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「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)
平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) .
資料:城崎温泉概略図
城崎温泉駅
城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつといわれ、飛鳥時代にコウノトリが傷を癒したという伝説が伝わっている。
又、8世紀初頭の養老年間、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したのが城崎温泉の始まりともいわれる。(現在の外湯・「まんだら湯」) 上人は「温泉寺」の開山僧でもある。
温泉寺は由緒ある古刹で、「鴻の湯」の向かい側、薬師橋を渡ったところに参道・山門があり、大師山の中腹に位置する本堂の他多宝塔などが建つ。
ここには大師山へのロープウェイが架かり中間駅に「温泉寺駅」がある。
大師山山頂からは温泉街はもとより、円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観が眼下に広がる。
城崎温泉は江戸時代には「海内第一泉・かいだいだいいちせん:日本一)」とも呼ばれていて、今もその碑が湯の町中心街、王橋のたもと外湯・「一の湯」として残っている。
一の湯は江戸時代の頃までは「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、医師・香川修徳が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて「一の湯」に改名したともいう。
温泉の目玉は昔ながらの外湯めぐりが主体で、外湯はそれぞれ守護神を持ち、温泉を神の恵みとした敬虔な信仰心として崇め、それに元ずいて湯浴みを行ったという。 一の湯の他に「鴻の湯」、「まんだら湯」、「御所の湯」、「地蔵湯」、「柳湯」、「さとの湯」 の七箇所、其々工夫を凝らし特色を出している。
江戸時代の温泉番付によると城崎温泉は西の関脇(最高位は大関)にランクされ、山陰の名湯とされていた。
温泉街の各所に多くの碑があるように、文人墨客に愛された湯の街であり、明治以後も「城の崎にて」を書いた志賀直哉をはじめとする多数の文豪が来訪している。
『 手ぬぐいを さげて外湯に 行く朝の
旅のこころと 駒下駄の音 』 与謝野 寛
ところで、志賀直哉の「城の崎にて」の城崎が消えてしまった・・!!??、
城崎町は2005年、周辺の竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併し豊岡市になってしまったのである。
この度の「平成の大合併」で日本国中の由緒ある町村名が消えてしまった事例が多い。
西の大関と言われる大分・湯布院町(由布市)であり、関脇が城崎町(豊岡市)であり、 東北の小京都・角館(仙北市)、焼物の里・あの狸でお馴染みの信楽(しがらき・甲賀市)、いずれも屈指の観光地であったが、あっさりと消えてしまったは惜しいことである。
東の大関は静岡・修善寺(伊豆市)、名作・「伊豆の踊子」も形無しであり、同じく静岡のサッカー王国、清水の次郎長でお馴染みの清水市(静岡市)、関脇は上州の歴史ある温泉場・伊香保(渋川市)、他にも、日本一のブドウとワインの産地・勝沼(甲州市)、日本のエーゲ海と言われた岡山・牛窓町(瀬戸内市)と、懐かしい市町村名なども失われていて、 他にも無数にあるという。
「地名」には、歴史的背景や地勢的由来などの謂れがあるのだが、住民の浅はかな興味本位の投票と、行政諸氏の石頭連が何の惜しみも無く、かなぐり捨ててしまうことは残念である。
早朝目覚めたので朝飯前に今一度、写真撮影方々温泉街を訪ねてみた。
先ず最初に駅前に出る。 古い温泉地のわりにはモダンな駅舎で「城崎温泉駅」という。 京都発着の山陰本線は福知山
、豊岡と内陸からやってきて、ここ城崎から概ね山陰地方の沿岸を辿りながら終着の下関に至っている。
2005年4月1日に城崎町が隣の豊岡市と合併したことに伴い、2005年3月1日に「城崎駅」から「城崎温泉駅」へと改称されたらしい。
さすがに合併によって由緒ある自治体名である「城崎」が消える危機感を感じ、城崎ブランドを守るため地元有志・議会などの要請により,旧城崎町が経費を全額負担して「城崎温泉駅」が実現したという。
