日本の旅の記録です・・!!

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日本周遊紀行;温泉と観光(29) 「洞爺湖とサミット」

2010年04月28日 10時14分26秒 | 北海道
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日本周遊紀行;温泉と観光(29) 「洞爺湖とサミット」




右は中島、左の山は羊蹄山


洞爺湖の湖岸に出ると高層のホテル群が湖岸に面して屹立している。

洞爺湖温泉」は、この洞爺湖湖畔に広がっていて、遊覧船の発着場でのあり、観光の中心地となっている。 
開湯は比較的新しく1917年頃と新しく、洞爺湖の湖水で熱い場所があることを知った三松、杉山、安西の3氏が、湖岸で43℃の源泉を発見したことが温泉の始まりであったという。 
その後、北海道庁から温泉利用許可を取得し、「竜湖館」という旅館を開業させたのが第一号であった。
開湯当初は「床丹温泉」という名前であったが、後に湖名に因んで洞爺湖温泉となったという。


有珠山の噴火で出来た噴火口が、この温泉街の間近に存在するのも稀有なことであろう。

2000年(平成12年)3月の有珠山の火山噴火では麓に広がる温泉街を、一瞬にして灰の街へと変えた。 
ただ、地域の住民の多くは前回、前々回、中にはそのさらに前の噴火を経験した人も多くいることもあり、叉、有珠山は、噴火を繰り返す周期が短く、かつ一定であるということから比較的「噴火予知のしやすい火山」とも云われていた。
住民は、「温泉などの、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や普段からの児童への教育などがもなされていたという。 

今回の噴火でも街は多大な被害を受けたが、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことなどで犠牲者は一人も出さず、被害が最小限で済んだ要因の一つであるといわれている。
噴火から数年、復興は進んだ、今日ではすっかり活気をとり戻し、観光客で賑わっている。


洞爺湖町は北海道において、もっとも気候温暖な地方といわれ、交通の便もよく観光景観に恵まれていることから、年間400万人以上もの観光客が訪れる北海道有数の観光地となっている。
湖畔の温泉街では露天風呂、温泉はもちろん足湯、手湯、果ては犬専用の足湯もあるという。
洞爺湖温泉の泉質は、ナトリウム・カルシウム・塩化物、硫酸塩、炭酸水素塩泉。 湧出温度は40℃~70℃。 温泉の効能は神経痛・筋肉痛・動脈硬化症などとされる。


温泉街の正面に絵のような「洞爺湖」が広がる。

洞爺湖は周囲約43kmで東京の山手線とほぼ同程度という。 
最大深度179m、平均深度116mの火山湖で、中央に4島からなる「中島」がある。 湖は河川の流入で、その水質が酸が強いため湖水のph(ペーハー:水素イオン指数濃度のことで、中性が7、数値がこれより小さいと酸性といい、大きいとアルカリ性という)が低下し一時はph5になり、湖の生息魚類にとっては危険な状況となった。 

酸性湖とは、通常は硫酸などに起因する無機酸性湖のことを指し、火山や硫黄質温泉が出る付近に多いとされる。 
因みに、宮城県にある潟沼の酸性度(pH1.4)は世界最強であり、日本ではこのほかに、猪苗代湖や田沢湖、道内では屈斜路湖などが該当するという。


洞爺湖はその後有珠山の噴火があり、湖にも大量の火山灰が降った。 
火山灰がアルカリ性であるために酸性の湖水と中和し水質が改善され、 現在では中性であるph7前後を維持しているとのこと。 
魚類も順調に増加し、ワカサギ、サクラマス、アメマス、ニジマス、等が生息しているという。




