日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

平成日本紀行(番外編) 指宿 「ホテルと温泉」

2016年12月07日 16時54分24秒 | 鹿児島県
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 平成日本紀行(番外編) 指宿 「ホテルと温泉」   ,





写真:指宿フェニックスホテル



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「砂蒸し湯」の周りで、孫たち3人も素っ裸で・・、

「指宿フェニックスホテル」は、指宿名物・砂蒸し風呂や洞窟露天風呂で人気があるようだ。昨夜は、我が家族一行が到着しだい、これらの名物風呂を堪能した。 

娘夫婦と上さんが「川の字」になって砂に埋もれている。 
係員に許可をもらって孫3人も素っ裸で川の字の回りを、はしゃぎながら砂を掛け合っている。 
「顔に掛けちゃ駄目だよ・・」、
「はーい」、
「ハーイ」、
小生は先日体験したので、今回は遠慮して孫の監視役である。


砂湯は先ず、受付の係りのおばさんに案内され、手早く浅い穴を砂に掘り、頭を乗せる枕代わりに一箇所砂を少し高く盛り、その上にタオルを敷く。
その穴に横たわると、今度は身体の上に砂がかけられていく。 
上半身から下半身へ、勢いよく砂を乗せられると下腹部に重さを感じる。 

顔以外すべて砂に埋まったら、後はおとなしく10~15分そのままボーッとしている。 
すると、砂はじんわり温かく知らぬ間に汗が出てくる。 
低温火傷というのがあるらしく、どんなんだか不明だが、そんな時は身体をモコモコ動かすといいらしい。 砂の重みのせいか、ズキンズキンと自分の脈動を感じるのである。
まあ、この砂の重さと温かさが心地よいのである。 


砂むし温泉は、いわば天然のサウナであり、砂の重みはマッサージ効果もあるようで、あつい砂の中に体を横たえるとじわじわと温まり、爽快な汗とともに気分もすっきりリフレッシュできる。 
指宿の旅で、思い出一つの体験としては絶妙であろう。


次に、砂を落して広大な室内浴場、露天風呂へと浴槽入浴に移る、孫達とっては遊園地のようなプールである。 
幸いにと言うか、この広い浴場に他の客は誰一人居無く、貸切り状態なので気兼ねは不必要であった。 
ただ、孫たちが勢いよく突走って、転ぶのが心配だったが。 
大浴場、露天風呂とも展望もよく、気持ちよくレフレッシュできた。



指宿温泉は、薩摩半島の南端の海岸沿いに5kmにわたって湧き出る温泉で、豊富な湯量に恵まれ、市内いたる所から湧き出る。 
一日の温泉湧出量は約12万t、泉源は約800箇所在ると言わ、源泉温度は60から80度の高温泉で、泉質のナトリウム・塩化物泉は神経痛、筋肉痛、関節痛、胃腸病、肩こり等々に良いとされる。 


旅館やホテルが建ち並ぶ温泉街のメインストリートは、フェニックスの街路樹が茂り、年間を通してハイビスカスやブーゲンビリアなどの花が咲き、南国情緒あふれる地域である。 

かつては静かな湯治場として親しまれていたらしいが、現在でも町内には10ヶ所程の共同浴場が在り、何れも入湯料200円前後浸かれるという。 
今も自炊施設を持つ宿もあり、湯治の長逗留の人も結構いるらしい。

そして、指宿温泉の特徴は、何といっても名物の「天然砂むし風呂」であろう。 
摺ケ浜(すりがはま)海岸の砂浜に湧く天然の砂むし湯は、日本唯一の天然砂むし風呂が体験できる温泉地ある。 
砂蒸」そのものも、300年以上の歴史があるといい、近隣の海岸に出て適当に砂を掘れば、場所によっては砂蒸しができる場所がある。 

