一つは、阪神淡路大震災から10年目ということで、元神戸消防署長という人が日経新聞の文化欄に書いていた文章だ。
助けを呼んでいる人全員を助けることができないという状況下で、消防士たちは、トリアージュ(被救助者の優先順位の選択)、つまり、誰を助け、誰を見殺しにするか、という残酷な選択を余儀なくされ、彼ら自身がPTSDに苦しんでいる、という事実に、涙が出た。
9.11以来、消防士という職業に人気が集まっている。昨年も、「火消屋小町」や「め組の~」という消防士を主人公にしたドラマが放映されていたが、つくづく、消防士というのは本当に立派な職業だなと思う。警察官も危険を冒すが、権力もまた行使できる。消防士は危険だけで、権力はなく、体もきつい。つまり、本当に犠牲的精神がないと務まらない仕事だ。
私が小学生のときも、お父さんが消防士で殉職した同級生がいたなあ。
そんな消防士の方々の心の痛みを思い、災害が人類に与える試練にまた思いを致した。
この大學に赴任するとき、「地震の危険だけは減ったな」と思ったらとんでもなかった。
活断層が真下を通っていて、ものすごくリスクが高く、市の広報で、耐震構造に建て替えれば補助金が出ると言う告知もしていた。
私は、それまで何の縁もゆかりもなかったこの地に一人で来て、夫を東京に残して大地震で命を落とす運命なのだろうか?
もう一つは、柳美里の「8月の果て」の、従軍慰安婦の悲惨という言葉では言いつくせないような地獄を読んで、涙が止まらなくなった。
NHKと朝日新聞の泥仕合、肝心の放映されたものの編集前とあとの違いを知りたいのだが。
本当の敵は政治的圧力なのに。
これは、作者の祖父で、戦争で中止されなければオリンピックでマラソン金メダルまちがいなしといわれた李雨哲とその一族の物語だ。
私は小学生の頃、ベルリンオリンピックで金メダルを取ったのに、日本の国旗を付けさせられた朝鮮人マラソン選手のことを描いた「消えた国旗」を読んで、衝撃を受けたが、その孫選手のことも出てくる。
また、「恨」を増幅させていく一族の運命を見て、柳美里の激しい生き方が宿命的なものなのだとわかったりした。
また、美里(みり)は、雨哲の故郷密楊(ミリヤン)からとっていることもわかった。
雨哲の弟雨根は、太平洋戦争後に、共産主義活動のために生き埋めにされ殺されるが、その淡い初恋の相手英姫が、戦争中騙されて従軍慰安婦にさせられたという設定。
柳美里、芥川賞受賞の「家族シネマ」はそれほど感心しなかったが、父親を殺す在日の少年を描いた「ゴールド・ラッシュ」で、才能を確信した。
その後、未婚の母になると同時にかつての恋人東由多加の末期がんを看取るというすさまじい生活を描いた「命」シリーズもとてもよかった。ただし、東との間にできて堕胎した水子のいくつもの位牌に拝む姿はちょっとついていけないものがあった。
確か「男」という古いエッセイに、「自分が子供をもつと想像したとき思い浮かぶのは、団地のベランダから赤ん坊を投げ捨てる自分の姿だ」なんて書いていたのに、実際に母親になるとちがうのだな、と思った。
プライバシー裁判の記者会見のとき切迫流産しそうだったという事実にも驚いたが、「石に泳ぐ魚」は、法と文学というテーマでいつか三島由紀夫の「宴のあと」と比較して論文を書いてみたい。