叉、洞爺湖の北方に北海道百景に指定されている「浮見堂」があり、背後に有珠山が控えていた。
昔、一人の僧侶が旅の途中で、当時、旧洞爺村屈指のある資産家に宿を乞うた。
1ヶ月ほどたったある日、その僧侶が肌身離さず持っている聖徳太子の像を主人に「大事に祀ってくれたらこの土地はは必ず産業が栄え、豊かな村になる」といって贈り、大変喜んだ主人は、大事に祀ることを約束した。
この像が聖徳太子の本尊で、浮見堂に祀られている。



湖から帰路の途中、洞爺湖温泉街で車をユックリ後退させていたら、後ろからコツンと当てられた・・?、小生急いで降りて、「御免なさい・・、」というと、乗用車の中年のオバサンも「あら、私こそ御免なさい、ほんの一寸よそ見していて・・」 お互いの車には此れといったキズは無く、何となく恐縮しながら笑顔で別れた。 クワバラ・クワバラ・・!


湖畔を走っていると湖の西側、緑の山の頂上付近に白亜台形の巨大な建物が見て取れる。
2008年の7月に開催される予定の、「北海道洞爺湖サミット会場」となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」というらしい。 



現、安倍首相(2007年9月からは福田総理)は、日本で開かれる主要国首脳会議(サミット)を、北海道洞爺湖町で開催することを決め、首脳陣会議の開催を同ホテルに決めた。

大都市から離れ、参加首脳の警備が容易なことに加え、洞爺湖や有珠山を望む豊かな自然環境に恵まれていることなどが決め手となったという。 
このホテルは、標高約600メートルの高さにそびえ建つ地上11階地下1階のホテルであり、山上の単独のホテルでもある。 
尚、メディアセンターとして、湖の北方にあるリゾート地「ルスツリゾート」が選ばれた。この地は道内のスキーリゾート地としても有名であり、我等もつい最近二家族の大勢で訪れたのが記憶に新しい。


サミット」とは、summitのことで「頂上」を意味する。
通常G8サミットといわれ、日、米、英、仏、独、伊、加、露の8か国の首脳及びEUの委員長が参加して毎年開催される首脳会議のことであり、併せて外相会合及び財相会合など別会場で行はれる。 
今回の主要テーマは、安倍総理の掲げる「美しい日本」を規範とした、地球温暖化問題に係る新提案「美しい星50」、「地球環境」などであるとか。


日本周遊紀行・東日本編は、引き続き青森から太平洋岸を南下、関東地区へ続きます。




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日本周遊紀行;温泉と観光(28) 「昭和新山と有珠山」

2010年04月27日 10時09分08秒 | 北海道
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 日本周遊紀行;温泉と観光(28) 「昭和新山と有珠山」 


有珠善光寺を過ぎて国道の「入江」の交差点から、道央道の虻田・洞爺湖I・Cの横を通って、洞爺湖へ抜けようと思っていたが、かの有珠山噴火の影響で洞爺湖方面は今も通行止めであった。 
しかたなく、「長和」まで戻って国道453号で昭和新山方面へ向かうことにした。

先ず、右側に白煙を出しながら、茶褐色の岩肌を露呈している「昭和新山」のグロテスクな姿が現れた。 そしてまずは良く整備された駐車場で、「昭和新山」の姿をジックリ拝見した。




今だ白煙をあげる「昭和新山



昭和新山」は1943年から1945年にかけ、有珠山の噴火活動の一環として新山が形成された山として有名である。 
噴火は普通の畑や林(麦畑や松林)が地割れと共に隆起し忽然として始まったという。 
粘性の高いマグマが地表に押し出し、溶岩ドームを形成し、噴火が収 まった後も地盤の隆起は続き、1945年9月頃までに海抜 407mの昭和新山を造り上げた。 

火山礫が吹っ飛び、溶岩が噴出するような破壊型噴火ではなく、いわゆる静的噴火に留まっていた。
これは火山学史上でも稀有なことで、全山が学術的にも大変貴重な山として、支笏洞爺国立公園特別保護地区、国の天然記念物に指定されている。