海岸なので海水浴をし、その後、砂蒸しをするという優雅な温水浴ができる。

また、高温の場所に「薩摩芋」あるいは「生卵」を埋めておけば、ふかし芋あるいはゆで卵が出来上がし、味付けは海水で十分であるという。


お風呂の後は楽しい食事である。
ホテルの食事は夕・朝共にバイキング方式で、皆でワイワイ言いながら楽しくガツガツと戴きである。 
孫達は爺・婆が世話役で、当の親の娘夫婦は承知したもんで、まかせっきりの素知らぬ顔で箸を口に運んでいる。 

もっとも、小生はビール片手に、上の孫とお喋りをしながらの食事で、手は懸からないのであるが。 
そんなこんなで、久しく賑やかな一日を家族と共に過ごし、枕を並べて夢路を辿ったのであった。




目覚めると久しぶりの雨の様気である、長々と雨無しのカラカラ渇水期が続ていたので、少々お湿りが欲しいところであるが、家族との楽しい一時である、今日だけは欲しくなかったのが。 

孫達は、まるでランダムに転がしたように、アッチャコッチャの寝姿である、夕べの宵っ張りが効いてか未だ未だ(まだまだ)夢の中である、どんな夢かって・・? 
幼児も夢見るよネ・・?!。


小生は例によって朝湯である。 上さんも起きてきて一緒に出掛けた。 

大浴場から露天風呂の表へ出てみると、柔らかに降る雨は辺りをシットリと湿らせ、庭園の木々は緑を一層光らしている。 
朝の入浴は身体を特に洗うことなく、のんびり入って体中の神経の目覚めを待つのである。 

サッパリ湯上り後にホテル内をブラついて、後はご一行と朝食である、さすがの孫どもも半睡半眠(半覚半眠・・?)で、時々、ダダも・・!!


次回は、再び「知覧」へ





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平成日本紀行(番外編) 指宿 「孫」

2016年12月07日 16時33分07秒 | 鹿児島県
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『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/




 平成日本紀行(番外編) 指宿 「孫」  ,






桜島フェリー





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「なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の 宝もの・・」  、

桜島を満喫した後、その国道224号の所謂、袴腰-赤水の「溶岩直線道路」を通り、鹿児島へ渡るためにフェリー乗り場へ向かう。 
その前に港の前にある「道の駅・桜島」へ小用で寄った。 

赤い四角錐の屋根が印象的な駅であり、意外と人が多いのに驚いた。
例によって、「フレッシュ」が合い言葉の農産品、農産加工品などが地元産が並んでいるが、中でも目に入ったのが、特産の「桜島小ミカン」や「桜島大根」などであった。 

上さんが(妻)、気を利かして1袋購入し、早速、手にしたところ実に小さい、皮をむくと1口で食べられるほどである。
そして、この甘さが抜群であった。 

孫たちも
ジージ、このみかん可愛くて、甘い・・!」と、
そうだよ、お前たちと一緒だよ
・・? 」


桜島小ミカンは、ギネスブックにも登録されるほど世界一小さなミカンで、更に「世界一甘いミカン」だと地元の人は云っている。

意外と歴史も古く、島津義弘が文禄・慶長の役の際に朝鮮半島から持ち帰ったと言われている。 
更に驚きは、こちらは世界最大といわれる桜島大根が、やはりギネスに登録されているという。 

この小さな島の一角に、世界一の物産が二個並んでいるのも稀有であろう。



桟橋へ向かう・・、
すぐ前は既に鹿児島の市街、ビル群が迫っている。 
高速道の料金所よろしく、車に全員が乗ったまま代金を払って、そのまま待機しているフェリーに乗り込む。
4階構造の華やかなフェリーで1階が大型車、2階が普通車で3,4階が一般乗客である。 

航行時間わずか13分と非常に短い航路だが24時間運行を行っており、一日88便も運行されている。 
日中は10分間隔で発着を繰り返しており、恐らく日本で最も便数の多い航路ではないだろうか。 
僅か10分少々の乗船時間であるが、船内にはコーヒースタンドや立ち食いソバなどの設備も整っていて飲んで、食っている最中(さなか)に着いてしまう。

