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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

ハワイの旅(27);「帰路・・、」

2008年09月20日 09時34分59秒 | ハワイの旅
ハワイの旅(27);「帰路・・、」   

さらばハワイ・・!! 
ホテルにもどって最後の身支度をし、ロビーにてチェックアウトを行った。 因みに今回の旅行費用は冒頭に記載したとおりで全くの無料であったが・・、ホテル費用としてTVのCS放送・・?の日本語放送が有料放送であったので、その分、数ドルの出費となった・・。
DFS及び同じ店内にあるJTBプラザでネット・メールを楽しみ時間を消費する。
後は午後一番シェラトン・Hよりオリオリエアポートエクスプレスでワイキキを後に一路ホノルル空港へ向った。 
所定の場所で荷物を受け取り、そのまま搭乗手続き、出国手続き(通関)、手荷物を預けてロビー内で軽い昼食を摂る。
そのガラス張りのレストランホールの正面に、白色に朱色のマークを施した2階建ての堂々とした「ボーイング747」の姿が横たわっている、我々の乗る機体である。
離陸1時間前になって搭乗ホールへ入場となるが、試しに、搭乗手続きの際発行された指定シートの変更が可能かどうか問うたところ、即刻、検索してくれて、はるか前方の方へ席替えしてもらった。
おまけに2人で4席の予備シートまで確保する事が出来た・・、話はするもんである。
15時30分、NWA021の機内の人となり、定刻、今では懐かしのハワイ・ホノルルを飛び立った・・。

「憧れのハワイ航路」 石本美由紀作詞・江口夜詩作曲/昭和23年
晴れた空 そよぐ風
港 出船の ドラの音(ね)愉(たの)し
別れテープを 笑顔で切れば
希望はてない 遥(はる)かな潮路
ああ 憧(あこが)れの ハワイ航路

波の背を バラ色に
染めて真赤な 夕陽が沈む
一人デッキで ウクレレ弾けば
歌もなつかし あのアロハオエ
ああ 憧れの ハワイ航路


冒頭にも記したが・・、 
日本とハワイを結ぶノースウエスト航空のフライトは、成田から毎日2便、関空から1便、名古屋からは成田経由で1便が運行中で、成田からの飛行時間は往路:約7時間、復路は約8時間30分検討である。(地球自転による貿易風、偏西風などの影響で往復の時間が異なる)
東京から約6200kmで途中、日付変更線(太平洋上を東経180度の子午線に沿って多少の曲折を伴いながら南北に走り、その東側と西側とで日付を変更するように決められた線。 この線の西は東より1日だけ日が進んでいる)を通過する。日本とハワイの時間差は、ハワイが19時間遅れている(日本が5時間進んでいる。日本時間:8時 → 8 + 5 = 13 → ハワイ時間:前日の13時)。 便名は、NWA022(往路)、NWA021で、機種は、ボーイング747-400又は、ボーイング747-200と思われる。
ボーイング747は、500人を越える旅客を一度に輸送可能な世界最大の超大型旅客機であり、始めは軍用輸送機として米軍向けに開発中であったが旅客機に転用しようとしたものである。 一般的にはジャンボの愛称で親しまれている。
性能としては、全幅:59.64m(64.4m)、全長:70.66m、全高:19.3m、胴体外径:6.49m、最大離陸重量:374850Kg(396890Kg)、巡航速度:895Km/h(910Km/h)、最大航続距離:12700Km、最大座席数:452席(524席)、エンジン推力:23625Kg×4(27945Kg×4)、( )内は機種400である。 
概ね、「ジャンボ」は400人以上の客を乗せ、約400tの重量を、飛行高度約12000m、巡航速度は時速900㎞の速さで、航続距離約12200㎞の飛行を実現させている。

