日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社の三神」

2018年03月20日 21時54分52秒 | ブログ





  日光の世界遺産;二社一寺 「二荒山神社の三神」  



http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Nikko_Futarasan_Honden_M3325.jpg
二荒山神社・本殿






二荒山神社の三神は、其々、大己貴命(おおなむち;大国主命)、田心姫命(たごりひめ)、味耜高彦根命(あじすきたかひこね)の三神を祭っている。

そして余計なことであろうが、この二荒山神社三神は、どうゆう形や向きで鎮座されているかは我らの斟酌する立場に無いが、少なくとも参拝者に向かって正面をお向きになっていることだけは確かであろう。

ここで、小生が「日本一周の旅」で、出雲大社を巡った時に、本殿祭神について不思議なことを知らされたので記しておこう。

「日本一周の旅」; ;http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/nn-24-1.htm 




出雲大社の本殿内部の御神座の位置、配列が「奇妙」であるとされている。 
御神体・大国主神の神座が西向きで、参拝者から見ると横向き(そっぽ向き)になっているという。
大社造りの特徴は、妻側から拝む形式になっているが、神殿内部の平座では出雲の御神体・大国主神の他に、大和の五神が祀ってある。 

その配置の正方形の平座には左方奥隅に大和五神が正面に正対して鎮座し、右方奥隅に大国主が左方(西方)を見る形、つまり正面からは横向きになり、五神にお伺いをたてている、といった構図になっているのである。 


しかも、大国主が正面から直接見えぬように、中心に柱(「心御柱」といい、この柱が所謂、大黒柱の謂れであるとされる)を置いて目隠しのカーテンを施してあるという。 

従って、我等の出雲の神への礼拝は、傍に控える大和の五神に向かって拝礼している形になり、いかなる願いも大和の五神がチェックを入れてから、大国主に取次ぐという形になっているのというのである。 




次回、出雲の大国主神






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新・日本紀行(116)対馬 「占領下の対馬」

2016年05月19日 17時47分55秒 | ブログ


九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 新・日本紀行(116)対馬 「占領下の対馬」 






http://marukumaoh16.up.n.seesaa.net/marukumaoh16/image/E69D8EE689BFE699A9E383A9E382A4E383B3-thumbnail2.gif?d=a0






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江戸期、「対馬」は華やいだ・・、

江戸時代になって、幕府が対馬に藩を置き城下を造り、この地に朝鮮外交の事務局を置いたのである。 
将軍が交代するたびに鎖国下においても、朝鮮通信士(数百人にものぼる朝鮮外交団)がこの対馬を経由して、はるばる江戸を往来したという。
この時期、沿道、諸国、日本はある種の朝鮮ブームだったと言われる。

明治期の近代においては、ロシア、イギリスによる対馬への接近に脅威を感じた日本政府は、軍を配置し国境最前線である対馬島の要塞化を図った。 
国境線に近い海岸線の各地域に砲台が築かれ、昭和前期には対馬海峡全体を防衛できるほど整備された。 
特に豊砲台には、軍縮条約により巡洋戦艦から航空母艦へ転用された「赤城」の40cm連装砲塔が、又、竜ノ崎砲台には戦艦「摂津」の30cm連装砲塔が設置された。
豊砲台の跡地は今日でも見学することができる。


終戦後の昭和23年頃のある時期、韓国・李承晩大統領が「対馬は韓国の領土だ・・!」と言い放った。 そして竹島は実際に韓国が」此の宣言によって実行しはされているのである。

当時の日本は米国の占領下にあったから、日本の領土に関することは米国・国務省に持ち込むのが筋であった。 しかも、日本に辛苦を嘗めさせられた代償に対馬をよこせ、と言うならまだしも我が領土だ・・!、と言い放ったのは拙かった。 

昨今公開された国務省機密文書によると、大統領の意を組んだ韓国の駐米大使がダレス長官に会い、対馬の領有を主張したとある。(日本が敗戦で苦悩している最中の、ドサクサまぎれに・・!) 