出航後間もなく鹿児島からのフェリーとすれ違う、孫たちも大はしゃぎで元気一杯である。
そんな、こんなもしない内に鹿児島埠頭に着いてしまった。

下りてすぐ水族館があって、早速、孫どもが「ねえー、水族館連れてって・・」と強請る(ねだる)。
時間の関係上、どうしても無理なことを説得するのに一苦労である。 

日本西南の大都市・鹿児島の市内見物することもなく、(小生は既に済んでいるが・・、)鹿児島中央駅前から一寸、長目の「武岡トンネル」を抜け、九州道の鹿児島I・Cへ飛び乗った。 
行き先は「指宿スカイライン」から、今夜の泊まり宿・指宿である。 



今日、朝早くから慌しい一日であったろう、車中、孫どもは疲れきって、三人ともすっかり寝込んでしまった。 
上の女の子は小生の膝枕で、気持ち良さそうに寝息を立てている。
可愛い孫たちである・!!。


小生宅は子供三人、女、男、女であり、周囲の身内、親戚、友人の子供たちも、皆、偶然ではあろうが子供三人で女男女の順番も同じである。
おまけに、車中の娘の子(孫)も同様なのである。 

自分の子供達は飼育・・?に夢中であって「可愛さ」というのは余り実感が無かったようだが、 実際、大泉逸郎の「」という唄ではないが歌詞に「何でこんなに可愛いのかよ、孫という名の宝物」・・と本当に可愛いのである。


毎週末にやって来ては「ばばちゃん」、「じーじ」と纏わり付いてくる。 そのうち、おもちゃ箱へ行って、引っ掻き回し、部屋中にカッ散らかして悪さを始める・・!。
「コラッ・・」と怒鳴っても「イー・・」といって逃げてしまう。 

親娘は、そんな孫たちには素知らぬ振りでテレビに夢中なのであり、爺・婆の家だから出来るのである。 
たまには孫と一緒と遊び、動き回るときもあるが、あのハイテンションの声と動きには付いてゆけず、しまいには疲れてしまうのである。 

婿(娘の旦那)も来て夕食をともにした後、間断なく吹き荒れた豆台風が、勝ち誇ったように意気揚揚と引き上げる。
後は、残された爺・婆は、しばし放心状態に陥るのでのである。 

外孫であるが・・、外であれ内であれ、孫の可愛さには変わりがない。
外孫であるだけに日々の成長がわかって嬉しいものである。 
尤も、内孫も近所にいるのだが、未だ、小さくて実感が無いが、その内、暴れだすのであろう・・!。

今は、車中でジックリ休眠とっているが、その後、ホテルへ着いたら、珍しさもあって一暴れ、二暴れするのだろう。
その時は大いに付き合ってやろうじゃないか・・!。

上さんの実母である義母も、80歳を過ぎたとはいえ未だゲートボール、カラオケにと元気に暮らしている。 
長旅の疲れもあり、車には弱いはずであるが、今のところ、それらしい気配はなくホッとしている。


指宿スカイラインは九州道に直結した日本列島の最も南にある豪快なロードであり、薩摩半島の尾根を左右に分けて東には錦江湾が見える観光道路である。 
道路は次第に高度をあげ、左側には錦江湾と桜島から立ち上る煙が見え、右側には広々とした尾根が広がっている。
山の頂上を走っているのに景色を遮る木がほとんどないのでロケーションは抜群である。

知覧インター付近には雄大なお茶畑が広がっている。
ここからは小生が先日通った道程であるが、運転はしてないので快適さを満喫できる。 

知覧インターを過ぎると今度は道は下り坂になる。スカイラインの終点には、あの池田湖であるが観光は明日に行うとして、このまま指宿市内へ向かう。

先日と同じルートから市郊外のR226を南下して、南端部・指宿枕崎鉄道が交差する辺り、派手に立ち上がっている「指宿フェニックスホテル」に到着した。 
白亜の建物で、南国ムードいっぱいの庭園に囲まれた風光明媚な高台に建つ。 
広大な敷地の庭園も見ごたえあるし、錦江湾を眼下に右手には山川港、遠くには本土最南端佐多岬まで遠望できる圧巻のロケーションである。 

