忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

淀川毛馬閘門の辺りをぶらり。

2017年04月12日 | 如是日、如是時、如是想
大阪はこのとところ菜種梅雨なのか、雨の日が多く、花冷えの寒い日が続く。
気晴らしに淀川の毛馬閘門の辺りを歩いてみた。





毛馬閘門は明治40年の淀川大改修工事で設けられたもので、大阪の中心部を流れる大川(旧淀川)はここで取り入れられ、大川、天満川、堂島川、安治川など名前を変えながら大阪湾に注いでいる。





大川両岸は毛馬桜之宮公園として整備され、春は堤の桜が開花し、花見の名所となっている。





週末の今日もあいにくの空模様で、今にも泣き出しそうな空模様だったが、公園は花見の宴で賑やか。





公園は何処もかしこも花見の宴で満席の賑わい。
ここだけはシリアの化学兵器の使用の問題も、アメリカのミサイル攻撃の報復も何処吹く風、誰も彼もが笑顔酔眼の酒盛りの最中である。





外国人客が年々増えていることは街中と変わらない。
宴で交わされている言葉を聞かないと日本人と間違えるほど花見スタイルも日本式にはまっている。




こうした景色が両岸の約4.2キロの下流の桜ノ宮まで続く。
大川の春の景色である。

なるか?-夢よもう一度…

2017年03月21日 | 如是日、如是時、如是想
北摂の千里丘陵で大坂万博が開催されたのは1970年(昭和45年)3月のことである。





敗戦の荒廃から立ち上がり、日本の経済は世界の国々から奇跡と呼ばれた経済の高度成長を続け、それは正にピークに達しようとしていた。





「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国が参加した、この万国博覧会は世界第二位の経済大国となった日本が国の威信をかけて取り組んだ東京五輪にづ次ぐ国家プロジェクであった。





約6ヶ月にわたる開催期間中、宇宙船アポロが持ち帰った「月の石」を展示するアメリカ館、ソ連館など人気パビリオンは押すな押すなの盛況で数時間待ちの立ちん坊など、まるで「残酷博」などと揶揄されるほどの人気を博した。





期間中の総入場者は6421万人に達し、国際博覧会史上初めての黒字となった大坂万博は同年9月13日に惜しまれながら幕を閉じた。
ほとんどのパビリオンはその後に取り壊され、シンボルの太陽の塔と展示施設の日本庭園が残されたほか跡地は自然文化園や国立民族博物館などの施設が設けられた。





あれから半世紀たった今、跡地の自然文化園の梅園、日本庭園の梅園の梅が満開し、多くの梅見客で賑わいをみせている。





ここにきて大阪府の松井知事は2025年に大坂万博を誘致する方針をうち出した。
千里万博この方、地盤沈下が続く大坂経済を新しい万博開催で一挙に取り戻そうというのである。
もし実現すれば50年ぶりの夢の再現である。

時を同じく、関西経済同友会は新万博の予定地である「夢洲」にカジノ含む統合型リゾート施設の建設計画を発表した。





これを聞いて「ちょっと待て」と思った人は少なくないのではないか。

「カジノ」と言えば聞こえは良いが、直裁にえば、それは賭場、つまり博打場だ!
万博の会場に賭場を開き、そのカスリで大阪経済を活性化させようというのである。





そんな賭場を開かいでも、大阪の商人は長い間まっとうな商いで富をきづいてきたんと違うんかいな?


そんな声なき声が何処かから聞こえてくるような気がする。

如是日、如是時、如是想-生きる流儀

2016年06月22日 | 如是日、如是時、如是想
年の精か、この頃、歳をとって家族にも見放され淋しい老後を送る人に接する機会が増えてきた。





若い頃の元気な姿を見てきているだけに、孤独で不如意な老いの背中にかける言葉を失ってしまう。





核家族化した世相も一因なのだろうが、その人のそれまでの生き方に原因している場合が多い。





道楽事が止まなかったり、酒浸りの日々を送ったり、賭け事にのめり込んだりと、その生きる流儀は様々だが、身勝手という点で共通している。





身勝手な生き方は、その裏に家族の犠牲がつきものだが、そんな人に限ってそれに気づかないばかりか、かえってそんな生き方を周囲に自慢して見せたりする。
しかし、老いの行き先に待ち受けているのは、妻に先立たれたり、熟年離婚を迫られたり、老いの病に倒れたりと、それぞれにお定まりの因果の結末である。





どんな流儀で生きるのもその人の自由であろう。
しかし、その因果の報いは必ずその本人が受けることになるのである。
老いにこそ、人の真価が問われるのである。





他人事ではない、
すべては柳に風としなやかに、そして飄々と漂うようにありたいものだ。

君はそもそも誰なの?