園地の見学用説明版には・・、

目前にそびえる昭和新山は、私達に大自然のいとなみの不思議を物語ってくれます。 今あなたの立っているこの一帯は、かつてはのどかな麦畑でしたが、突然火山活動の舞台となりました。  昭和18年12月28日に激しい地震が始まり、多い時には身体に感じるものだけでも1日200回を越え、翌19年4月頃には元の地面から50mも隆起しました。 さらに昭和19年6月23日、盛り上がった畑に噴火が始まり、7個の噴火口をつくりながら、4ヶ月も爆発を繰り返しました。 その間も、田畑、民家(フカバ)、鉄道共々隆起が続き標高300mの台地(屋根山)をつくりました。  11月になって噴火口群の中央から地中で固まった溶岩が推し上り始め、翌20年9月末に標高407mに達し、ようやくその活動を休止しました。 今なお噴気を上げるピラミット型レンガ色の部分が溶岩塔で、このタイプの火山をベロニーテ型火山といい、世界的にも珍しい形式の火山です。 』



次に、昭和新山の正面に悠然と聳えるのが「有珠山」(732m・ウスザン)である。

洞爺湖の南面には、眼前に迫る巨大な火山が二つあるのです。  
周知の如く2000年(平成12年)3月31日、北海道洞爺湖の南側に位置する「有珠山」が23年ぶりに 噴火したのである。 
その時、噴煙は約3000m以上の高さ に達し、その後、洞爺湖温泉町のすぐ南にある金比羅山付近からも噴火が起こり、水蒸気爆発や小規模なマグマ水蒸気爆発を繰り返し、凡そ、1年後にマグマの活動(噴火)は終息したという。



有珠山の噴火」(2000年4月1日撮影・提供者に感謝)


この噴火で、周辺四市町村の住宅、道路、ライフラインの被害は230億円に達したという。 特に、2度目の噴火(洞爺湖温泉南)は国道230号線の本線上が噴火口になったため完全に破壊され、現在でも道央道の虻田・洞爺湖I ・Cと湖畔間は、国道は破壊され消滅しているのである。

有珠山大噴火で、特に西山付近の噴火の跡が、現在では遊歩道が整備されて一般に公開されている。
まさに天地がひっくり返ったような驚天動地、大地の咆吼,地底の息吹がこの遊歩道から確認する事ができる。 

完全に破壊された民家や幼稚園舎、メチャメチャに破壊された道路、道路のアスファルトや水道管が巨大な力で数mも押し上げられている現状。 
人家のすぐ横に、膨大な量の土砂が吹き飛ばされて出来た噴火口や遊歩道の一番奥には、今でも盛んに蒸気を吹き上げている巨大な火口がある。 
これら地点は、先刻の国道37の入江の交差点から、道央道の虻田洞爺湖I・Cの横を通って、洞爺湖へ抜けようとした道で、この西山噴火のため通行が遮断されている所であった。

しかし、噴火活動が温泉街、人家の近くの山麓で発生したわりには、人的被害は一人も出さなかったという、これは奇跡ともいわれる。 
噴火の数日前から群発性の火山性地震が発生し、第1号の臨時火山情報を出し、噴火の2日前には緊急火山情報を出して住民を避難させ、噴火が発生した頃は17000人という住民全員が避難を完了していたという。 

これには、前回(1977年)の噴火後に、地元に住まいを移して研究を続けてきた北大教授・火山研究者の岡田弘氏を中心とした研究員、行政、地域住民の結束によるところが大きいという。 
岡田氏はいわば「有珠山のホームドクター」と言われ、平成13年、安全防災に顕著であったとして、総理大臣官邸で平成13年度防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞している。


次回は、「洞爺湖とサミット




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日本周遊紀行;温泉と観光(27)「室蘭と地球岬」

2010年04月26日 10時29分31秒 | 北海道
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 日本周遊紀行;温泉と観光(27)「室蘭と地球岬」  



写真:室蘭の地球岬


国道36(室蘭国道)より室蘭へ、そして「地球岬」へ向かう。

室蘭市街地の一角から、右折方向の国道は37号線になる、伊達方面である。我は直進で室蘭半島へ向う、案内板に従って進むとこれが結構な上り坂なのである。 
通称「地球岬観光道路」と云うらしいが、別に普通の生活道路と変わらない、それが証拠に周辺は住宅が密集しているのである。((道を違えたかな・・?)

