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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

10、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社の由来」

2016年03月07日 16時32分34秒 | 世界遺産・厳島神社





   10、世界遺産;厳島神社の概説 「厳島神社の由来」  




http://fkdk.net/japan-wp/img/hiro03.jpg



http://k-kabegami.com/miyajima/13.jpg




厳島神社の由来

嚴島神社の創建は、推古元年(飛鳥時代の593年)、佐伯鞍職によると伝えられます。
平安時代後期の仁安3年(1168年)には、子孫の佐伯景弘が嚴島神社を崇敬した平清盛の援助を得て、今日のような廻廊で結ばれた海上社殿を造営されます。

本殿以下37棟の本宮(内宮)と、対岸の地御前に19棟の外宮が設けられ、全て完成するまでに数年が費やされたといわれます。 社運は平家一門の権勢が増大していくにつれ高まり、その名を世に広く知られるようになりました。


清盛は高野山の大塔を修理するよう鳥羽院から命じられていました。 そして、何年もかけて修理がおわり、感無量で清盛は弘法大師の廟の前で手をあわせていました。
そこへ、ひょっこひょこと年老いた僧が近づいてきます。 白髪頭でしわくちゃです。 清盛が祈ってると、横から話しかけます。 
「次はあんた、厳島神社を修理なさい」、「だいぶ荒れ果てているよ厳島神社は、ゼヒ修理なさい。そうすれば平家の未来は安泰だよ・・!!」
そんなこと言いながら、年老いた僧は見えなくなりました。

ありがたくも弘法大師のお告げに違いない、以後平家は厳島神社を信仰するようになったのです。

とにかく平家は日宋貿易ということで、瀬戸内海で中国と貿易を行なっていました。
その関係もあり、海上交通の守り神として厳島神社を信仰したとされています。


現在の厳島神社と言えば、誰もがイメージするのが朱塗りの大鳥居でり、海に張り出した社殿と回廊は平安時代の寝殿造りの様式を海の上にあらわすという発想に基づき、清盛と当時の神主・佐伯景弘(さえきかげひろ)が修築させたものです。


次回、平家一門と厳島神社





  
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9、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社参道と名物、御土産」

2016年03月06日 21時32分11秒 | 世界遺産・厳島神社





 9、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社参道と名物、御土産」 



http://www.nta.co.jp/omc/tokusyuu/hij/miyajima-map.gif
 宮島MAP

http://hit4.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_80b/hit4/E897A4E38184E5B18B.jpg?c=a38
神社社宮へ続く、御土産屋参道




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宮島桟橋から厳島神社へは表参道商店街が連なっています。 

ここは宮島観光のおもなコースで、通常は参道を抜け、神社にお参りして帰るというコースになります。
時間に余裕があれば紅葉谷公園を抜けロープウェーに乗って弥山に登るのもおすすめです。

また、周囲の神社を巡ったり、興味があれば水族館を訪れたりする楽しみ方もあります。
お土産は、帰りに参道で買うのが良いでしょう。


以前はたくさん鹿がいて、用心しないと食べ物を奪われてしまうような状態でしたが、かなり少なくなったと言われます。 宮島観光は四季折々の美しさが味わえる処ですが、ゆったりとした日常を忘れたひと時を、宮島観光で味わうなかで食事は重要です。 

又、宮島観光の名物、お土産には、広島名物のカキ、穴子、そして紅葉饅頭を味わいます
宮島と言えば焼きガキと言われるように、海のミルクと言われているのが牡蠣で、冬には極上の旨みを味わう事が出来ます。 定番のカキフライは勿論、厳島神社に向かう参道では夏場でもそのままダイナミックに焼いた逸品「焼きガキ」を食べることができます。


広島と言えば思いつくのが、やはり、お好み焼きですが宮島でも食べることができます。
広島風はしっかりと中華麺を入れるのが拘りであり、好みに合わせて、チーズなどのトッピングを楽しむ事が出来ます。 熱々のうちにソースとマヨネーズを付けて味わうのは、正に極上の幸せ。 お店によって、様々な味が楽しめるので、時間がある方は梯子を楽しむ事もお勧めです。

そして、隠れた逸品が「あなごめし」、丼に大量に載ったあなごは宮島ならではで、穴子めしを扱うお店は多くあります。 熱々の内に頬張ると、スタミナ満点、旅の疲れも吹き飛ぶ美味しさです。

また宮島土産と言えば、紅葉饅頭が有りますよね。
もみじ饅頭は、広島土産としても定番ですが、宮島の紅葉谷公園の紅葉をヒントに岩惣の女将の依頼により作られたものだそうです。 
所謂、元祖もみじ饅頭、以前は濾し餡とつぶ餡しかありませんでしたが、今は色々なクリームが入った物も売られています。
又、「揚げもみじ」、揚げもみじ饅頭も宮島以外では見かけませんので、おすすめしておきます。
小生は、宮島名物「紅葉饅頭」を自己土産に買いました。


