジュリエット」の稿でも書いたように、欧米人のバックグラウンドにはギリシャ神話世界とキリスト教世界という相反するものがある。歴史的には後者が前者を超克する形だが、この戯曲は、ギリシャ神話をキリスト教的価値観で解釈したらどうなるか(しかもアイルランド系のオニールは厳格なカトリック教徒の家庭に育った)という大変興味深い試みに挑戦している。
しかも、オリンの母への異常な執着は、エレクトラ・コンプレックスのみならず、エディプス・コンプレックスまでこの劇が取り込んでいることを示している。

ギリシャ風の巨大エンタシスを配した舞台装置、第2幕でのラヴィニアの衣装が母親と同じものという点も成功していた。
大河ドラマ「新選組!」の山南敬助で評判になった(映画「壬生義士伝」では沖田総司だったが、同じ役作りだったのには笑えた)堺雅人の弟オリンの演技もその線の細さが生かされて良かった。

ちなみに、パンフレットの「ブロードウェイ便り」で、現在、「12人の怒れる男」がブロードウェイでは初めて上演されていることを知って意外だった。舞台劇がもとの映画だとばかり思っていたが、TVドラマから芝居になったがそれはブロードウェイではなかったようだ。

開演前に、ロビーで「12人の優しい日本人」で陪審長役を演じた塩見三省を見かけたので、また少々関連妄想。

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中国語は面白い

2005年01月01日 | Weblog
年始にあたり、勉強に関する記事がいいだろうと、香港に住んでいた頃書いた文章をupすることにした。

一、はじめに
私は香港に来て一年数ヶ月になる日本人主婦です。
せっかく中国語圏に来たのだから、と中国語を勉強しています。
はじめは汎用性のある普通話だけを習うつもりだったのですが、香港であまりにも英語が通じないのにびっくりして、生活の必要性から広東語も始めました。
中国語は日本ではかじったことすらなく、「ニーハオ」と「謝々」しか知りませんでしたが、今ではその面白さにすっかりはまってしまいました。といっても週一回ずつ習っている程度なので、まだまだ「中国語学習」について偉そうに語れるほどの実力はありませんが、私のような初心者にさえわかるこの楽しさをぜひみなさんにご紹介したいと思い、筆を執りました。

二、中国との強い絆
私たちがとても頻繁に使う日本語の中に、広東語が起源のものがあるのをご存知ですか?香港に来たばかりの頃、お店に入ると、店の主人が「はい、はい」といって出てくるのにびっくりして「あれ、日本語できるのかな」と思ったら違う、ということがありました。これは、日本語の「yes=はい」が、広東語のbe動詞に近い意味の「係(ハイ)」から来ていることによるものとされています。通説によると、明治初期、岩倉具視の欧米使節団が帰りに香港に立ち寄って、この言葉を聞き及んで、(それまで、日本語には、「ござ候」とか長いYesはあったけれど短い言葉がなかったので)これは便利と取り入れるようになったというのです。戦後、欧米文化を必死で求めてきた日本人は、同時にまた、土着のアイデンティティの喪失という、西欧流の近代人としての孤独(ハイマートロース)をも背負うことになりましたが、遠い昔、漢字を教えてもらったのみならず、たった100年ほど前に、このような基本的な言葉についてもお世話になっていたと知った時、中日間の強い紐帯を感じ、日本はアジアの孤児ではなくその一員なのだと思え、胸に暖かいものが流れたような気がしました。
また、以下は言語学的にはまちがっているのかもしれない、私のまったくの自説ですが、男性の名前につける敬称の「先生(シンサン)」の省略形で「李生(レイサン)」とか呼びかける人を見ていると、ひょっとして日本語の敬称の「さん」はここから来たのじゃないか、と思えます。また、「すみません」という意味の「口吾好意思(ムホウイシ)」は、早口で繰り返すと「もしもし」にも聞こえ、この言葉の語源もひょっとして、と思い始めています。日本語で「1ケ、2ケ」と数える、「ケ」は、「個」の簡体字がそっくりなのでそこから来ている気がしますし。全部学問的には誤りかもしれませんが、そういう想像をするだけでも楽しいじゃないですか。
三、漢字の別の面を知る
私たち日本人は、漢字が中国から来たことを知っていますが、「意味は大体同じだろう」ということ以外、中国ではどのように使われているか案外知りません。
まったく同じ意味の場合も多いのですが、少し違う意味で用いられている漢字に、その文化の違いが投影されているのを発見して興味が尽きません。たとえば、広東語の「抵(ダイ)」は、単に絶対的な値段が安いだけでなく、「ものの値段と質・量がバランスが取れていてリーズナブル」という意味です。「抵買」は「(元々高価なものが安くなっていて)お買い得」という意味です。「抵」は、日本語では「さわる、触れる」という意味ですが、この広東語の意味を知った時、私の頭に浮かんだのは、経済学理論のひとつ、限界効用論に出てくるような双曲線のグラフです。グラフが数直線に「さわる」ぎりぎりのところが、値段と価値が限界的にマッチングしているところ、と考えると、妙にしっくりくるのです。
このように、日本語を覚えるとともに使い始め、既に自分の血肉になっているともいえる漢字というものの別の顔を知ることができるということも、まるで長年連れ添った夫に今までまったく知らなかった特技や美点を発見するような、中国語学習の醍醐味なのです。