2016年03月29日 | 如是日、如是時、如是想
季節は少し遡る。
2月の末に東京へ出る機会があった。
時間が少し空いたので江戸川区の葛西臨海公園まで足を延ばした。
今にも泣き出しそうな空模様でとても寒い日だった。





梅と菜の花が満開で、ちらほらと早咲きの桜も開花していた。





あちこち歩き回り、疲れたのでベンチに腰かけておにぎりを取り出して食べようとした。
すると、どこからか野鳥がやってきてこちらをうかがっているではないか。





初めは雀かな、と思った。
しかし、雀にしては少し大柄なのだ。
モズか?
そう思ってよく見ると嘴の先が細く尖っている。
モズではなく、ヒヨドリのようなのだ。





手のおにぎりが欲しいのか、ドンドン近くに寄ってきて、私の手の中を窺っている。
試みに掌にご飯粒を何粒か載せて差し出してみた。
すると、そのヒヨドリはさらに近づいてきてホバリングしながら私の掌のご飯粒を器用についばんだのである。
私はびっくりしてしまった。






私の家の廻りには農家が多く、ヒヨドリはいつも群れでやってきて農作物を荒らす手に負えない厄介物なのである。
ヒヨドリも自分が人間に嫌われているのを弁えているらしく、決して人に近づこうとしないし、人の姿を見るとすぐ飛び立って逃げてしまう。
だから、この公園のように人に馴れたヒヨドリがいることを知らなかったのである。





その内に他のヒヨドリまで集まってきて、私の手から米粒を啄み始めた。そんなやり取りが私のお握りがなくなるまで続いた。





最近、野鳥ばかりでなく、熊や猪や鹿など、人里に近づく野生の被害が問題なっている。

しかし、考えてみれば、彼らが人の生活域に姿を現すようになってきたのは、人が長年にわたって彼らの生息域を侵害し、その生存環境を奪ってきたからなのである。





もともと、地球は人間だけの独占物ではなく、地球上に生命を授かるあらゆる生命の共有物の筈なのである。
なのに人間はそれを自分たちだけの独占物のように妄想し、自らの富や利益のために自然や地球を壊し、他の生命の生存を脅かす営みを続けてきた。
悪いのは野生の生物ではなく、他ならぬ人類の方なのである。





人類も、もうそろ、貴重な自然や他の生命との共生のため、万物の霊長として真にふさわしい叡智を身につけることを迫られているのである。

季節の巡りがちょっと変?

2016年03月20日 | 如是日、如是時、如是想
今日は彼岸の中日である。
関西地方は一昨年、昨年に続き春一番が吹かないまま春の彼岸を迎えた。
ここ数日来の暖かさは尋常ではなく、日中は汗ばんだりするほどだ。





「今年の冬は暖冬」
とは昨年の気象庁の長期予報であったが、
1月、2月と結構寒い日が続き、
今年はほんとうに暖冬なの?
と疑ったりしたくらいだ。
だが、3月に入って急に寒さが緩み、ここ数日の暖かさで固かった桜の蕾もびっくりしたらしく、あちこちでせっかちな開花宣言がなされた。
それも、南から北へ、桜前線の北上に伴う開花ではなく、あっちが咲きこっちが咲きの、前線関係なしのバラバラ開花なのだ。





春先に吹く南寄りの強風は、春一番とか春習いとか呼ばれ、春の前触れを告げる気象現象なのである。
なのに、それがないままいきなり桜が開花してみたり、夏に台風の異常発生があったり、秋が訪れても暑さが納まらず、紅葉が紅く染まらなかったりと、このところ季節の巡りが少しおかしくなってきているように思える。





地球温暖化の影響だとか、エルニーニョの精だとか、いろいろ言われるが、ゲリラ豪雨のようにそれだけでは説明しきれないものがあるように思える。





だから、これはきっと、石油だ天然ガスだ、いや鉄だ、レアメタルだなどと、滅多やたらと地球に発破をかけて堀繰り回し、大自然の宝物を断りもなしに我が物にして貪り尽くそうとする、そんな人類の懲りない横着に大自然の神がとうとう怒りだし、人類に警告の懲罰を加えようとしているのではないか、
などと思いたくもなる。

幸せって?