これだけの傾斜地では雪の季節は大変だろうなと、余計な心配をしながら、登りきった処が園地のようになっていて、ここが地球岬の展望公園らしい。
観光客、見物人は誰ーれもいないが、園地整備のおじさん、おばさん達が草刈機でガーガーとやっていて、些か騒音で雰囲気を壊しているのは残念である。 

先端に展望台が在った。
本日も好天で快晴の大洋は蒼く澄んでいる。 

東の方は陽光が反射して眩しいくらいである、さすがに「地球岬」の名だけあって大洋の展望は雄大である。 
ただ、地球岬の語源はアイヌ語のチケップ(断崖)からきたと言う、チケップ→チケフ→チキウ→チキュウそして地球になったとか、その名のとおり視野一杯に広がる水平線は丸みを帯びて「地球が丸い」ことを実感させられる・・??


地球が丸く見える・・??、

ところで、「地球が丸く見える」 とは巷間よく耳にする言葉であり、海に面した展望台ではみんなそう思うし、感じているようである。 
実際にそんな風に見える気がするし、いや、はっきりとそう見えるのであり、やはり地球は丸いのだと。 

だが、どうやらそれは間違いらしい。
超巨大な地球の丸さが展望台くらいの高さでは見えるはずがないのである。 

例えば、島影や障害物が全くない「大洋のド真ん中」に居るとしよう。
高いマストのテッペンから見渡すと全周囲の水平線はどのように見えるであろうか・・?、
ギザギザの多角形に見えるか・・?、
ナメラカな円形に見えるか・・?、

言語で既に「周囲」と言っているように当然、円形に見えてるはずである。 
もっと具体的にゆうと、マストに立っている点は円形の「中心」であり、視界までの距離はその「半径」に相当するのである。
岬の先端で水平線を見るとき、丸味がかって見えるのは、円形の部分(円弧)をみているのであって、尚且つ視野(視角)が大きければ、円弧はハッキリ見えるはずである。 
つまり、視野、視界が丸みを帯びて見えているのであって、「地球の丸さ」とは全く関係はないわけである。

因みに、展望台には大抵の場合、手摺がある、左右にまっすぐ伸びている手すりを目の高さを加減して、水平線と手すりが重なるようにして見てみると、今まで大きく彎曲していた水平線が手すりの直線とぴったり重なるという。
手すりの替わりに長い紐を両手でピンと張って代用してもよい。


地上や船の上で、地球の丸さが見える」というのはどうやら錯覚らしい。

計算上では「地球が丸く見える展望台」というのは、気球や飛行機程度の高さでは駄目で、人工衛星程度まで上がらないとだめらしい、地球はそれ程大きいということである。 最近では、人工衛星からTVカメラで、地球の外観を撮影してその映像が送られてくる。 この時はさすがに地球の丸さを実感できるのである。



チキウ岬は、内浦湾(噴火湾)の湾口東端に位置していて、地図上では「チキウ」となっていっるが、地球岬とも表記されている。 
この辺りの太平洋側は、海抜100m前後の断崖が延長13kmに渡って連なっており、特に、地球岬展望台(海抜147m)の西側にある海食崖の「馬ノ背」といいいれる箇所は、断崖絶壁が続く風光明媚な景勝地である。 
この地域は、渡り鳥のルート上にあり、渡り鳥を狙ったハヤブサの営巣地としても知られるという。

