正式なCDのタイトル名は
「J.S.BACH無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」
である。その一曲を初めて聴いたときの衝撃は今でも覚えている・・・
いや、正確には、何度聴いても同じ衝撃を受ける。
「魂を人に伝える手段として、音楽があり、ヴァイオリンがあり、
作曲家と演奏家がいる・・・」
おろちの言葉でいえばそんな印象。ちなみに、この曲は、
ヴァイオリン音楽の「旧約聖書」といわれている・・・
と解説にある。
それ以外にも、低音とメロディーが別々に奏でられていて、
「ほんとに一人で(ヴァイオリン一本、弓一本で)弾いてるの?」
という疑問もあった・・・。これを聴いて、ほんとにバッハが好きに
なった。
そして今日、久々に聴いてみて・・・。やっぱ10年近経っても
全く感想は変わらない。涙なくして聴けない・・・。
J.S.バッハの完璧主義は、これを聴けば、いやおうなく
わかる。そして、そんな曲を完璧に弾きこなす彼女が天才でない
はずはない・・・。
と断言したあとで、彼女の略歴を見ると・・・。なんと、私が生まれる
よりも前からヴァイオリンを手にしていることが分かった。
この録音も、当時、デビュー20周年記念のものだという・・・。
「天才」のひとことで片付けてしまうのは失礼であった。
(P.S 今日の話題とは関係ないけど、昨日の写真はやはり
メタセコイヤだったようです。めでたしめでたし・・・)
「J.S.BACH無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」
である。その一曲を初めて聴いたときの衝撃は今でも覚えている・・・
いや、正確には、何度聴いても同じ衝撃を受ける。
「魂を人に伝える手段として、音楽があり、ヴァイオリンがあり、
作曲家と演奏家がいる・・・」
おろちの言葉でいえばそんな印象。ちなみに、この曲は、
ヴァイオリン音楽の「旧約聖書」といわれている・・・
と解説にある。
それ以外にも、低音とメロディーが別々に奏でられていて、
「ほんとに一人で(ヴァイオリン一本、弓一本で)弾いてるの?」
という疑問もあった・・・。これを聴いて、ほんとにバッハが好きに
なった。
そして今日、久々に聴いてみて・・・。やっぱ10年近経っても
全く感想は変わらない。涙なくして聴けない・・・。
J.S.バッハの完璧主義は、これを聴けば、いやおうなく
わかる。そして、そんな曲を完璧に弾きこなす彼女が天才でない
はずはない・・・。
と断言したあとで、彼女の略歴を見ると・・・。なんと、私が生まれる
よりも前からヴァイオリンを手にしていることが分かった。
この録音も、当時、デビュー20周年記念のものだという・・・。
「天才」のひとことで片付けてしまうのは失礼であった。
(P.S 今日の話題とは関係ないけど、昨日の写真はやはり
メタセコイヤだったようです。めでたしめでたし・・・)
(多分)でした。
これらは結構フラットに弾く人もいて、あるひとが引くシャコンヌ、ぼーっと聞いてて、最後の
方に至ってようやく、これがあのシャコンヌ?
と気づいたこともあるくらい。
四半世紀前に数住さんの演奏を聞くまでは、
クラシックなんて、ガッコのセンセに無理やり
聞かされた退屈な音楽でしかなかった。はじめて
聞くバッハは、「なんて激しいんだ・・・」。
言葉以外で表される精神というものを、自分は
よく理解できないのだが、この曲は精神性と
いう言葉以外では表現できない。
まぁ、あまり音楽には向かないのか、それ以降も、限られた数曲以外は聞かないのですけどね。
わたしが好きなのは、音が汚いといわれるシゲティ。千住さんは、駆け足調のどたばたっぽい文章をたまにみます。このCDは、買ってみようかな。
ありがとうございます。
そうそう、私も学生時代は、クラシック、
ぜんぜん好きぢゃなかったですね。
私は当時、よい子ちゃんだったので、
とりあえず、
「せんせいが聴けというから、つまらないけど
しかたない、黙って聴いてやるか・・・」
そんな感じでしたね。
シゲティ、名前は知ってます。今度チェックして
みます。
こちらでは初めてだったかなぁ。昨夜は
挨拶も抜きで、本題入ってますな。見事
に釣られたということで(笑)
気になって数住さんのことを検索して
みたら、7年ほど前に、45歳で亡く
なっている。知らんかった。
TVで1回、演奏を見ただけの人。
わたしをクラシックに、ちょっとだけ
引き込んでくれた人だった。おろ
ち氏がコレ書かなかったら、知らん
ままだったかもね。
そういえば、セコビアがシャコンヌ
弾いてるんです。ギターで。ギター
は5本の指を使うので、バイオリンと
はまた違った音を選んで浮かび上が
らせることができるようで、これは
これで、何度うるうるしたことやら。
甘いめの演奏なので、お勧めではなく、
ただの思い出話ね。
45で死んでは、いかんわなぁ。
ちなみに、自分の携帯の着メロは
「主よ、人の望みの喜びよ」です。