日付変更線をはさんだハワイと東京の位置関係

さあ・・!「ハワイ」へ行こう。

「ハワイの旅」  終


ハワイの旅(26);「ハワイにお出でよ・・!!、」

2008年09月19日 09時47分37秒 | ハワイの旅
ハワイの旅(26);「ハワイにお出でよ・・!!、」  

オアフ島・ワイキキ 
ハワイと聞いたら誰もが真っ先にイメージするものは…? それはやっぱり青い海とヤシの木がそよぐ美しいビーチの風景であろう。
世界的に名高いワイキキビーチやサーファーの聖地ノースショア、アラモアナ、カイルア、ハナウマ湾、マカハ、コ・オリナ……などなど、それぞれ個性に溢れた素晴らしいビーチにグルリと囲まれているのが「オアフ島」である。
有名無名を問わず、どのビーチも海の青さや透明度、砂浜の美しさは天下一品であるという。
ワイキキビーチは、東はカピオラニパークから西のヒルトン・ハワイアンビレッジまで、約3kmにわたって続く三日月型の美しいビーチで、世界でもっとも有名なビーチと言ってもよい。 一般的にこのビーチを総称してワイキキビーチと呼んでいるが、正確にいうとここには幾つかのビーチが連なっている。 ワイキキビーチの極めつけの場所はというと...やはりデューク・カハナモク像や交番、フードスタンド、ビーチレンタル・ブースなどが集中するクヒオ・ビーチパークとその西にかけてオン・ザ・ビーチの最高級ホテルが立ち並ぶグレイズ・ビーチあたりだとか・・。
先にも記したが、オアフ島は年間を通して気温差の少ない温暖な気候に恵まれ、気温の高い8月と9月に32℃を超えることもあるが、大抵貿易風が吹いているので木陰など直射日光の当たらない場所ではとても爽やかに過ごすことができる。
海水の温度は年間を通して23~27度で、一年中オーシャン・スポーツを楽しむことができる。
因みに、ホノルル/ワイキキの年間の平均気温は、最高気温で27度~31度、最低気温で17度~21度程度である。


さて、本日はいよいよ最終日である。 
荷物は昨夜のうちに纏めておいたので先ずは安心で、このままルーム(部屋)に置いとくと、係りのものが空港まで黙って運んでくれるという、JTBならではの何とも有難いサービスである・・。
帰路の空港便はゆったりの午後(15時30分)なので、軽い朝食を摂り、最後のワイキキビーチをカメラに収めるべく繰り出した。 浜辺に面した「カラカウア大通り」は、朝だというのに既に人々で賑わっている、さすがにワイキキのメインStである。
因みに、ホノルルの主な通りの名は、ハワイの歴代の王朝の名前が付けられているらしい・・。
「カラカウア」とはハワイ王朝の名前である。 彼は、カメハメハ5世の跡を継いで国王に選出されている。 1881年にカラカウア王は移民問題について学び、又、外交関係を改善するために各国を周遊している。
ハワイを発ち、日本、中国、シャム、ビルマ、インド、エジプト、イタリア、ベルギー、ドイツ、オーストリア、フランス、スペイン、ポルトガル、イギリスを歴訪し、アメリカ・サンフランシスコを経由してハワイに戻った。
日本では明治天皇と会見しているほか、ローマ教皇やイギリスのヴィクトリア女王とも会っている。カラカウア王の留守のあいだは妹のリリウオカラニが摂政として統治にあたっていた。
カラカウア王の従兄弟にあたるのが「クヒオ王子」で、リリウオカラニ女王の次にクヒオを次の国王の後継者として指名していたが、1,893年に起こったクーデターによりハワイ王朝が崩壊したので国王になることはなかった。
クヒオ王子はアメリカの領土となった後もハワイで生涯を過ごし、ハワイ文化の向上に尽力した人物でとして今でもハワイの人々に愛されている。
現在「クヒオビーチパーク」と呼ばれるワイキキビーチ東側付近は、当時王子の住居があった場所で、クヒオ王子の記念の銅像も建っている。

その名を示す「クヒオ通り」はカラカウア通りから一本山側に入った通りで、われ等のホテル(オハナワイキキマリア)もこの通りに在る。
市バスの路線になっているので買い物や観光に出掛けるのに便利なロケーションであり、通り沿いには24時間営業のスーパー、フードパントリーや野菜などの生鮮食料品や日本食、日用雑貨など滞在中の必需品はたいていここでそろう。
軽い朝食・・?をこの通りの「マックハンバーガー」で戴いた。 こちらのマックはパンの部分が日本のとは異なり、メリケン粉えを固めてような硬さがあって今一であったが・・。