次回、厳島神社の概要

  
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8、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社と後白河法皇」

2016年03月05日 20時35分04秒 | 世界遺産・厳島神社







 8、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社と後白河法皇」 





http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-13-1c/hirolin_m7/folder/1475175/21/62193421/img_0?1313887919


http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-13-1c/hirolin_m7/folder/1475175/21/62193421/img_1?1313887919
後白河法皇御行幸の松、





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本殿の裏側に、後白河法皇が1174年に厳島神社を参拝した際に御手植えされたという松があった。 近くに寄って見ると、内側はズンドウになっていて、いかにも経年を感じさせる老木であった。
入り口に由緒が書かれた板が掲げられていて、その中に「御幸」として後白河法皇、高倉天皇の名前がある。




後白河法皇、

鳥羽天皇の第四皇子として生まれ、激しい継承争いの中、幸運にも天皇に即位。
崇徳上皇方と後白河天皇方が争う「保元の乱」が勃発し、崇徳上皇が敗れて讃岐に配流となる。
その後、二条天皇に譲位した後、法皇になって院政を開始、以後30年以上、朝廷政治の中心にいた。 後白河法皇は平家と源氏、双方の力を上手く利用しながら、朝廷の力を維持したある意味したたかな人であった。


承安4年(1174年)後白河院は滋子(後白河院の室、清盛の正室である二位尼の時子の姉)を伴って安芸国・厳島神社に参詣するため京都を出発、福原を経由して到着した。
交通手段は福原で清盛が用意した宋船であった可能性が高い。 

天皇もしくは院が后妃を連れて海路を渡り、遠方まで旅行することは前代未聞であり、周りの者は驚愕したという。 そして、厳島参詣には清盛に対する政治的配慮の面もあるが、単純に滋子を連れて霊験新かな厳島神社を見物したいという願望・好奇心が大きな動機だったと考えられる。

後白河院には后妃が何人かいたが、遠方に連れて行ったり、桟敷で共に並んで行列を見物
したりするのは、滋子に限られていたという。


到着して直ぐに厳島神社では回廊の下の波や山の緑といった風景を楽しみ、内侍の巫女の舞を見て「伎楽の菩薩が舞の袖をひるがえすのも、このようであったろうか」と感嘆する。

やがて巫女が「我に申すことは必ず叶うであろう、後世のことを申すのは感心である。今様を聞きたい」と託宣を告げたので、「四大声聞いかばかり、喜び身よりも余るらん、われらは後世の仏ぞと、確かに聞きつる今日なれば」と今様を歌う。
四大声聞とは、釈尊から未来の成仏の記別にあずかった4人の大弟子を総称していう。

後白河院は感極まって涙を抑えられなくなり、清盛は「この御神は後世の願いを申すことをお喜びになります」と説明したしたという。

このことから、この当時は既に「神仏習合」(仏と神が一体になっている)の時代であった事が判ります。



次回、 「厳島神社参道と名物、御土産」

  
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7、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社と大聖院」

2016年03月04日 20時01分16秒 | 世界遺産・厳島神社





7、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社と大聖院」




http://homepage3.nifty.com/88yokohama/miyajima.files/image006.jpg


http://sherpaland.net/report/2008/081003-misen3/081003-2.jpg
壮大な大聖院仁王門



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-2b-7c/hsnm3373/folder/1283921/87/39240087/img_0?1374397373
大聖院大師堂



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日本三景・厳島(宮島)の真価は、弥山頂上の眺めにあり、

社宮の南側、弥山の山麓に厳島神社の別当寺としてそれまで祭祀を行っていた厳島の総本坊「大聖院」が在る。

この寺院は、宮島にある寺院の中で最も歴史が古く、真言宗御室派(総本山は京都の仁和寺:にんなじ)の大本山大聖院です。
空海が宮島に渡り、弥山の上で修行をして開基したのが806年といいますから、歴史の重みを感じない訳にはいきません。
皇室との関係も深く、古くは鳥羽天皇勅命の祈願道場として、近くは明治天皇行幸の際の宿泊先になるなど、格式の高いお寺といえます。



霊験あらたかな大聖院
 
庭園大聖院は宮島桟橋から歩いて20分ほど、対岸の町並みが望める高台の場所にあり、秀吉も当山の庭園で何度か歌会を開いているように、ここの閑静な環境と眺めの良さも特徴のひとつです。