地球岬」は、朝日新聞社主催の北海道の自然100選の得票では第1位となり、一躍全国区の知名度となった名所で、毎年の元旦には多くの人達が初日の出を見拝にやってくるという。 「北海道の自然100選」及び「北海道景勝地」でそれぞれ首位を獲得した景勝地でもある。
岬の先端に立つ白亜八角形の灯台があり、こちらも「日本の灯台50選」にも選ばれている。 
灯塔高15m、標高131mで、光度 は59万カンデラ、光達距離24海里(約44km) で、残念ながら、一般公開されていなが、毎年1~2回、特別に内部が公開されることがある。

帰路、近くの展望台から見える「蓬莱門」という海から突き出た岩峰が見事である、これぞ元祖「チケップ岬」であろう。



国道右に旧時代と思われる重厚な駅舎が見えた、と思ったがこれは旧駅舎(旧国鉄室蘭駅)であった。 
明治後期の建物で、北海道内の駅舎の中では「最古の木造建築物」であり、建築様式も珍しく重要文化財に指定されているとか。 今は市の観光施設として使用されていて、 近隣にモダンな新駅舎が開業している。


室蘭」はご存知、室蘭港、鉄工業を中心として発展してきた北海道を代表する重化学工業都市である。 
中心に新日鉄・室蘭をはじめ、日鋼、日石といった、いわゆる製鉄、製鋼、造船などが湾を囲むように隣接している。




暫くすると大きく美しい橋が現れた、その名も「白鳥大橋」という。 
「白鳥大橋」は半島先端から本陸の国道36、国道37と道央自動車道を結ぶ橋梁であり、室蘭港の港口部に架かる橋長1380mの吊橋で、関東以北では最大であるとか。 
因みに、我が神奈川の横浜港口に架かる横浜ベイブリッジとは構造的には異なるが、その優美さにおいてはトントンであろうか・・?。

次回は「昭和新山と有珠山」



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日本周遊紀行;温泉と観光(26) 「登別温泉」

2010年04月25日 09時53分25秒 | 北海道
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日本周遊紀行;温泉と観光(26) 「登別温泉」






登別温泉街



登別温泉・地獄




国道36から登別の温泉地へ向かった。

登別温泉」は北海道を代表する日本有数の温泉天国である。 旅行専門の『じゃらん』の温泉ランキングによると第一位は関東の「箱根湯本温泉」、第二位が九州の「由布院・湯平温泉」、第三位が同じく関東の「草津温泉」となっている。 
登別温泉、黒川温泉、城崎温泉など有名どころの温泉もやはりランキング上位を占めている。

「じゃらん」の温泉ランキングでは更に、『 第四位に入った「登別温泉」は北海道を代表する温泉で、札幌や函館からもアクセスが便利な立地条件とあわせて北海道でNo1の良質の温泉で美白効果も期待でき、旅で疲れた体を癒す疲労回復効果も絶大で、リピーターが多く訪れる北海道No1の温泉です。 』としてある。

登別温泉」は自然湧出量1日1万トン、源泉温度45℃~90℃の高温で、更にその魅力は世界的にも珍しい11種類もの温泉が湧出していることで、温泉のデパートとも言われる。 
高温泉のため湯棚や湯車で湯の温度を調整し、湯船へは源泉100%を各所に供給している。

登別温泉の泉質は主に硫黄泉、重曹泉が中心とされているが、その泉質と効用について述べてみよう。

硫黄泉(慢性皮膚炎、慢性リューマチ、便秘、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症など)、 重曹泉(皮膚病、火傷 慢性胃炎、胃酸過多など)、 明ばん泉(慢性湿疹、リューマチ性疾患など)、 芒硝泉(リューマチ、動脈硬化症、糖尿病、高血圧症、外傷など)、 石こう泉(慢性リューマチ症、動脈硬化症、高血圧症など)、 正苦味泉(脳卒中、動脈硬化症、高血圧症、慢性便秘など)、 食塩泉(リューマチ、神経痛、腰痛、飲用としては便秘、慢性カタルなど)、 単純炭酸泉(高血圧、更年期障害など)、 重炭酸土類泉(アレルギー性疾患、慢性皮膚炎など)、 鉄泉(慢性痔疾患、リューマチ性疾患、貧血症など)、放射能泉(神経痛、リューマチ、自律神経失調症など神経系統の疾患、婦人病 肥満症、痔疾患など)、 