ホテルは、掛け流しの温泉は勿論であるが、洞窟風の露天風呂や中でも指宿名物の「砂むし温泉」も完備していた。

着後、一眠りして元気づいた孫達が、早速、暴れだした・・!! 。


』 曲・唄 大泉逸郎

なんでこんなに 可愛いのかよ
孫という名の 宝もの
じいちゃんあんたに そっくりだよと
人に言われりゃ 嬉しくなって
下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔

もみじみたいな 小さな手でも
いまにつかむよ 幸せを
仕事いちずで 果たせなかった
親の役割 代りの孫に
今は返して 今は返して いるところ


引き続き、「指宿温泉

  
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平成日本紀行(番外編) 桜島 「火山島・桜島」

2016年12月07日 16時32分11秒 | 鹿児島県



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 平成日本紀行(番外編) 桜島 「火山島・桜島」   ,





写真:有村溶岩展望所よりの「さくらじま」






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垂水から桜島へ渡る時、「早崎」なのに「早咲」と命名したのは何故・・? ,

家族と合流したことによって油津、南郷、志布志を経て、小生が昨日辿った道を逆方向へ進み、垂水から向かうは火山島・「桜島」である。

途中、きのう見過ごした都井岬へ寄ろうと提案したが、時間の都合上やはり素通りすることにした。 
串間辺りの220号沿線には「大黒」という大きな看板が目立つ。 
ホテルや温泉施設、式場等の広告看板であろうが、たぶん“だいこく”と読むんだろうけど、我々はどうしても“おおぐろ”と読んでしまうのである。 


志布志、串良から鹿屋の錦江湾へ出た。 
既に海上から錦港湾に浮かぶ桜島が見え隠れしている。
垂水の変哲もない市街地を通り抜けると、海岸に沿って家並が続く、所々に廃隧道や線路跡らしきものが望める。 
そう、克っての国鉄大隈線の跡であった名残である。 

先にも記したが、大隅線は志布志町(現・志布志市)の志布志駅から同県国分市(現・霧島市)の国分駅までを結んでいた、国鉄の鉄道路線である。 
国鉄再建の特定地方交通線に指定され、1987年に廃止された鉄路で、志布志から大隈半島を横断して古江から錦江湾沿いを北上して国分に到っていた。


海潟(あいかた)温泉は錦江湾、桜島を望む温泉宿数軒の鄙びた温泉地であるが、泉温は大隅半島唯一の高温温泉で46~52度の天然温泉で地域の人たちの人気が高いという。 

和田辺りまで来ると桜島がチラホラ見えているので、思い切って和田の海潟の波止場へ出てみた。
案の定、忽然と煙たなびく桜島が海上に浮かぶように現れた。 実に迫力あるポイントである。 
もしかしたら、この地が桜島のビュウポイント・ナンバーワンではなかろうか・・?、
おまけに、波止場岸壁のすぐ横には、懐かしい「江乃島」がこんもりと浮かぶ、実に気が和む風景であった。

いよいよ桜島へ向かう。
国道220号の垂水市海潟~牛根間は「早咲大橋」いう海岸海上の大橋を渡る。 
それにしても、右岸は急斜面の山肌が迫り、周囲の風景と相まって中々美事な橋である。 

なんでも右手の早崎山・火山が噴火の時、火山岩や火砕流が錦江湾に向かった流れた際、急激に冷されて急な崖になったところらしい。 

山裾にはかって旧道があったらしいが、過去の集中豪雨や台風の異常気象時に土砂災害を多く受けて、その度に斜面崩壊が発生して交通が途絶遮断した。
そのために、早咲大橋を急遽、建設、開通させたという。

ところで、「早崎」なのに「早咲」と命名したことは何故・・?、
役所の職員に、そそっかしい人がいて正式書類に早崎を早咲と書き込んでしまい、それが認可されてしまった・・?、
などど邪推するが、定かでない。 