四、カタカナ文化への挑戦
1.漢字の造語力
中国語を勉強するということは、日本のカタカナ文化というものに、不断に挑戦状を突きつけられているようなものです。はじめは、ひらがな、カタカナという専用の表音文字をもっていることが、日本語の中国語に対する優位性のひとつであると考えていましたが、中国語を学ぶにつれ、その考えは変わってきます。
中国語では、外来語を採り入れるとき、音よりも意味から造語することが多く、私が知る限り、4パターンあります。①原語を分解してそれぞれの意味から漢字を充てる(例:手袋(handbag))、②原語全体の意味から漢字を充てる(例:電梯(エスカレーター))、③原語の音から漢字を充てる(例:口可口楽(Coca Cola))、④一部は意味から、一部は音から漢字を充てる(例:口卑酒(ビール))というように、造語力に創造性が生きています。
それに対して、日本では、カタカナという便利なものがあるばかりに、日本人の西欧礼賛主義に基づく「漢語より外来語の方がおしゃれ」というイメージともあいまって、安易に音からカタカナにするだけ、しかも「ナイーブ」「スマート」等、原語とはまったく違う意味で用いられている外来語もある、等お寒い状態です。せっかく漢字というすばらしい文化をもっているのですから、せめて映画の題名だけでも、「シックスセンス」等、安直にカタカナに頼らず、気のきいた邦題を考えたらどうでしょうか。
2.固有名詞の表記
ついでに、外国人の名前の表記の仕方については、欧米人については、音からだけです。阿諾・舒華辛力(アーノルド・シュワルツェネッガー)とか。カタカナよりよほど原語に近い場合もあります。それなのに、日本人の名前に関しては、たとえひらがな、カタカナの表音文字の名前でも、音から漢字を充てないのがとても不思議です。2パターンありまして、まず、浜崎あゆみを濱崎歩のように、本名を調べてその通りの漢字を充てるもの。松隆子もそうですし、本当によく調べてそのとおりにしています。これはまあ、発音がぜんぜんちがってしまっても仕方ないと納得できますが、問題は、本名と関係ないひらがな名や戸籍上もひらがなの場合です。これは音からとってほしいな、と思うのに、たとえば、「ゆかり」なら、「由香里」等、日本語読みで一番一般的な漢字を充ててしまうから、発音した時には全然元のものとかけ離れたものになっています。ちなみに、木村拓哉は香港女性の間で香港スターより人気がありますが、広東語読みしか知らず、「キムラタクヤ」といってもわからない人が多いです。キムラが香港ではモクチュン、大陸ではムーツンなのは、いってみれば、大天使ミカエルの名が英語圏ではマイケル、ロシア語圏ではミハイル、フランス語圏ではミッシェル、スペイン語圏ではミゲルになるのと同じだと考えればいいような気もします。