この「城崎温泉駅」は第一回近畿の駅百選にて、第14位の選定駅であるという。
因みに、駅百選というのは、「鉄道の日」(明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅と横浜駅とを結んだ日本初の鉄道が開業した事を記念したもので、1922年に鉄道記念日として制定された)記念行事の一環として、2000年から2003年までの4年間で、国土交通省近畿運輸局管内(京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、奈良県、和歌山県)の特徴ある駅を公募等で募集し、選考委員会で100駅を選定したものである。
駅前にお寺のお堂を模した豪奢な造りの吹き抜けの建物の「足湯」である。
ここで目覚めの顔、手足を洗う。 その奥に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」が城崎温泉街の外湯の一つとして機能しており、無料で利用できる足湯で、電車の待ち時間をゆったりとすごすことができるのは嬉しい。
役場である城崎支所には「温泉課」という窓口も有るという。
城崎温泉の極楽寺参道
参道横の元湯
湯の町の朝は早い・・!、
すでに観光客・泊客は朝7時開湯の外湯を目指しているようである。
大谿川にかかる柳の緑が朝風に、ソロリと揺れている、又、湯の里通りの瀟洒な家並みに朝日が当たり始めた。
温泉街の外れ、突き当りの月見橋を左折すると西山公園があって、この先に極楽寺がある。 ここにも城崎温泉の元湯があり、露出した岩肌の間からモウモウと湯蒸気を上げている、看板に28号源泉とあった。
何処かの旅館の女将であろうか、品の良さそうな粋な和服姿で参道からこちらにやって来る。軽く黙礼を交わしすれ違った。
松林が覆う長い参道の奥に本堂らしき重厚な建物が目に入る。
極楽寺は京都・大徳寺の末寺で江戸・寛永年間、沢庵和尚により再興された禅寺という。
境内は禅寺らしく、白砂で心の文字が描かれた枯山水の庭園・「清閑庭」や城崎温泉の開祖である道智上人が、独鈷(とっこ・仏具)といわれる仏具で岩の壁をたたくと湧きだしたと言われる「独鈷水」等がある。
予約すれば座禅や法語の修行を行ってくれるらしい。
そろそろ人の往来も目立つようになったところで戻るとしよう。
次回は、・「丹後の国・与謝野」
「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)
平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) .
資料:城崎温泉概略図
城崎温泉駅
城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつといわれ、飛鳥時代にコウノトリが傷を癒したという伝説が伝わっている。
又、8世紀初頭の養老年間、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したのが城崎温泉の始まりともいわれる。(現在の外湯・「まんだら湯」) 上人は「温泉寺」の開山僧でもある。
温泉寺は由緒ある古刹で、「鴻の湯」の向かい側、薬師橋を渡ったところに参道・山門があり、大師山の中腹に位置する本堂の他多宝塔などが建つ。
ここには大師山へのロープウェイが架かり中間駅に「温泉寺駅」がある。
大師山山頂からは温泉街はもとより、円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観が眼下に広がる。
城崎温泉は江戸時代には「海内第一泉・かいだいだいいちせん:日本一)」とも呼ばれていて、今もその碑が湯の町中心街、王橋のたもと外湯・「一の湯」として残っている。
一の湯は江戸時代の頃までは「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、医師・香川修徳が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて「一の湯」に改名したともいう。
温泉の目玉は昔ながらの外湯めぐりが主体で、外湯はそれぞれ守護神を持ち、温泉を神の恵みとした敬虔な信仰心として崇め、それに元ずいて湯浴みを行ったという。 一の湯の他に「鴻の湯」、「まんだら湯」、「御所の湯」、「地蔵湯」、「柳湯」、「さとの湯」 の七箇所、其々工夫を凝らし特色を出している。
江戸時代の温泉番付によると城崎温泉は西の関脇(最高位は大関)にランクされ、山陰の名湯とされていた。