次回は、ハワイ最終日



ハワイの旅(25);「ハワイにお出でよ・・!!、」

2008年09月18日 08時56分35秒 | ハワイの旅
ハワイの旅(25);「ハワイにお出でよ・・!!、」  

ハワイ・「オアフ島」 
 遂に最終日が来た。
その前に「ハワイ」の概略(オアフ島)について・・。
オアフ島は八つの島からなるハワイ諸島の中で三番目に大きな島である。
火山島であり、規模は縦71 km (44 mil) 及び横48 km (30 mil) で、海岸線の長さは一周で366 km (227 mil)である。(1mil=1.61km) 
御存知、観光で著名なダイヤモンドヘッドはコオラウ山脈の南端に接し、独立した火山(死火山)である。
一番高い地点は海面上1,225 m (4019 ft)で、 Waianae(ワイアナエ)山脈にあるMt. Ka‘alaである。(1フイート=12インチ=30.48cm、記号 ft)
島の南部には内陸に深く食い込んでいるパールハーバー(真珠湾)があり、その南東部にハワイへの入国、ハワイの玄関口となるホノルル国際空港がある。
オアフ島は、ハワイ州の中で一番人口が多く、州全体の八割がこの島に住んでいるという。また州政府庁もこの島にあり、政治、経済、また観光の中心となっている。
島の南岸東寄りのホノルルに主要施設は集中していて、ホノルル国際空港や港湾もここにあり、ハワイ島ほかの隣島への乗り継ぎの拠点となっている。
空港の他に、島内にあるホノルル港と真珠湾の二大港湾は、太平洋航路における拠点として大きな役割を担っている。
古くは世界各国から移民を迎え入れ、現在は世界中からの旅行者を迎え入れているオアフ島はハワイのシンボル的存在で、まさに"The Gathering Place" (集いの場)と言える。
そして、東洋と西洋の文化が混ざり合った独特の雰囲気は、オアフ島最大の魅力で、南国パラダイスならではの自然の美しさと、アメリカ近代都市の洗練された混合文化が同時に味わえるのもオアフ島である。
市の東部のワイキキにはホテル・コンドミニアムやショッピングセンター等が林立し、世界有数のリゾート地帯となっていて、東岸は、ワイキキに代表される風光明媚な海岸である。 北岸はノースショアと呼ばれ、冬季には高波が打ちつけるサーフィンの名所となっており、世界各地からサーファーが訪れるとともに、大会等も開催される。

島内の交通は主として自動車が使われ、鉄道系の交通は存在しない(敷設計画は存在する模様)。
現地在住者は、原則として自家用車か乗合交通機関を利用する。 
ツアー観光客は、ほとんどの場合チャーター式のバスで空港/観光ポイント/宿泊施設を巡回する形になる。 また、観光客が集中するワイキキ周辺には、観光会社や大型店舗等が出資しているオープン・デッキ型のトロリー・バス(チンチンバス、ただし内燃機関による通常の大型バス)が往来し、ショッピング・センターや観光スポットへの行程に使用されている。
観光客が個人行動の際に利用する交通機関は主としてタクシーかレンタカーになる。

引続き「オアフ島」について・・、



ハワイの旅(24);「ハワイのショップ」

2008年09月12日 10時21分47秒 | ハワイの旅


ハワイの旅(24);「ハワイのショップ」  


 アラモアナ・ショッピングセンター中央モール

「アラモアナショッピングセンター」 
ヌアヌ・パリからはパリハイウエイを南に向って下りながら走る。 
この付近には日系人が多く、いろいろの宗派のお寺や日本人墓地が見られる。
現在ハワイの人口は121万人で、白人系が38%、日系が22%、フィリピン系が15%、ポリネシアの混血が12%で、純粋なハワイ人は少ないという。
途中、運転手にアロハタワーへ行くかどうか問うたが行かないらしく、そのままワイキキのDFSで解散となった。

時間は16時30分、ホテルで一服した後、今度はアロハタワーからアラモアSPCへ向う・・。
チンチンバスに揺られて、お土産類を見るのにアロハタワーマーケットプレスへ立ち寄ったが、特に目ぼしいものが無いらしく、同様のチンチンバスでアラモアナショッピングセンターを訪ねた。
豪奢なプリンスホテル、ヨットハーバーの近く、アラモアナ大通りに面した場所で、ハワイ最大のショッピングモール「アラモアナ・センター」である。 

アラモアナ・センターは広大なアラモアナビーチ、アラモアナ公園の北側に面した20万平方メートルの敷地に、230店を超えるショップやレストランなどがこれでもかと言うくらい揃っている。
オープンエアのモールでは、日本ばかりでなく世界各地からハワイを訪れる旅行者にも人気のショッピングスポットとして知られ、何と年間約5600万人もの人々が訪れているという。 
ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネル、ティファニー、フェラガモ、グッチ、カルティエ、プラダなど世界に名だたる一流ブランドの直営ブティックや各種専門店、多彩なショップがずらり軒を並んでいる。
また、カジュアルレストラン、居心地の良いカフェやバー、世界の味が楽しめる巨大フードコートのマカイ・マーケットなど、グルメスポットも充実、日本料理はもちろんのこと、イタリア料理、中華料理など、各国のレストランが揃っている。
マカイ・マーケットや各デパート内、ドリンクやデザート類の店も合わせると、実に65店以上の飲食店が入っているという。
我等も、しばしブラ見(ブラブラ見物)しながら、身内家族・孫共に、今流行のハワイアンジュエリーといわれるアクセサリー類や現地ハワイ生産のクッキーなどを買い求めた。
そして、日本食コーナーで丼物のうな丼、カツ丼とお馴染みのものを戴いた・・。
手に荷物一杯ぶる下げて、DFSまで戻り今度はこちらで更に、追加の土産を見繕った・・。深夜も0時を回り、慌てて明日の帰国の為の荷繕いをし、浴あびして冷たいビールを流し込み、長かった1日の終止符とした・・。