全長は888mと実にキリが良い・・!、

この数値には懐かしい思い出がある。小生20代前半の頃、実家である田舎町(いわき市湯本)に、888(ぱぱや)という名称の小奇麗な飲み屋(昔のバー)があり、そこのホステスと相思相愛・・?の仲に成ってしまったのである。(これは余計)


渡りきると鹿児島市桜島町である。 
桜島は、今でも活発な火山活動を続けているのは周知だが、1914年(大正3年)の大噴火の際、桜島と大隅半島の間の瀬戸海峡が溶岩で埋まり、大隅半島が今のように陸続きになったという。
現在の垂水市であり、その市境を戸柱鼻という。


ここからは国道224号線になり、斜面の山肌は特有のゴツゴツした火山岩で覆うわれていて、別称、溶岩道路(Lava Road)の名が付いている。 
桜島が陸続きとなった戸柱鼻から2キロくらのところに「有村展望所」があり、道の内陸側に駐車場、みやげ物屋が数軒並んでいる。 

展望所は、1946年(昭和21年)の大爆発で流出した溶岩原の小高い丘にあり、正面に桜島本山を始め、360度に広がる眺めである。 
全長1kmに及ぶ溶岩遊歩道の途中にあり、世界的活火山「桜島」の迫力と錦江湾を手にとるように望むことができる。 

東屋のある展望所は三か所あり、周辺は溶岩石や火山砂といった荒涼とした風景が広がっている。 
溶岩地帯は遊歩道を散策でき、徒歩5分~20分くらいで、時間に合わせて自由にコースを設定できる。 
桜島山を正面に望める溶岩原の中に、「霧島・屋久国立公園・さくらじま」と標板が立ち、撮影ポイントを示しているのだろう・。 


「桜島」(桜島町)は鹿児島県の自治体として、町制施行30年余を経過しているが、平成16年11月1日に1市5町(鹿児島市、吉田町、桜島町、喜入町、松元町及び郡山町)と市町村合併を行うこととなり、新鹿児島市として発足、その長い歴史に幕をとじている。

桜島は、鹿児島市の東方わずか約4km先、鹿児島湾(錦江湾)上に位置し、現在も活動を続けている活火山がこの半島を形成している。 

整った山容を静かな錦江湾に浮かべ、湾に面する各地域から眺められる秀麗な姿は、全国に例を見ない景観でもあり鹿児島県民の心の拠り所であろう。


桜島の大部分を構成する「御岳」と呼ばれる山岳は、山頂部分が南北に並ぶ北岳、中岳、南岳から成り、山腹部分にに多くの側火山を配している。
山裾が海まで伸びているため平地はほとんどないが、北西部と南西部の海岸沿いに比較的なだらかな斜面があり、農地として利用されている。

山(桜島火山島)の大きさは、周囲55キロメートル、最高峰・北岳の高さ1117mで、円錐形の上半分が切断された半コニーデ式の火山である。 

外周する道路は、北部は県道26号(桜島口=袴腰~早咲大橋)と南部の国道224号で、国道は島内だけの僅か14km足らずの短い路線であり、袴腰-赤水の2キロ余は一直線に駆け抜ける「溶岩直線道路」と言われ、桜島避難道路としても使用されている。 
海側を通っていた従来の国道は観光用道路として残されている。


次回、「指宿温泉」

  
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平成日本紀行(154)志布志 「志布志千軒町」

2016年11月28日 16時50分36秒 | 鹿児島県
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 平成日本紀行(154)志布志 「志布志千軒町」  ,




https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Shibushi_Port_Wakahama_Area_01.JPG
現在の志布志港





旅の記録;「日本一周」へリンクします

志布志は、古来より南九州の海運、交易の中心であった・・

太平洋、志布志湾沿いの大崎町へ入って間もなく、大隅半島の東の入り口である志布志湾に面した国道220号線沿いにある「道の駅・くにの松原おおさき」へ来た。 

入り口に巨大なカブトムシの、つがいのモニュメントが出迎える。
大隅半島は「カブトムシ」の採取に適した自然豊かな地域だといい、大崎町は7月に「カブトムシ相撲大会」も開催されことで子供らに人気があるという。