以上は観光協会のPR出版物よりの参考であるが、泉質は「新」とか「旧」とかの呼名が有るので紛らわしいが、上記は「旧」呼称であろう。


各宿泊施設によって泉質が異なるようで・・、
ここの温泉場で最大級を誇る「第一滝本館」の温泉は7種類の源泉がある。 
因みに、日本最大湧出量を誇る大分・別府温泉は十種類の泉質が有るという。




温泉街を抜けた最奥部に「赤鬼、青鬼」が地獄谷の入り口に、その名も地獄の番人として常時立っている。
その高台に「地獄谷」があり、風向きによっては硫黄の臭いがガンガンしてくる。 箱根の大涌谷に類似していると思うが、こちらの方が激しく活性であろうか・・?。



チョット目に付きにくいが、地獄谷展望丘の一角、石の台座に小祠を設けて一体の観音像が祀られ安置されている。 

伊達・「円空と蝦夷」の項でも記したが、美濃国の僧、「円空上人」が道南各地を巡錫(じゅんしゃく:錫杖を携えて僧侶が各地を巡行して教導・遊化・ユゲすること)しながら鉈作りという、ナタ一丁(一刀彫)で観音像を刻んだという。 
そのうちの一体が寛文6(1666)年、権現沢(地獄谷)に祀られたという。
円空・観音像は「登別湯の権現」ともいわれ、元々は湯沢大権現・湯沢神社のご神体だったという。 
神社は、地獄谷の入り口、第一滝本館の向いに鎮座する登別温泉の守り神で、第一滝本館の創始者・滝本金蔵翁が開祖したものという。


地獄谷」は一万年前の爆裂火口の跡だそうで、各所に○○地獄、△△地獄と名称が付いているが、ある数箇所の地獄は現在は、沈静化して大湯沼の方へ活動が移ったとという。
その大湯沼はこの地獄谷の上部にある、周囲1キロたらずの小さな沼だが、全国的にも珍しい熱湯をたたえた沼である。 温度は表面で40~50度、湯底では130度にも達するといい、湯面が時々噴気をあげている。 



登別温泉は、大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。

江戸時代には、最上徳内が「蝦夷草紙」の中でその存在を記し、『 湧き出した温泉水が川に流れ込み、底が見えないほど濁っていた 』と登別温泉を紹介した記事が残っている。
北海道の父・松浦武四郎も訪れ、温泉の魅力を綴っているし、安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が地獄谷から硫黄の採掘を行い、道路を開削し、その後、共同浴場を作ったことが温泉保養所としての始まりだったともいわれる。

又、安政5年(1858年)には、滝本金蔵が妻のリュウマチを治すために訪れ、後に温泉宿を建て、私費で新たに道(現在の道筋)を整備し、湯治客が利用するようになったといわれる。 金蔵は平屋の一部を二階建てに改修したことをきっかけに、「湯本の滝本」と命名して旅館を開業しているが、それが現在の第一滝本館である。

第一滝本館」は温泉街の最奥部に位置してて地獄谷に最も近く、部屋数400の巨大ホテルである。
NTTが公社時代の特約保養所にもなっていて、上さん(妻)が電話局に勤務しているため、2、3度厄介になったことがあるが、その大きさといい、温泉の豊富さに驚いたものであった。