hw3-12 ワイキキ DFSギャラリア、右にチンチンバスも見える

次回、「ハワイにおいでよ・・、」

ハワイの旅(23);「東海岸周遊へ・・、」

2008年09月11日 09時34分51秒 | ハワイの旅

ハワイの旅(23);「東海岸周遊へ・・、」  

「ヌアヌパリ展望所」 
ワイマナロ地区から61号線のパリ・ハイウェイを山岳地へ向うと、間もなく「ヌアヌパリ」という公園展望地に着いた。 
高度は310mで大した高さではないが、展望台からの眺めは素晴らしく、目の前にはゴルフ場、カイルアの町やマカプウ半島、ワイナマロ湾が視野180度にわたって広がっている。 
ここはコウラウ山脈の切れ目に当たり、一年中強い風が吹いているらしく、時折、吹き飛ばされそうになるほどの猛烈な風が吹き抜ける・・。
特に、女性の方のスカートや帽子は要注意であろう・・、現に若い女性・・?が歩くのに、盛んにスカートに手を当てているチョット悩ましい姿も見受けられた。


ヌアヌパリ展望所からの大展望

「ヌアヌ・パリ」 
パリハイウエイのカイルア方面の最高所は断崖上の突風が吹いている名物の展望台であるが、この地は克っての1795年、カメハメハ大王の軍とオアフ軍との戦いの場でもあった。 
大砲など近代的な兵器の前に敗走したオアフ軍の兵士が、この丘に追い詰められ全員崖からつき落されたといい、些か残酷な説明パネルも展示してある。


展望台にある案内板(ヌアヌ・パリはカメハメハ大王の軍とオアフ軍との戦いの場でもあり、この丘に追い詰められ全員崖からつき落されたという)


カメハメハ大王はハワイ全島を統一しハワイ王朝を樹立した偉大な王と称えらているが、以外にも残酷なことをしているものだと思ったが・・。
この地には妙な言い伝えがあるらしく、車でここを通る時は、くれぐれも豚肉は積むなといわれる・・!?。 豚肉を持ってパリ越えをすると、「飢えたオアフ軍戦士の霊が、豚肉を求めて車を止める」と信じられているようである。

ところで、ハワイの最初の住民はポリネシアという民族で、人々は文字を持たなかったため、ハワイの昔の歴史を知ることは困難であるが、口頭伝承が多く残っており、また歴史家の研究により、ある程度のことは解ってきたいう。(このあたりアイヌ民族に共通する)ポリネシアンは、紀元前700年頃(縄文期)にハワイに彼らが住み着き、魚を主食とし、タロイモを栽培して食べていたとか・・。 
18世紀、イギリスの大航海者・ジェームズ・クックが太平洋で三回の航海を行い、ヨーロッパ人として最初にオーストラリア東海岸に到達、その後、ハワイ諸島を発見している。
1779年にはジェームズ・クックがハワイ島を訪れ、カメハメハ王はクックに対面している。 王はこの時、西洋の武器の優秀さと貿易について学び、近代兵器をてにしてハワイ諸島を統一する。
因みに、クックはその後ハワイ島民との争いで住民に殺されたという。
カメハメハは、1790年にはマウイ島、モロカイ島、ラナイ島の支配者と戦って破り、これらの島を支配下に置いている。
オアフ島へは1795年に上陸し、ヌアヌ・パリの谷で決戦し勝利した。
このとき相手側の兵士凡そ400名は絶望して約300mのこの断崖から身を投げて死んだと伝えられている。
近年では、ここから飛び降り自殺を図った男が、飛び降りたのはよかったけど、下からの風に吹き戻されて、足の骨折だけで助かった、というマンガみたいな話もあったとか・・?。

次回は、ハワイのショッピング・・、