忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

時は流れて五十年

2015年10月12日 | 如是日、如是時、如是想
介護施設の友を訪ねた。
家族から彼が特別養護老人ホームに入ったと連絡があった。
つきあい始めてもう半世紀にもなる古い友である。
教えられた住所をたよりに施設を目ざした。
古い街道筋を南に折れて川沿いの道に入った。
川沿いの桜の並木は見覚えがあった。
その道は若い頃の私が歩き始めた長男の手を引いて散歩したなつかしい道だった。
施設は桜の並木が尽きた道筋にあった。


怪訝そうに私の顔を眺めていた彼はしばらくしてやっと私を思い出してくれた。
一緒に京都の街を歩き酒を酌み交わしたのはわずか2年ほど前のことである。
その彼が今はもうつかまり立ちもやっとの状態だった。
「人の老いがこんなにも急劇にやってくるものか」
私は言葉を失った。





彼と知りあってもう半世紀を過ぎる。
就職に失敗した私はとりあえずの腰掛けで東京神田の出版社の編集助手の仕事に就いた。
編集助手といえば聞こえは良いが、要は原稿とりの仕事だ。
原稿の〆切りが迫ると作家の家に詰めて徹夜が続く。
目を離すと売れっ子の作家は他の社の仕事を始める。
〆切りの期限まで時間と勝負のしんどい仕事だ。

東京オリンピックの後にやってきた不況で日本の社会があえいでいた。
彼は一年前から同じ仕事をしていた。
痩身で黒縁のめがねをかけた彼は芦田伸介そっくりの美男だった。
酒好きで仕事が終わると二人でよく酒を飲んだ。
飲むといつまでも話が弾んだ。

1年後、私は神戸の会社に就職し、彼は別の出版社の編集部へ移った。
彼とのつき合いはその後しばらく途絶えた。





6年後、私はこの町の住人となっていた。
司法修習を終えて任官し、最初に赴任したのがこの町だった。
住まいの近くには天智天皇の大津遷都まで遡るともいわれる古い神社があり、





湖畔はかつて日本三大湖城の一つといわれた膳所城があった跡で、あたり一帯が今は公園となっている。





その頃、彼は出版社を辞めて札幌の大学で心理学を学んでいた。
電話で話したり、手紙のやりとりはあってが、彼と会うことはなかった。
私も3年後にその町を去り別の任地へと赴任した。

彼と再会したのはそれからかれこれ20年近くが経ってからである。
私は大阪で自分の法律事務所を開き、彼は大津の町で臨床心理士の仕事をしていた。
すらりとした痩身だった彼は恰幅が出て頭髪も淋しくなっていた。
かっての芦田伸介は佐川光男へと見事に変身していた。

それからちょくちょく合い、共に奈良や京都を歩き、そして酒を汲み交わした。
酒を飲むと決まって昔話となり花が咲いた。


向かい合う目の前の彼は何を話しかけても昔の記憶を失っていた。
話に小さな花さえ咲かないまま、昼食の時間がやって来て、私は彼の許を辞した。





他人ごとではない。
人生の黄昏は誰にでもやってくる。
それも、もうそれほど遠い先ではないだろう。
ならばせめて陽のある間は、与えられた日々を大切に、ゆったりと心豊かに生きてゆきたい。
そう思いながら、湖畔をゆっくりと浜大津港へと向かった。



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