映画「ダビンチ・コード」を見てきました。感想としては、エンターティメントとしてはまぁまぁかな、というところ。原作がおもしろかったので、どうやってあれだけの物語を映像にしていくか興味があったのですが、原作の筋書きにほぼ忠実でした。それだけに、あの長編小説を2時間半に詰め込み、筋書きをトレースすることが中心となり、とても表層的になっていました。おそらく、原作を読まずに映画だけを見た人は、単なる犯人探しのミステリーとしては楽しめても、前後の脈絡が意味不明の場所がかなり出てくると思います。でも反面、原作と対比しないで見る訳ですから、ハリウッド的冒険映画として、それなりに面白いかもしれません。

ちょと前に大宅英子さんがラジオで言ってましたが、ダビンチ・コードの中核をなす「マグダラのマリア」伝説というのは、ヨーロッパやキリスト教圏の人々にとっては広く知られている解釈の一つであり、まぁ日本で言ったら「忠臣蔵」のようなものだ、とおっしゃってました。さもありなん、西洋史やキリスト教文化に詳しい人なら、「先へ、先へ」とカッ飛んでいく映画のストーリーにもついていけるでしょう。でも、宗教学(図像学、象徴学)の知識も無く、暗号解読にもそれほど情熱がない私みたいな人間が映画を先に見たとしたら、ストーリー展開についていけないんじゃないでしょうか。もっとも、それをきっかけに原作を読んでみれば、きっと面白いでしょう
。
さて、原作の小説と映画は、それなりに楽しかったです。でもふと、考えさせられてしまったのが、「表現の自由」です。「ダビンチ・コード」に対して、キリスト教徒がボイコット運動をしているというニュースを聞きました。一方、今年の初め、イスラム教のマホメッドを風刺した漫画を掲載したデンマーク(?だったけかな?)の新聞に対し、イスラム教徒が激しく抗議をしたときに、「表現の自由」で対抗したのは欧米諸国だったような気がします。映画だって、自由な表現方法の一つじゃないでしょうかねぇ?

ちょと前に大宅英子さんがラジオで言ってましたが、ダビンチ・コードの中核をなす「マグダラのマリア」伝説というのは、ヨーロッパやキリスト教圏の人々にとっては広く知られている解釈の一つであり、まぁ日本で言ったら「忠臣蔵」のようなものだ、とおっしゃってました。さもありなん、西洋史やキリスト教文化に詳しい人なら、「先へ、先へ」とカッ飛んでいく映画のストーリーにもついていけるでしょう。でも、宗教学(図像学、象徴学)の知識も無く、暗号解読にもそれほど情熱がない私みたいな人間が映画を先に見たとしたら、ストーリー展開についていけないんじゃないでしょうか。もっとも、それをきっかけに原作を読んでみれば、きっと面白いでしょう

さて、原作の小説と映画は、それなりに楽しかったです。でもふと、考えさせられてしまったのが、「表現の自由」です。「ダビンチ・コード」に対して、キリスト教徒がボイコット運動をしているというニュースを聞きました。一方、今年の初め、イスラム教のマホメッドを風刺した漫画を掲載したデンマーク(?だったけかな?)の新聞に対し、イスラム教徒が激しく抗議をしたときに、「表現の自由」で対抗したのは欧米諸国だったような気がします。映画だって、自由な表現方法の一つじゃないでしょうかねぇ?