忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

人生いろいろ~冴子

2014年01月04日 | それぞれの人生



       人 生 い ろ い ろ (1) ~ 冴  子

万葉集に伊香山と詠まれた賤ヶ岳の麓の村で冴子は生まれた。
そこは北陸に近い近江湖北の寒村で、自然は厳しく、冬はしばしば雪に閉ざされた。

  

どこの家も農業のかたわら養蚕を営み、絹糸をとって琴糸を紡ぎ、それを問屋に
納め、それで家計を支えていた。父はそんな家業を嫌って村の役所へ勤めに出
ていて、休みの日だけ申しわけ程度に耕耘機を操った。そんな湖北の農家で冴子
は育った。学校ではいつも主席で通した。
色白の器量よしで、近所では「冴えちゃんはきっと玉の輿」と噂された。

  

地元の高校を卒業すると、冴子は世話になっている琴糸問屋の口利きで大阪の御堂筋
に店を構える大きな楽器店に勤めた。
大きくなったら都会に出たい、それが子供の頃からの夢だった。
田舎育ちの冴子にとって、大阪は憧れの大都会だった。
 
冴子が竹夫と知り合ったのは大阪に来て3年目の春だった。
竹夫は筋向かいのビルにある商事会社に勤めていた。
昼ご飯を食べに入った食堂でたまたま相席となり、声を懸けられたのが縁だった。
大学出という竹夫の学歴やスース姿が目に眩しかった。
二人が離れられない関係になるのに時間はかからなった。
親に伏せたまま竹夫と道修町でささやかな所帯をもった。

竹夫は播州の竜野の産まれだった。故郷には年老いた母親が一人で暮らし
ていた。竹夫は一人っ子の長男だった。
所帯をもったその年の春、冴子は初めて竹夫の実家へ行った。
竜野はその中心部を揖保川が割って流れる山合の盆地で、落ち着きと気品があり、
城下町らしい歴史の重みを冴子は感じた。

  

新婚の夢心地は長くは続かなかった。
竹夫が会社を辞めて竜野へ帰ると言いだしたのである。母の老後を見る、というのが
その理由だった。所帯をもってまだ3年ほどしか経っていなかった。
竜野は歴史のある町だけに住んでみると、その環境に溶けこむのは骨がおれた。
冴子は花屋のパートの仕事を見つけて働くようになった。
老母の年金と冴子のパート収入が頼りの厳しい生計だった。

竜野に越して1年後に長男の民雄が生まれた。
寝たきりとなった老母の介護、子育て、そしてパートと、苦しい家計を必死に守る冴子を
尻目に竹夫は真剣に仕事探しをするでもなく、昼間から酒を飲んで暇をつぶした。
それが竜野へ帰る理由だったはずの母の面倒を竹夫は全く看なかった。
そんな日々が1年、2年と経つうちに冴子は段々と竹夫という男が信じられなくなっていった。

  

竹夫の母が亡くなったのは竜野へ越して11年が経っていた。
母の死に伴って収入の柱となっていたその年金が止まり、生活が一遍に苦しくなった。
冴子のパートの収入だけではとても夫婦の家計は回っていかなかった。

冴子の父が見るに見かねて実家へ戻るよう声を懸けてくれた。
定年を迎えた父は故郷で細々と農業を営んでいた。

  

湖北へ帰る、帰らないで大悶着の末、竹夫はしぶしぶ冴子に従った。

冴子の母はすでに2年前に亡くなっていた。
父の役所時代のコネで冴子は町の観光施設の管理人の仕事に就いた。
遣り甲斐を感じる仕事だったが、ほとんど独りで施設の管理一切を切り盛りする
その仕事は猛烈に忙しかった。
冴子はいつの間にか45歳になっていた。

手に手を取って仲むまじく施設を訪れる同世代の夫婦の姿を眺める度に、
 「自分はどこかで人生の道筋を踏み違えたのではないかしら」
と、冴子が考えるようになったのは、その頃からある。

