野中の道を歩くうち、前方のなだらかな丘陵の上に突如として姿を現すこの塔は岡山県総社市上林の備中国分寺の五重塔である。

二年前にここを訪れた時は丘陵を巡る木々には朱くうれた柿の実がたくさんついていた。
その柿の木々に今は若葉がみずみずしい。

街中の寺院の境内に建つ五重塔の姿は時々見てきているが、こうして野中の丘陵に建つ塔は初めてで、なぜか心の中の原風景を見るかのようになつかしく感じるのは私だけだろうか。

この備中国分寺、もともとは奈良時代に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により、諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)の一つである。
創建時のものは七重塔であったといわれれる。

現在は真言宗御室派の寺院で、この五重塔は江戸期に再建された高さ34.32メートルのものである。
岡山県内で唯一の五重塔だと聞いている。

この上林は総社市の中心部から約6キロ離れ、現在は田園地帯であるが、奈良時代にここに国分寺が建てられたというからには、かつてこの辺りが国衙に近い地域であったのだろう。
この辺り一帯は大和朝廷に匹敵する勢力を有したといわれる古代吉備王国が存在した地だといわれ、近くには仁徳・応神・履中天皇陵に次ぐ大きさの前方後円墳の「造山古墳」や、これに近い前方後円墳が他にも存在する。

現在この辺り一帯は国の史跡に指定されており、近くには備中国分尼寺跡もあり、他にも諸々の史蹟が多い地域である。

この五重塔は吉備路を代表する景観ともいえる。

吉備路の季節はこれから初夏へと向かう。

二年前にここを訪れた時は丘陵を巡る木々には朱くうれた柿の実がたくさんついていた。
その柿の木々に今は若葉がみずみずしい。

街中の寺院の境内に建つ五重塔の姿は時々見てきているが、こうして野中の丘陵に建つ塔は初めてで、なぜか心の中の原風景を見るかのようになつかしく感じるのは私だけだろうか。

この備中国分寺、もともとは奈良時代に聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により、諸国に建立された国分寺(金光明四天王護国之寺)の一つである。
創建時のものは七重塔であったといわれれる。

現在は真言宗御室派の寺院で、この五重塔は江戸期に再建された高さ34.32メートルのものである。
岡山県内で唯一の五重塔だと聞いている。

この上林は総社市の中心部から約6キロ離れ、現在は田園地帯であるが、奈良時代にここに国分寺が建てられたというからには、かつてこの辺りが国衙に近い地域であったのだろう。
この辺り一帯は大和朝廷に匹敵する勢力を有したといわれる古代吉備王国が存在した地だといわれ、近くには仁徳・応神・履中天皇陵に次ぐ大きさの前方後円墳の「造山古墳」や、これに近い前方後円墳が他にも存在する。

現在この辺り一帯は国の史跡に指定されており、近くには備中国分尼寺跡もあり、他にも諸々の史蹟が多い地域である。

この五重塔は吉備路を代表する景観ともいえる。

吉備路の季節はこれから初夏へと向かう。