忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

なるか?-夢よもう一度…

2017年03月21日 | 如是日、如是時、如是想
北摂の千里丘陵で大坂万博が開催されたのは1970年(昭和45年)3月のことである。





敗戦の荒廃から立ち上がり、日本の経済は世界の国々から奇跡と呼ばれた経済の高度成長を続け、それは正にピークに達しようとしていた。





「人類の進歩と調和」をテーマに77カ国が参加した、この万国博覧会は世界第二位の経済大国となった日本が国の威信をかけて取り組んだ東京五輪にづ次ぐ国家プロジェクであった。





約6ヶ月にわたる開催期間中、宇宙船アポロが持ち帰った「月の石」を展示するアメリカ館、ソ連館など人気パビリオンは押すな押すなの盛況で数時間待ちの立ちん坊など、まるで「残酷博」などと揶揄されるほどの人気を博した。





期間中の総入場者は6421万人に達し、国際博覧会史上初めての黒字となった大坂万博は同年9月13日に惜しまれながら幕を閉じた。
ほとんどのパビリオンはその後に取り壊され、シンボルの太陽の塔と展示施設の日本庭園が残されたほか跡地は自然文化園や国立民族博物館などの施設が設けられた。





あれから半世紀たった今、跡地の自然文化園の梅園、日本庭園の梅園の梅が満開し、多くの梅見客で賑わいをみせている。





ここにきて大阪府の松井知事は2025年に大坂万博を誘致する方針をうち出した。
千里万博この方、地盤沈下が続く大坂経済を新しい万博開催で一挙に取り戻そうというのである。
もし実現すれば50年ぶりの夢の再現である。

時を同じく、関西経済同友会は新万博の予定地である「夢洲」にカジノ含む統合型リゾート施設の建設計画を発表した。





これを聞いて「ちょっと待て」と思った人は少なくないのではないか。

「カジノ」と言えば聞こえは良いが、直裁にえば、それは賭場、つまり博打場だ!
万博の会場に賭場を開き、そのカスリで大阪経済を活性化させようというのである。





そんな賭場を開かいでも、大阪の商人は長い間まっとうな商いで富をきづいてきたんと違うんかいな?


そんな声なき声が何処かから聞こえてくるような気がする。

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