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日本の旅の記録です・・!!

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15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の時代感覚」

2016年03月12日 20時42分59秒 | 世界遺産・厳島神社





  15、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と清盛の時代感覚」  





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平安時代の貴族とは、一風変わった清盛の美的感覚、

“猛き者もついには滅びぬ”、平家物語で平清盛を語るとき、武士として又は政治家としての清盛にスポットが当てられることが多いようです。

一般的に歴史イコール政治史になってしまうので、それもやむを得ないのかも知れませんが、人間としての平清盛を語るには、これでは不十分といえます。

其れは清盛はその生涯の中で、単なる“時代の掟破り”の独裁者では成し得なかったであろう、偉大な文化的業績を残しているからです。
 
平家・清盛はほんの20年ほどの栄華でしたが、そのわずかの間に、平家文化ともいえるものを現出させ、それが今日に伝えられているというのは不思議な感じもするのです。 これらは古い慣習や偏見にとらわれない清盛の非凡さと美的感覚から生み出されたと言ってもよいでしょう。

因みに、平家の時代と言うのは平治の乱の勝利(1159年)から壇ノ浦での滅亡(1185年)まで26年間、または平清盛太政大臣就任(1167年)から平家都落ち(1183年)まで16年間、ほかにもいくつかの考え方があると思いますが、いずれにしても20年程度です。 
短いですよね。


一切経を書いた石を沈めて島の基礎とした「経が島」(日宋貿易の拠点である大輪田泊、当時の摂津国に交易の拡大と風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島)の改修を行いました。
つまり、船を風から守ろうとしたもので、この島が「経ヶ島」(経の島)とも呼ばれています。
その広さは平家物語によると、「一里三十六町」とあることから、現代の大きさで37ヘクタールほどと推定されています。 

工事は六甲山系の山を切り崩した土で海を埋め立てたが、それが難航したために迷信を信じる貴族たちが海神の怒りを鎮めるために人身御供をしたとも言われています。
又、清盛は石の一つ一つに一切経を書いて埋め立てたともいい、従って、この島を「経が島」と呼ぶようになったという。

ただし、実際の工事は清盛生存中には完成せず、最終的な完成は平家政権滅亡後に工事の再開を許された東大寺の重源によって建久年間に完成したとされています。
尚、現在では、度重なる地形変化等により場所が特定できず、凡そ、神戸市兵庫区の阪神高速3号神戸線以南・JR西日本和田岬線以東の地であるとみられている。

同時に、清盛は国家的事業として大輪田泊の大規模な整備を計画しましたが、源平争乱によりほとんど実行されなかったと思われます。


次回、「清盛の美の傑作・厳島神社」

  
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14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」

2016年03月11日 11時07分19秒 | 世界遺産・厳島神社





14、世界遺産;厳島神社の概説 「付記;毛利元就の厳島の合戦」




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宮尾城(要害山、現在は五重塔と千畳閣のあるところ)






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付記;毛利元就の厳島の合戦

平平安時代の末期、清盛の時代から遥か後、戦国時代における毛利元就はここ厳島にて陶晴賢(すえはるかた)と合戦し圧勝します。 有名な1555年「厳島の戦い」です。

陶晴賢は当時この地方を支配していて主君の大内義隆氏を討ち、権力をほしいままにしていました。 毛利元就は、はじめ陶晴賢に従うそぶりを見せるも、やがて絶縁します。
水運の要所である厳島に陣を置く毛利方、そこへ陶の船団が押し寄せます。

陶方はいったんは毛利方の宮尾城(要害山)を包囲したものの、暴風雨の中をわたってきた毛利元就の本体、また小早川隆景の別動隊に攻められ、陶晴賢は敗れて自刃します。
毛利4千対陶2万という戦力差にもかかわらず毛利勢が圧勝するのです。
この戦いの結果、大内氏は急速に弱体化し、代わって毛利氏がその旧領を併合(防長併合)することになります。

そして弘治3年(1557年)には晴賢によって擁立されていた大内義長(大友宗麟の異母弟で義隆の甥、一時義隆の養子となっていた)が自害し、大名としての室町時代に君臨していた大内氏は滅亡に至ったのです。