2016年03月10日 | 如是日、如是時、如是想
人は苦しみの中にある時、
その苦しみから早くぬけだしたいと願う。





早く幸せを得たいと思うあまり、
背負った苦の荷物をせっかちに投げ出そうとしたりもする…





でも、苦の荷物を放り出してみても、
そこにあるのは幸でもなければ、やすらぎでもなく、
ただ挫折という別の苦しみの種でしかない。





そもそも人が思い描く幸せなるものは、形もなければ姿もなく、その実態もない、いわば陽炎のようなもの…、





だから、
たとえ他人が羨むほどの幸せにくるまれていても、
それにくるまれている間、人の心に湧いてくる思いは、
幸せの実感でも、感謝の気持ちでもなく、
ただただ変化のない日々の物憂い倦怠と、
ひたすらそこから逃げたしたいと願う思いばかりで…、





自らそれを追い求めていたことも、忘れ果て…、
すぐにそんな日々に飽きてしまい、
あれこれと他に幸せを求めてしまう。

楽も苦も、幸せも不幸も、
人の心に湧き起るあらゆる二元の思考の世界は、
あれもこれもと欲張る人の貪りの心が生み出す幻影の世界にすぎず、
もし、それが見えるとすれば、
楽は苦の中にいて、幸せは不幸の中にいて、
初めて見える幻のようなものではなかろうか…

観光地は今…

2016年02月05日 | 如是日、如是時、如是想
真冬の一日、冬晴れの朝日に誘われてぶらりの旅に出た。
この時期、観光地は人の出足が鈍く、どこも閑散としている。
春秋のシーズンには人で溢れかえる人気スポットも例外てせはなく、お店も閉まったままの所が少なくない。

そんな観光地の一つであるここ、





京都の嵐山であるが、





真冬の川面を吹き抜く寒風も何処へやら、





渡月橋は人、人、人で肩をふれないで歩くのが難しいほどである。
観光シーズン中と変わりがないほどの人の出である。

でも…、
耳に届くのは中国語、中国語、中国語…、





こうした現象はひとりここ嵐山に限ったことではない。
日本国内の何処へ足を運んでもおなじ現象が見られる。
それも、
「こんな所にまで…」
とびっくりするほどかつては過疎気味だった観光地でも中国人観光客の団体を見かけ、びっくりすることがある。





この日は亀山公園の山上展望台で金髪の東欧人らしい4人グループからカメラシャッターを頼まれたのが、唯一、私が出会った中国人以外の観光客であった。





結局、この日は帰りの電車に乗るまで遂に日本語を耳にすることがなかった。

時は流れて五十年

2015年10月12日 | 如是日、如是時、如是想
介護施設の友を訪ねた。
家族から彼が特別養護老人ホームに入ったと連絡があった。
つきあい始めてもう半世紀にもなる古い友である。
教えられた住所をたよりに施設を目ざした。
古い街道筋を南に折れて川沿いの道に入った。
川沿いの桜の並木は見覚えがあった。
その道は若い頃の私が歩き始めた長男の手を引いて散歩したなつかしい道だった。
施設は桜の並木が尽きた道筋にあった。


怪訝そうに私の顔を眺めていた彼はしばらくしてやっと私を思い出してくれた。
一緒に京都の街を歩き酒を酌み交わしたのはわずか2年ほど前のことである。
その彼が今はもうつかまり立ちもやっとの状態だった。
「人の老いがこんなにも急劇にやってくるものか」
私は言葉を失った。





彼と知りあってもう半世紀を過ぎる。
就職に失敗した私はとりあえずの腰掛けで東京神田の出版社の編集助手の仕事に就いた。
編集助手といえば聞こえは良いが、要は原稿とりの仕事だ。
原稿の〆切りが迫ると作家の家に詰めて徹夜が続く。
目を離すと売れっ子の作家は他の社の仕事を始める。
〆切りの期限まで時間と勝負のしんどい仕事だ。

東京オリンピックの後にやってきた不況で日本の社会があえいでいた。
彼は一年前から同じ仕事をしていた。
痩身で黒縁のめがねをかけた彼は芦田伸介そっくりの美男だった。
酒好きで仕事が終わると二人でよく酒を飲んだ。
飲むといつまでも話が弾んだ。

1年後、私は神戸の会社に就職し、彼は別の出版社の編集部へ移った。
彼とのつき合いはその後しばらく途絶えた。





6年後、私はこの町の住人となっていた。
司法修習を終えて任官し、最初に赴任したのがこの町だった。
住まいの近くには天智天皇の大津遷都まで遡るともいわれる古い神社があり、