五、漢字は一種類ではない
日本の漢字に旧漢字と現在の漢字があることを知っていても、大陸中国の簡体字のことはほとんど知らない私でしたが、ひとつの漢字にいろいろなバージョンがあることも、新鮮な発見です。
これを考えるようになったきっかけは、人民元の札に「圓」と書いてあるのを発見したことでした。また、中国で値段の表示が¥になっているのも、不思議でした。それまでは、日本の通貨の単位は「円」、中国、香港の単位は「元」という別のものだと思っていたのです。しかし、この疑問は、私を、中国・日本両国の漢字簡略化運動について調べるという行動に導き、興味をもって調べるうちに、全部、もともとは同じ「圓」という単位だったことがわかりました。
1909年に陸費○(しんにゅうに陸と同じつくり)が「教育雑誌」創刊号に発表した「普通教育は俗体字を採用せよ」という論文から始まったとされる中国の簡体字運動は、1956年1月、中国政府が「漢字簡化方案」を公布したことをエポックメーキングな出来事として、その後も数次にわたって改革が進められてきました。漢字の簡略化の方式についてはさまざまな分類がありますが、
1. 繁体字の一部を符号化 (例:学)
2. 繁体字の一部を残す(例:医)
3. 繁体字の音を表す部分を簡略化(例:灯)
4. 新たに形成文字を作ったもの(例:惊(繁体字は驚))
5. 字画の少ない同音字を用いる。(例:元(繁体字は圓))
6. 草書を楷書化。(例:東の簡体字)
7. 会意によるもの。(例:陽の簡体字)
8. 輪郭を象ったもの(例:馬の簡体字)
等があり、通貨の単位を表す「元」は、5.のパターンで、「圓」の簡体字だったわけです。ちなみに、日本では「圓」を「円」と簡略化しましたが、「円」という字は中国にはありません。
日本では、戦後の国語改革で、あやうく漢字廃止、という危機もありました。戦争中の米国人の間では、日本軍があのような無謀な戦争を継続した理由のひとつは、日本語の言霊の呪術的な力に操られていたからだと信じられていたそうです。また、占領軍の中には漢字は未開人種の文字であり、国語をローマ字にすること=近代化という考え方の持ち主が少なからずいたようですし、日本人の国語審議会の委員の中にもローマ字論者やかな文字のみにするという論者がいて、文学者等もまきこんで大変な議論が戦わされました。とくに福田恒存が激烈ともいえる漢字・旧かなづかい擁護論を唱えたのは有名です。結局、1946年、国語審議会が発表した「当用漢字表」はその後も何度も改められていますが、いまだに文学者の間では評判が悪い。
私は、「医」や「学」など、中日で簡略化の方法が同じ字が、偶然なのか、どちらが他方のものを導入したのか、ということに非常に興味を抱いて調べているのですが、なかなかわかりません。ご存知の方、ご教示願えればうれしいです。
さて、元は同じ漢字も、香港や台湾で使われている繁体字、大陸で用いられている簡体字の二通りあり、(両者がまったく同じ場合もありますが)さらに、日本字については、繁体字と同じ(例:開)、簡体字と同じ(例:学)、どちらでもない(例:楽)、というパターンがあります。
ところが、話はもっと複雑なんですね。日本語には「乾」と「干」という字が両方ありますが、実は、これ、後者が前者の簡体字という関係なので、同時には存在しない字(香港は前者だけ、大陸は後者だけ)なのです。それを知った時、「うーん、どうして干が乾の簡体字になるのかな。どこからとったのかな」とずっと疑問でした。しかし、ある日、バスの車窓から街を見ていたら、クリーニング屋の看板にある「乾洗」の「乾」の「日」の下の部分が「十」でなく「干」になっているのを発見し、人目も気にせず「そうだったのかー」と絶叫しました。そういう楽しい「ユリイカ」経験ができるので、移動中のタウンウォッチングも楽しくて仕方ありません。また、タレントの「叶姉妹」が、香港では「葉姉妹」と表記されているのが不思議でなりませんでした。しかし、「叶」が「葉」の簡体字であると知って納得。
ただ、簡体字は省略のしすぎ、かつ、元の部首と省略形の一対一対応関係がないので、正直いって、文化の破壊という面もあるな、と思います。漢字の部首は、意味を反映していたり、音を表わしているので、その語原がわかったり、たとえ未知の字でも意味や音を類推できるという非常に高度な文化的インプリケーションがあります。日本語の新字では、旧漢字の部首との一対一対応関係があるから、そうしたインプリケーションを失わずにすんでいますが、中国の簡体字の場合、「過」の部首と「時」のつくりが両方「寸」になっていたり、ごんべんの省略形は決まっているのに、「護」や「託」という字の簡体字がてへんになっていたりするので、語原等はわからなくなってしまっています。
ただし、「陽」をこざとへんに「日」、「陰」をこざとへんに「月」とか、中国の陰陽思想を適格に反映した面白い簡体字もあったりするのですが。