温泉街の各所に多くの碑があるように、文人墨客に愛された湯の街であり、明治以後も「城の崎にて」を書いた志賀直哉をはじめとする多数の文豪が来訪している。
『 手ぬぐいを さげて外湯に 行く朝の
旅のこころと 駒下駄の音 』 与謝野 寛
ところで、志賀直哉の「城の崎にて」の城崎が消えてしまった・・!!??、
城崎町は2005年、周辺の竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併し豊岡市になってしまったのである。
この度の「平成の大合併」で日本国中の由緒ある町村名が消えてしまった事例が多い。
西の大関と言われる大分・湯布院町(由布市)であり、関脇が城崎町(豊岡市)であり、 東北の小京都・角館(仙北市)、焼物の里・あの狸でお馴染みの信楽(しがらき・甲賀市)、いずれも屈指の観光地であったが、あっさりと消えてしまったは惜しいことである。
東の大関は静岡・修善寺(伊豆市)、名作・「伊豆の踊子」も形無しであり、同じく静岡のサッカー王国、清水の次郎長でお馴染みの清水市(静岡市)、関脇は上州の歴史ある温泉場・伊香保(渋川市)、他にも、日本一のブドウとワインの産地・勝沼(甲州市)、日本のエーゲ海と言われた岡山・牛窓町(瀬戸内市)と、懐かしい市町村名なども失われていて、 他にも無数にあるという。
「地名」には、歴史的背景や地勢的由来などの謂れがあるのだが、住民の浅はかな興味本位の投票と、行政諸氏の石頭連が何の惜しみも無く、かなぐり捨ててしまうことは残念である。
早朝目覚めたので朝飯前に今一度、写真撮影方々温泉街を訪ねてみた。
先ず最初に駅前に出る。 古い温泉地のわりにはモダンな駅舎で「城崎温泉駅」という。 京都発着の山陰本線は福知山
、豊岡と内陸からやってきて、ここ城崎から概ね山陰地方の沿岸を辿りながら終着の下関に至っている。
2005年4月1日に城崎町が隣の豊岡市と合併したことに伴い、2005年3月1日に「城崎駅」から「城崎温泉駅」へと改称されたらしい。
さすがに合併によって由緒ある自治体名である「城崎」が消える危機感を感じ、城崎ブランドを守るため地元有志・議会などの要請により,旧城崎町が経費を全額負担して「城崎温泉駅」が実現したという。
この「城崎温泉駅」は第一回近畿の駅百選にて、第14位の選定駅であるという。
因みに、駅百選というのは、「鉄道の日」(明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅と横浜駅とを結んだ日本初の鉄道が開業した事を記念したもので、1922年に鉄道記念日として制定された)記念行事の一環として、2000年から2003年までの4年間で、国土交通省近畿運輸局管内(京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、奈良県、和歌山県)の特徴ある駅を公募等で募集し、選考委員会で100駅を選定したものである。
駅前にお寺のお堂を模した豪奢な造りの吹き抜けの建物の「足湯」である。
ここで目覚めの顔、手足を洗う。 その奥に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」が城崎温泉街の外湯の一つとして機能しており、無料で利用できる足湯で、電車の待ち時間をゆったりとすごすことができるのは嬉しい。
役場である城崎支所には「温泉課」という窓口も有るという。
城崎温泉の極楽寺参道
参道横の元湯
湯の町の朝は早い・・!、
すでに観光客・泊客は朝7時開湯の外湯を目指しているようである。
大谿川にかかる柳の緑が朝風に、ソロリと揺れている、又、湯の里通りの瀟洒な家並みに朝日が当たり始めた。
温泉街の外れ、突き当りの月見橋を左折すると西山公園があって、この先に極楽寺がある。 ここにも城崎温泉の元湯があり、露出した岩肌の間からモウモウと湯蒸気を上げている、看板に28号源泉とあった。
何処かの旅館の女将であろうか、品の良さそうな粋な和服姿で参道からこちらにやって来る。軽く黙礼を交わしすれ違った。
松林が覆う長い参道の奥に本堂らしき重厚な建物が目に入る。
極楽寺は京都・大徳寺の末寺で江戸・寛永年間、沢庵和尚により再興された禅寺という。
境内は禅寺らしく、白砂で心の文字が描かれた枯山水の庭園・「清閑庭」や城崎温泉の開祖である道智上人が、独鈷(とっこ・仏具)といわれる仏具で岩の壁をたたくと湧きだしたと言われる「独鈷水」等がある。
予約すれば座禅や法語の修行を行ってくれるらしい。
そろそろ人の往来も目立つようになったところで戻るとしよう。
次回は、・「丹後の国・与謝野」