大聖院に祭られている本尊は、十一面観世音菩薩をはじめとする数々の観音菩薩、不動明王、三鬼大権現、七福神、一願大師などが祀られ、すべてをお参りしてゆくとけっこう時間がかかり、見ごたえがあります。

境内では、時折響く鐘の音、たなびく香の煙と匂い、そして時期になると、至る所で眼に入るイロハモミヂの鮮やかな色とが、いっそう訪れる者の心を洗い、静寂さと長閑さを引き立ててくれます。



苔むした鳥居を潜って、弥山頂上への山道(参道)へ・・。

大聖院からは「弥山」の頂上への登山道が開かれていて、斜面は温暖帯の天然記念物の弥山原始林が広がる。
古来より神聖な地域で、人間が自然の力に浸る修行の道場として考えられた。
そのために、乱りに樹木を切ることをせず、天然の姿を今に残すことが出来たという。


「弥山に登らずして、宮島を論ずる勿れ」・・!、

又、「日本三景の一の真価は、弥山頂上の眺めにあり」ともいわれている。
「弥山」は、宮島最高峰の山で海抜530m、頂上の展望台からは瀬戸内海が絶佳一望できる。 

山頂には大小様々な奇岩怪石が散在し、これに応呼するように806年弘法大師(空海)が開基した真言密教の道場・「弥山本堂」や、その他の伽藍が並ぶ。 

特に「霊火堂」(不消霊火堂)は開祖以来、凡そ1200年間途絶えることなく燃え続けている弘法大師の「消えずの火」が灯っているという。 
この火を採って、かつては八幡製鉄所の種火や広島の平和公園の「平和の灯」が点じられたという。

ところがである、平成17年5月5日、ゴールデンウイーク真っ最中の午後、失火で本堂が全焼してしまったそうです。 しかし幸いなことに「消えずの火」は、いち早く僧侶がロウソクに移して無事だったという。

因みに、最澄(さいちょう・空海と双璧ともいえる高僧、同時期に入唐した天台宗の始祖)が創建した延暦寺の総本堂である「根本中堂」の本尊、薬師如来像の前には「不滅の法灯」(消えずの火)が開山以来1200年にわたり灯され続けている。


その弥山には登らなかったが、神社そのものの余りの美事さに感服しながら帰路に就いた。


次回、「厳島神社と後白河法皇」


  
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6、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社の祭神」

2016年03月03日 17時24分39秒 | 世界遺産・厳島神社




6、世界遺産;宮島と厳島神社 「厳島神社の祭神」




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/ca/Itsukushima_%28pano%29.jpg/1920px-Itsukushima_%28pano%29.jpg


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f2/Inside_of_Itsukushima_main_shrine.jpg
拝殿内部



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厳島神社の社殿は、593年(推古天皇即位元年)に創建されたと伝えられる。 
古来から神の降臨する「神の島」として島全体が人々の信仰の対象であり、清浄な場所として崇めれていた。 
往年まで、島内に人は住まず、神官も対岸から島を拝していたという。
社殿が、海水のさしひき(干満)する所に建てられているのもそのためであり、海上に浮かぶ大鳥居もそのためであった。
そして、宮島には中世以降人家が建てられたが耕作をしない、死者を埋葬しない風習は現在も守られているという。

大神は古くは九州・宗像神社(筑前国宗像郡玄海町=九州福岡市・宗像三女神、筑紫の海上交通の神)の流れを汲む伊都伎嶋(いつきしま)神社ともいい、また厳島大明神とも称した。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)の女神三神を主祭神として祀られている。


厳島神社が、平氏崇敬を受けて平氏の氏神となった経緯には、当時の大神主の様々な働きかけがあったといわれる。 
平家隆盛時、清盛によって造営された社殿は厳島にある本宮(内宮)・本殿以下37棟、対岸の地御前にある外宮が本殿以下19棟を数え、全て完成するまでに数年が費やされたといわれる。
社殿造営は寝殿造り(平安時代貴族の邸宅建築、現在の京都御所がその一例)の建築様式を巧みに取り入れ、美と調和を創造した日本に残された最も優秀美な建築物と言える。
特に本殿は繊細かつ華麗な切妻両流造りで、平安の風格をよく再現している。


厳島神社は、元々は日宋貿易航路の守護神でもあったという。 

瀬戸内へ筑紫の国・太宰府から宋人を招聘する一方、平家一門や皇族・貴族の厳島参詣は年々頻繁になり、このための海上ルートがそのまま宋貿易へのルートとなっていったという。 
神社へ、貴人の参詣が頻繁になるにつれて、社内の拡大、整備が一段とされるに至ったという。


次回は、厳島神社の神宮寺・大聖院

  
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