六、普通話と広東語の関係
1. 異同
私は、夫の仕事の関係で香港にいられる期間が限られているので、普通話と広東語を同時に勉強していますが、本当はごっちゃになるのでよくないといわれています。
確かに、普通話でひとつの文章を完成させるのに、ひとつの漢字だけ広東語読みしてしまうという間違いをよく犯します。
同じ漢字の読み方の違いにもパターンがあって、
(1) 普通話でou:広東語でau (例:有、就)
(2)普通話でw:広東語でm(例:文、晩、万)
(3) 普通話でm:広東語でw (例:旺)
どっちだったっけ、とよくわからなくなります。
でも、だんだん、「叫做」(~という名である)で、「ギウ」ときたら「ジョウ」、「ジャオ」ときたら「ズオ」と自然に正しい組み合わせが出てくるようになるのが不思議です。
2. 政治的状況の反映
ところで、広東語を話す香港でも、文章はほとんど普通話であることはよく知られています。学校でも、教科書は普通話で書いてあると聞いて、それを読むときは広東語に直して読んでいるのかと、私は思っていました。たとえば、「我是日本人」と教科書に書いてあっても、「ゴーハイヤップンヤン」と読んでいるのだろうと。でも違ったのです。普通話なら「我是日本人」と書いて「ウォーシューリューベンレン」と読む、広東語なら、「我係日本人」と書いて「ゴーハイヤップンヤン」と読む。ところが、学校では、「我是日本人」と書いてあるのを、「ゴーシーヤップンヤン」と、普通話の用語なのに広東語読みする、つまり、第三の言語があるのです。これは、広東語を話す権利を守りたい香港人と中国政府との政治的な妥協の産物らしく、「二文三言語主義」と呼ばれています。
ポップスの歌詞も、広東語で書いて広東語読みするもの、普通話で書いて普通話読みするもの、普通話で書いて広東語読みするものの3通りあります。
また、四でも触れましたが、欧米の固有名詞は音から漢字を充てることが多いので、人名や地名について、普通話と広東語のどちらの音を採用するかという問題があります。どちらかの発音を採用して漢字を充てると、他方では、その漢字をその地域の読み方をするため全然違う呼び方になってしまうのです。だから、かつては、大陸と香港で発音重視で別の漢字を充てていることが多かったのです。たとえば、シンガポールのことは、大陸では、「新加坡」ですが、香港では「星加坡」とか(星洲炒米はシンガポール風焼きビーフンのこと)。しかし、返還以来、香港でもシンガポールのことを「新加坡」ということが多くなるなど、政治的状況が漢字にも反映しています。

七、最後に
以上からわかるように、中国語を勉強することは、その地域の政治的状況や文化がわかったり、さらに日本語のあり方についても深く考えさせられる作業です。欧米の言語を学ぶ場合、日本語と違いすぎて、日本語自体を見つめなおすことにはあまりなりませんが、中国語の場合、近いだけに、日本語の特殊性がより鮮明になるのです。
このように、まだ大して使いこなせるわけでもない中国語の虜になっている私ですが、もっとマスターしたら、次は、現在ボランティアで教えている日本語・英語点字に加え、中国語点字も勉強して、漢字のよりディープな面を探りたいなと思っている今日この頃なのです。

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