湖畔はかつて日本三大湖城の一つといわれた膳所城があった跡で、あたり一帯が今は公園となっている。





その頃、彼は出版社を辞めて札幌の大学で心理学を学んでいた。
電話で話したり、手紙のやりとりはあってが、彼と会うことはなかった。
私も3年後にその町を去り別の任地へと赴任した。

彼と再会したのはそれからかれこれ20年近くが経ってからである。
私は大阪で自分の法律事務所を開き、彼は大津の町で臨床心理士の仕事をしていた。
すらりとした痩身だった彼は恰幅が出て頭髪も淋しくなっていた。
かっての芦田伸介は佐川光男へと見事に変身していた。

それからちょくちょく合い、共に奈良や京都を歩き、そして酒を汲み交わした。
酒を飲むと決まって昔話となり花が咲いた。


向かい合う目の前の彼は何を話しかけても昔の記憶を失っていた。
話に小さな花さえ咲かないまま、昼食の時間がやって来て、私は彼の許を辞した。





他人ごとではない。
人生の黄昏は誰にでもやってくる。
それも、もうそれほど遠い先ではないだろう。
ならばせめて陽のある間は、与えられた日々を大切に、ゆったりと心豊かに生きてゆきたい。
そう思いながら、湖畔をゆっくりと浜大津港へと向かった。



如是日、如是時、如是想-桜前線

2015年04月06日 | 如是日、如是時、如是想
年末から2月にかけとても寒い日が続き、今年は厳冬かと思っていたら、2月中頃あたりから春を思わせる暖かい日が多くなり、平年より早く桜前線が北上し始めた。
近畿でも平年より3日から5日も早くソメイヨシノの開花を迎えた。



そして、その桜はぼつぼつと散り初めている。



近頃は新聞もテレビも「桜だより」を流すようになってきた。
まるでそれに急かされるように、人はその名所の桜なるものを見ようと繰り出していく。



ところが、どの名所も足の踏み場もないほど人、人、人で混み合っていて、やっとの思いでたどり着いてはみたものの、花を愛でるどころか人酔いでヘトヘトになって帰宅するのが落ちである。



そんなに遠くに花を求めなくても、この日本という国、至る所に桜の木がある。
その気になって捜せば散歩の範囲内で桜の木の一本や二本は必ずといってよいほど見つけられる。
花が咲いて初めてそれが桜だと気づくことがよくある。
花の時期の今がチャンスである。



人だかりのない場所で静かに満開している自分だけの桜の名所を見つけるのも楽しいのではなかろうか。

如是時、如是時、如是想-能天気

2015年04月01日 | 如是日、如是時、如是想
「能天気」という言葉がある。
江戸時代からある言葉のようだ。
脳天気あるいは能転気と表記されることもある。
この言葉、どの辞書を開いても良くない意味の用語例が列んでいて、良い意味の用語例は見あたらない。




その割には、日常会話の中でかなり頻繁に、そして気軽に、それこそ脳天気に使われる言葉である。
「奴はちょっと脳天気にすぎる」とか
「あいつは脳天気なやつだから…」とか、
陰で人を腐すときに使われる例が多い。



しかし、脳天気が「頭の中に雲一つなく晴れ晴れとして何も気に懸けない」の意味であるとすると、それは結構なことで、悪い意味ばかりでなく、良い意味に使われてもよいのではないか、
と思ったりもする…



歳をとると、ついつい体調を壊し、医者通いが多くなる。
診察を受けると、医者は決ったように、
「ストレスが原因ですね」とか、
「あまりストレスを溜めないで下さい」
などと言う。



でも、今の世の中、ストレスを溜めないていることなんて出来るものだろうか。
仕事がストレスであることは置くとして、テレビも、ネット経由でも、次々と新しい情報が溢れてくる。
それを追っかけていると、知らぬ間にストレスは満タンになっている。
かといって、テレビもネットもシャットアウトとなると、時代の流れに置いてきぼりにされる気がして、それこそストレスが溜まる…




今の世でストレスを溜めない方法はとなるとただ一つ、
それは脳天気になりきることしかなさそうだ。
しかし、この脳天気、
なろうとしてなれるものではない。
つまり天然の資質がないと駄目なようなのだ。



となると、
もともと脳天気な人は、もしかすると、神か仏のように生まれつき
「えら〜い」
人なのかも知れない。