この厳島の戦いでの勝利が、以降、毛利氏が中国支配に乗り出していくきっかけとなりました。



しかし、この毛利元就が陶晴賢を破った「厳島の戦い」ですが、なぜ戦場を厳島に選んだのでしょうか・・?、
陶の大軍をおびき寄せるのには厳島が適してはいるが、当時の厳島は神聖な土地だったはずであり、ここで戦えば神聖な土地を血で汚すことになるのが明らかです。
にもかかわらず厳島を戦場にするという罰当たりなことが行われたのは何か・・?、

一般に、神仏の信仰と言うのは、時代によって変化のあるものです。 特に、戦乱の時代と言うのは信仰どころではなかったのでしょう。 それに毛利元就は心底から神仏を拝む気持ちはなかったからではないでしょうか・・?。

人心掌握の為には時には神仏を利用しますが、元就は本気で神聖な場所とも、罰当たりの場所とも思ってはいなかったのではないかとも推測されます。
さもなければ、毛利元就は厳島は神聖な土地というの承知で、敢えて逆用したのかもしれません。


一般的に言えることは、一部の名将はこういった人の信心の深さを利用して、士気を上げるのに神を利用する例が見受けられますされます。
後年、自ら神と称した織田信長も桶狭間の時には熱田神宮で吉兆をネタに士気を上げています。  

だが一方では、信長にしても神聖な場所であるはずの比叡山や石山本願寺を、理由はどうあれ仏敵として攻め滅ぼしています。


次回、平清盛の美意識、

  
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13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」 

2016年03月10日 17時14分15秒 | 世界遺産・厳島神社






  13、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と平家納経」  



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平家納経とは、 

平家納経とは、平安時代に平家一門がその繁栄を願い、厳島神社に奉納した経典類の総称で、平家一門が奉納した巻物として有名です。
清盛はじめ嫡子重盛、弟経盛、教盛、頼盛など一門の一人が一巻を担当して写経したもので、それを平家繁栄を祈って厳島神社に奉納したものです。 当時は金ピカリンの巻物であり、当時の平家の繁栄っぷりをよくあらわしていたとされています。
法華経30巻、阿弥陀経1巻、般若心経1巻、平清盛自筆の願文1巻と、経箱・唐櫃からなり、経典に施された装飾は絢爛豪華で、平家の栄華を今に伝えているのです。 平安時代の装飾経の代表作で、当時の工芸を現代に伝える一級史料とも言われています。


経典を筆写したのは平家の一族で、清盛・重盛・頼盛・教盛などであり、それぞれ一巻を分担する形で筆写したとされています。 その後、長寛2年(1164年)に厳島神社に奉納されたが、各巻の奥書を参照すると、全体の完成には仁安2年(1167年)までかかったことが判るそうです。

全点が昭和29年(1954年)、国宝に指定された。現在厳島神社が所蔵しており、複製が厳島神社宝物館で公開されている。



仏教経典である平家納経が何故、神社に奉納されたのか・・?。

清盛の時代は既に神仏習合でしかもほぼ神社の多くは寺の管理下にありました。
元より、自然崇拝を主にしていた神道には理論武装した仏教の侵略を止めることが出来なかったとしています。 その結果仏教に取り込まれる形になってしまい、神道の神々も本地垂迹として仏の化身という解釈になったのです。 ですから多くの神社では読経を行うことも本尊として仏を祭ることも普通にされていたわけです。


平民でも神社に祈願に行き、読経をするということがよくあったそうです。
日照りの時、弁財天社(これも仏教が影響する神社)に籠もり読経を続けて雨が降ったという地方の逸話もあります。

一説では厳島神社は中国貿易のため、中国の観音信仰の聖地-普陀山(普陀落山)を模したとも言われています。 つまり貿易船が出航の時に無事を願い、帰航したときに無事を感謝する目印でもあったとしています。
これに倣って造られたのが厳島神社だとしています。

そのため本尊は宗像三神・弁財天・観世音菩薩でした。 この観音像は普陀山から伝わったとも言われています。
(この事は後ほど詳しく述べます)


次回、 「付記;毛利元就の厳島の合戦」

  
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12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」

2016年03月09日 16時53分43秒 | 世界遺産・厳島神社





  12、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社と宗像三神」  




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厳島神社は推古天皇の元年593年、佐伯鞍職(さえきのくらもと)という人物によっ、先ずは創建されました。

祭神としては、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
田心姫命(たごりひめのみこと)、
湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神を祀ります。