余分だが、NTTの保養所として特約、契約、直営などの宿泊施設が全国各地に網の目のようにあって、この滝本館もそうであるが民営化されてからはすべてが解消され、現在は直営保養所のみの数箇所になってしまった。 
民営化や合理化というのは、多々、訳有りで必要だとは思うが、我々低所得層の人間にとっての旅の楽しみを奪いかねない悲しい事でもある。 現在は無論、第一滝本館とNTTとは関係は解消されているらしい。

登別温泉はその後、明治期、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになり、近年の温泉ブームを受けて更に繁栄したきた。この登別・ノボリベッはアイヌ語のヌプルペッ、「白く濁った川・色の濃い川」(一説に霊力のある川とも)の意味で、地名「登別」の語源となった。

2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定されている。




帰路、温泉街中心部の極楽通り商店街の一角にある「閻魔堂」に立ち寄った。 
巨大な閻魔様がお堂に鎮座していて「からくり閻魔堂」と称し、平素は何食わぬ顔をしているが、定刻になると「カラクリ」が動き出し、激しい閻魔 の形相に変化する。
年に一度「地獄谷」の釜の蓋が開き、地獄の入り口の番を勤める赤鬼、青鬼を引き連れたこの「閻魔大王」が温泉街に姿を現すといい、「地獄まつり」の主人公でもある。


温泉街を戻って、先刻予約しておいた「登別万世閣ホテル」へ投宿した。 
こちらも立派な構えのホテルで1泊2食8000円はまずまず、ここの温泉は酸性硫化水素泉(硫黄泉)であった。 
それにしても、NTTに勤めるお上さんのいる小生にとっては、伝手(つて)を頼って「第一滝本館」に泊まりたかったのが正直のところである。


次回は、 室蘭・「地球岬




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日本周遊紀行;温泉と観光(25) 「釧網本線」」

2010年04月24日 10時00分18秒 | 北海道
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日本周遊紀行;温泉と観光(25) 「釧網本線」」(追記)






釧路湿原観光専用列車・ノロッコ号(JR北海道提供)


小生2008年初夏、札幌から然別温泉、釧路、川湯温泉、網走を巡った際、この釧網本線に乗車して釧路湿原の大自然を目の当たりにした。
序(ついで)ながらここで「釧網本線」(せんもうほんせん)沿線の観光案内をしてみよう。


【釧路発14:52(釧網本線ノロッコ4号)⇒塘路着15:50 塘路発16:19⇒川湯温泉着17:22】

釧網本線ノロッコ号は、釧路湿原観光専用列車で客車はオープン型、座席も外部展望がしやすいように設えてある。 
走行は普段の列車よりゆっくりで、特に主要地になると車内ガイドを聞きながらスピードも極端に遅くなり、写真撮影のタイミングも計ってくれる。ただ、ノロッコ号は湿原の中心ともいえる「塘路」までである。

何しろ「釧網本線」は、釧路から網走まで、三つの国立・国定公園を貫く日本でも有数、北海道随一の好景観路線なのである。



釧網本線」の釧路駅を出発した列車は、次の東釧路で根室本線と別れ釧路湿原を北上する。
湿原の中を走るようで、特に広大な日本一の湿原原を堪能するには左側車窓がよかろう。 「釧路湿原駅」という駅もあり湿原の中枢とも言えるところで、時間が許すなら途中下車して「細岡展望台」で釧路湿原の展望を満喫するのもよい。 
又、「塘路駅」あたりでは「塘路湖」、「シラルトロ湖」の展望も絶佳である。

釧路湿原を北部へ進むに従い、「五十石」(ごじっこく)駅のあたりで湿原が果て標茶(しべちゃ)に着く。
この標茶駅は嘗て国後島が望める根室標津までの「標津線」が走っていた、このことについては先に述べたが。 

湿原が果て、標茶から摩周にかけては牧場も多くなり、牛が草を食む風景が見られるようになる。
摩周駅」は阿寒国立公園の玄関口で、以前は「弟子屈」という駅名であった、「てしかが」と読むが、温泉地としても有名である。