冴子が湖北に帰って2年後、若い頃から医者知らずだった父が脳溢血で呆気なく
他界した。父が生きている間は、その目をはばかって竹夫は医療雑貨を扱う小さな
会社の営業員をして働いていたが、父が死ぬと、すぐにそこを辞めてしまい、その後
はまた酒浸りの毎日を送るようになった。

竹夫が認知症の症状を見せ始めたのは、還暦を過ぎた直後からである。竹夫には、
竜野に住んでいた頃に1度、そして湖北に来てから1度と、これまでに2度軽い脳梗塞
による入院歴があった。それでも竹夫は酒を止めようとしなかった。
やがて酒に酔っては、
 「俺は竜野へ帰る。母の面倒を見る」
 「お前は冷血だ、俺の面倒を何も見ない」
などと、悪しざまに冴子に言いつのるようになった。
竹夫の夜の徘徊もはじまった。
もう仕事をかかえた冴子の手には負えなくなってきていた。


その一数ヶ月後、初めてのデイケアーから戻ってきた竹夫は、ご機嫌だった。
戻ってきた竜野の家で、冴子がつぐ酒を竹夫は飲み干しながら、
 「あそこの食事は美味かった」
 「入浴の世話をする職員がやさしくてとても親切だ。お前とは大違いだ」
などと、冴子を詰るようにくどくどと話した。
あれだけ帰りたがった竜野の家へ戻ったのに、竹夫は仏壇の母の位牌に手を合わ
せることすらしなかった。

そんな竹夫を眺めながら、冴子は自分がずっと思い違いをしてきたことに気づいた。
 「これまで、私はどんな苦しいことがあっても、好き合って一緒になった人だから、
 ご縁があった人なのだから、と、自分にずっと言い含めてそれに耐えてきた。
 でも、どうやらそれは間違っていたようだわ。この人が求めていたのは、自分では
 何もしないでべったり依存できる相手、そして、それは私でなくても、 それができる
 相手なら誰でもよかったの。
 この人の母親が年老いてきて面倒を見てもらえなくなったとき、目の前にたまたま現
 れたのが私だっただけで、この人にとっての私は使い捨てのきく便利な女に過ぎなか
 ったの…、つまりは、どうでも良い女にすぎなかったの…」

そしてさらに呟いた。
 「ちょうど良かったわ、私にとっもこの人はもう要らない人、これからの私に必要なのは
 あの湖北の家とそこでの生活、それが私にとってすべてなの…」

それから数日の間、冴子は竹夫をデイケァーに送り出しながら竹夫のこれから暮らしの
段取りをこまごまと整えていった。
そして職場から貰った休暇の期限が終わる日、冴子は故郷へ向かう電車に乗った。
 「お父さん、ごめんなさい」
電車の窓に浮かぶ父の幻影に冴子は涙を流しなから呟いた。
 「これまで心配を懸けてばかり、何の孝行も出来なくて、ご免ね…、父さん…、
 お母さんにも苦労のかけ通しで死に目にも会えなかった…、親不孝をした分、
 これからはあの家をこれから私がしっかりと守っていくわ…、
 お父さん安心して、お父さんが残してくれた預金で民雄も希望の大学へ入れたわ、
 今年の正月は東京の下宿から戻ってくる筈よ…」

電車が北陸線に入り、湖北の家が近づくにつれ、冴子は自分が長らく失っていたものが自分
に段々と戻ってきつつあるように感じていた。
そう感じながらも、ふと、
 「あの人の晩酌のお酒、これから誰が面倒を見るんだろ」
と思ったりもした。

      

電車が故郷の駅に着いた途端、そんな思いはすっかりどこかへすっ飛び、
 「長いこと忘れていたわあのお宮さんへの初詣、今年からまた始めよう、ここを出るまで
 毎年そうしていたように…、今年の正月は民雄を連れて…」
と、冴子は周りに聞こえるような声で呟いた。
 
                                                 (物語は架空である)