「厳島」という名前は「けがれを避け神に仕える」という意味の「斉(いつ)く」という語に由来するとされているそうです。
厳島神社のある厳島(いつくしま)の語源は動詞としては、斎(いつ)くと関係があり、「神を斎(いつ)く祭る島」が語源とされています。 斎(いつ)くは、心身の汚れを去り神に仕えると言う意味にもなります。
また、厳島神社の祭神である、市杵島姫命(いちきしまひめのみことイチキシマヒメノミコト)の名に由来するという説もあります。


市杵島姫命は、元々、斎き島(いつきしま)とされ、神の島を意味し、神に斎(いつ)く島の女性としています。
その性質としては、水を司るとされており、後に習合することとなる仏教の守護神、弁財天も、インドのガンジス河の神であることから、何れも水に関わる意味を持つため、国内でも主に、水辺の近い場所に祀られることが多いといわれます。

また、市杵島姫命は「七福神」の一員として宝船に乗り、弁財天と同一視される縁起物にもなっていますが、其の弁財天の性質も多く引き継いでおり、「才」を「財」とみなす財宝神の役割や河の流れが奏でる音から音楽を司る神とされ、この事から芸事にも優れた意味を持つようになったと考えられています。
また、川が農作物を育てることから農業の神としての性質を持ち合わせている


更には、宗像三女の中でもとりわけ美女だったとされることから、美を司るなど非常に多岐に渡り、全体として福を司るとされ、つまり七福神の一つにも数えられているようです。


因みに、伝承の古事記においては、天照大神が須佐之男命(すさのを)を生んだとされており、須佐之男命の子が宗像三女神としている。

降臨の地は、福岡県の宗像地方東端の六ヶ岳という山であるとされ、天照大神が国つくりの前に宗像三神に「宗像地方から朝鮮半島や支那大陸へつながる海の道は降って、歴代の天皇をお助けすると共に歴代の天皇から篤いお祭りを受けられよ」と示したことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになったといわれています。

島の名称として「厳嶋大明神」のように平安時代からの用いられていたようです。


次回、「厳島神社と平家納経」

  
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11、世界遺産;厳島神社の概説 「平家一門と厳島神社」

2016年03月08日 18時02分19秒 | 世界遺産・厳島神社





11、世界遺産;厳島神社の概説 「平家一門と厳島神社」




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平家納経


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平家一門と厳島神社

安芸の宮島、厳島神社は世界遺産に指定され、今日も多くの観光客を集めています。

もみじ饅頭、そこらじゅうで目にする宮島鹿、またカキ(牡蠣)も美味しくて最高です。 ですが、やはり一番は海にデーンとそびえる朱塗りの大鳥居や華麗なる社殿、回廊など、あの荘厳なたたずまいにはロマンを感じずにはいられないところです。


「平家物語」には清盛が実際に厳島神社の回廊を歩く場面は無いんですが、やはり清盛があの決まった入道姿で一門をひきつれて、肩で潮風を切ってズシッ、ズシッと歩いてたと想像も出来ます。



そもそも清盛が厳島神社の信仰をはじめたのは、平安末期の1146年に安芸の守に就任した時にさかのぼります。 就任中に清盛が厳島信仰に目覚めるキッカケがあったようで、其処には平家物語には詳しくそのいきさつが語られています。

清盛は安芸守の再任を願って高野山の大塔を造営した時、清盛の眼前に老僧(奥院の阿闍梨と名乗る)が現れ、「(厳島は荒れ果てているので)早く厳島神社に奉仕せよ」と述べ、清盛が厳島に参詣したら、巫女から従一位太政大臣になるだろうと告げられ、そ果たしてその予言どおりになったといわえています。

清盛はこの老僧を厳島明神の化神と考え、巨費を投じで厳島神社の造営を行ったというものです。 この逸話の真偽はともかくとして、平家一門が厳島神社に奉納した「平家納経」の中でも、清盛直筆による「願文」には、夢に一沙門(僧侶)が現れて、「厳島を信じれば必ず功徳が得られる」と告げられたことが記されているといいます。

いずれにしても清盛が厳島神社を崇めるようになったのは、この神秘体験がキッカケだったといえそうです


また平家一門は氏神というべき神社がなかったこと、厳島は古代から瀬戸内の民の信仰を集めており、かつては航海の守護神であったということと、その清盛が瀬戸内海を影響下に置くや宋との交易の振興を宿願としていたこともあり、清盛は厳島神社を氏神として崇敬するようになり、厳島神社も平家の帰依によって発展することになったのです。


次回、「厳島神社と宗像三神」

  
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