元々は弟子屈温泉と呼ばれていたが、摩周湖への観光拠点であることを判りやすくするため、温泉地名に現在の呼称である摩周温泉が用いられて、1990年にはJR弟子屈駅も摩周駅と改称されている。 
この辺り、冬季の冷え込みは厳しく、摩周、川湯辺りでは空気中の水分が凍ってキラキラひかる「ダイヤモンドダスト現象」が見られる所でもある。


摩周から「緑駅」(みどり)にかけては、阿寒国立公園の中を走る。 

沿線にある川湯温泉は、北海道でも有数の規模の温泉であり、人気の「屈斜路湖」にも近いが、しかし駅は何故か無人駅でらしい。 駅近くからは、硫黄の蒸気を噴出す硫黄山が不気味な姿をさらけ出しているところでもある。

川湯温泉から緑にかけては、釧路支庁と網走支庁の境界がある山越えの区間で、駅間距離も沿線最長の14.5kmあり、列車は湿原の開けた空間から鬱蒼とした森林の中を走ることになる。

次に、緑から知床斜里にかけては対照的に田園風景が広がる。
このあたりの田園風景は、本州以南のそれとは異なり、ジャガイモ、麦畑やビート畑などが広がり、いかにも「北海道の大地」といった感じである。 
車窓右側には、裾野が緩やかで頂上がとがった斜里岳が美しい山容を見せており、田園風景に彩りを添えている。 
その「知床斜里駅」は「世界遺産・知床」の玄関口でもある。



知床斜里を出ると、いよいよ車窓右側にオホーツク海が見えてくる。
こちらは、やはり流氷が沿岸まで押し寄せる厳寒期が見ごろであろう、一面流氷に閉ざされる風景は、まさに幻想的であり圧倒的迫力で迫る。 
ただ、列車は海岸沿いの小高い丘陵の間を走る区間が多く、実際に海が見える区間は意外と少ないという。 

一方、浜小清水から北浜にかけては、車窓左側に小清水原生花園が広がり、夏場は様々な花が咲き乱れる爽やかな風景が広がる。 
こちらには先に紹介した駅舎の洒落た「原生花園駅」という臨時駅もあり、季節ともなると停車駅となって多くの客が訪れるという。

まさに北海道の夏の優しさと冬の厳しさを、同時に味わえる路線である。 
本線は、オホーツク海と濤沸湖に挟まれた細い砂州の間を進む。 

又、この区間は別名「グルメライン」と呼ばれており、止別・北浜・藻琴の各駅は、駅舎に食堂や喫茶店を併設しており、浜小清水駅には道の駅も併設されている。 
尚、「北浜駅」は、目の前がオホーツク海で、オホーツク海に最も近い駅として知られている。
終点の「網走」は、釧路と並ぶ道東観光の玄関口である。市内にも、網走刑務所・モヨロ貝塚・天都山など見所については既に述べているとおりである。


まさに釧網本線は、日本中のどこを探しても、これだけ全線に亘って広大に広がる風景は、北海道でしか見ることができないであろう。 
近年は沿線の豊富な観光資源を背景にして、トロッコ列車(ノロッコ号)やSL列車などの観光列車が通年運転され、又、団体臨時列車も多く、リゾート列車、お座敷列車が入線することもあるという。

特別事例として、2007年4月より藻琴駅~浜小清水駅間において、「デュアル・モード・ビークル」といわれる車両が試験営業運転されているらしい。往路は軌道、復路は道路を通る循環ルートで土日・祝日のみの運行を予定しているとか。

デュアル・モード・ビークル(DMV:Dual Mode Vehicle )とは、軌道と道路の両方を走れる構造を備えた車両(バス、軌陸車)であり、日本においては、利用の少ない路線のコストを削減するためにJR北海道などで開発を進めているという。

次回は、 「登別温泉」



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