古来、朝鮮・韓国が領土の件で、外交問題化したのは稀有だという。 
この申し入れに対してダレス長官は「対馬は極めて長期間にわたり日本の領土である」とキッパリ言って、この件を一蹴させている。


次回、対馬 「李承晩ライン」

  
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留学

2015年10月27日 21時30分44秒 | ブログ



海外留学と合わせた海外旅行と自己研鑚、




夕日に染まる「グランド・キャニオン」




海外留学しながら当地の観光や歴史文化を学びながら巡る・・!、
何と羨ましい限りですが、日本では昔から「可愛い子には旅をさせろ」ということわざもあります。 特に、留学というのは実も知らない他国へ訪問して特別に己の研鑚を施す、ということでもあり、ある種の覚悟と自己犠牲を伴うものでしょう。
併せて、眼と耳と脚で当地の自然や文化を観光しながら学ぶということは、二重の学問にもなり、海外留学する人達には是非に併せて当地での旅や旅行をお勧めしたいことですね。

御当地の観光地巡りも、特に、アメリカ大西部に形造られたグランド・キャニオンは世界遺産の自然遺産にも登録されていて、世界遺産としては其の迫力ある規模といい巨大さや広大さではナンバー・ワンとも言われるそうです。
アメリカの大作曲家・グローフェが作曲した名作・「グランド・キャニオン」としても有名ですが、その大景観は実に素晴らしいの一言に尽きます。 こちらは単なる峡谷というより、その高原における裂け目や岩の形、岩塊が何とも異様というか不思議な形をしていて、岩山や尖塔岩などが入り交じった迷宮のような処でもあります。 数百万年の昔から地球の営みでもあるコロラド川の浸食によって出来上がったものとされ、これらの大峡谷一帯をグランドキャニオンと呼ばれるようになったとされます。

ところで、旅は英語でいう「トラベル」ともいい、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、という意味もあるといいます。 尤もな事で、一昔前までは旅というのは自分の脚で歩いて移動したものであった。
海外留学もそうで、其処には多大な苦労や苦痛がある筈であるが、此れを乗り越えてこそ揺るぎない人間形成が出来上がるもので、旅や旅行、観光も其の一旦であるとも言えるでしょう。


栄 陽子留学研究所>; http://www.ryugaku.com/blog/entry/tabi.html

学生のうちに一度は訪れたい!人生の価値観が変わる5つのスポット by 留学広報部






グローバルな価値観を習得するための「栄 陽子留学研究所」

2015年09月09日 17時43分22秒 | ブログ



グローバルな価値観を習得するための「栄 陽子留学研究所」









留学の恩師とも言える栄 陽子氏「栄 陽子留学研究所」の内容、主旨を拝見して、甚だ納得したのであります。
確かに、近年は特にグローバル化時代とか、国際的な視野をもつことの重要性を指摘されます。 オリンピックを2020年に控えていると言うまでもなく、最近は多くの外国人が日本を訪れるし、又、日本としても経済的、文化的にも国際化の道を辿るのは必定であり、その為には国際人としての資質や語学力を身に付ける必要もあると思います。

例えば、語学力の一つをとっても、国内での英語の勉強にしても従来のような画一的な勉強方法では、英語の理屈は判っても当該外国人と対等の会話を交わすには殆どと言っていいくらいにお役に立ちません。 此の勉強法は所詮は机上だけのものであり、英語力としての国際人としてはまったく無関係のものでも有るようです。 

しかし、此れが身を挺しての「留学」、特に英語圏の海外留学となると、英語を生の言葉で学ぶことが出来、尚且つ、即に実践できるというのが重要なポイントです。
留学というのは、英語の語学力を身に付けるだけではなく、異文化に触れながら己を未知の世界にて多くの経験を積むという重要な要素があり、個人としても胆力を身につける絶好のチャンスにもなるのでしょう。

留学というのは其ればかりでなく、毎日の異国での学びや生活の中で、日本の生活や文化を個人なりに紹介する事でも有るのです。 此れを称して国際人といえるでしょう。
留学は、語学留学という狭い視野の目的ばかりでなく、己・個人が意識しようが、しまいが自然と知らぬ間に国際的な教養をも身につけられる絶好の機会でも有るのです。

此の後は、多くの若者が世界へ目指す機会も当然のように多く発生します。 又、日本は
グローバルな貿易立国であり、世界でも特異な文化を持っている国です。 此のようなことから若者達は十代の頃から、此等の意識を持つべきでしょう。 此れは別に「十代の頃から国際化のために頑張れ」といっているのではなく、”若者として己を信じ、己を磨くためにも、又、大いなる未来を海外にまでの視野を持て”、ということでもあります。

此のような意識や機会が訪れたら、是非一度「栄 陽子留学研究所」を訪ねてみては如何かな・・?。 キット、必ずや貴方の将来のための、留学のための、大いなる助言が聞かれ、心が開かれると思いますよ。





留学のお勧め、

栄 陽子氏の留学相談所
「栄 陽子留学研究所」