裏手の志布志湾に面した海岸は「くにの松原」と言われる。 
数十万本ものクロマツの美しい松林が、海岸線沿いに帯を成して美観を造っている。 

日南海岸国定公園内に位置し、長さ約7kmにも及ぶその見事な景観は「日本の白砂青松100選」にも選ばれている。
この地は神代から日向(ひむか)の国、救仁(くに)の地として栄えたところで、ここから「くにの松原」の名称が付いたという。 

古代、ここ内之浦から大崎・志布志に至る大隅国中央部から日向国の南部にまたがる広大な地域を救仁院、救仁郷と称していたらしい。


志布志町の町並みに入ったが、思ったより小さな町並みに感じられる。 
志布志湾というと、九州南部地方では極めて利便性の良い港であり、古来より海運業が盛んだった港町にしては意外と地味に思われた。 
尤も、最近になって国の重要港湾・九州唯一の中核国際港湾として指定を受け、コンテナ関連施設の整備が進められているともいう。



かっての志布志は、藩政時代には密貿易で栄え、「志布志千軒町」と唄われたほどの港町であったという。
既に、平安時代末期には島津御庄と呼ばれた大荘園(貴族・豪族の私有地)の唯一の水門(港)でもあり、「志布志の津」として歴史書の中にその名が記されている。 
豪族達が戦略上の重要な地域として、また港の交易による利益をめぐって攻防の歴史をくり返したでもあった。

又、志布志は過去に“水の輸出”という珍しい地域でもあったという。
南九州地方は、特有の広大なシラス台地で、長年に渡り自然ろ過された清浄な水が豊潤に湧き出している地帯でもあり、湧水は古来より秀吉や加藤清正などともゆかりが深いという。
彼等により、戦国時代以降は海外にもこの清水が運ばれ、その水は味が変わらない名水であるとされて時の権力者達に喜ばれたという。  


江戸時代の志布志は薩摩・島津氏の外城としてが置かれ、「麓の港」として南西諸島(琉球、その他)や京阪地方との交易による廻船(江戸時代の定期船のこと)で賑わい更に、江戸時代末期になると密貿易の基地として「志布志千軒町」と呼ばれるほど賑わいを見せたという。 

同時期に大慈寺、宝満寺、山宮神社などの数多くの寺社仏閣が建立され、武家屋敷の庭園など多くの歴史的遺産も残されていた。 
しかし、これらの遺産も明治期の政策の一つとして寺社分離、廃仏毀釈(寺院をとりこわして神社を大事にする明治政府の天皇制をすすめるための政策)が行われ、特に薩摩地方では激しく、由緒ある寺院や施設が壊されている。


志布志町役場の一角に大慈寺(県指定所有)がある。 
室町期・1340年の創建といれる古刹で、京都の臨済宗妙心寺(拙宅の菩提寺と同じ)の末寺でもあり、江戸期の隆盛時には16の支院と100名以上の僧坊がいたという。 

当然ながら明治2年の廃仏毀釈により一時は廃寺となったが、明治12年に一部を再興し現在に至っている。 
克って、この寺に参道門に石造の立派な金剛立像の呵形(あぎょう)、吽形(うんぎょう)が立っていたという。
寺院取り壊しの際、難を逃れるために地下に埋設して隠したとされ、寺の再興の際に再び掘り起こしたものという。
だが、据付したのは一体だけで、もう一体は廃寺となっていた同系の寺・海徳寺に据えたという。


因みに、「呵・あ」、「吽・うん」とは印度仏教・サンスクリット語の“初めと終わり”を意味する。
尤もで、日本語の五十音も全く同じである。 

阿・吽の呼吸」というが、口を開く「阿」と、口を閉じて発する「吽」から、そこから「呼気」と「吸気」の意味となり、両者が息を合わせることを「阿吽の呼吸」と言うようになった。 

又、「あー」と口を開けて吐ききる「」と、「」と口を閉じて鼻から空気を吸う「」が「呼吸」であり、これが正しい呼吸法ともいわれるが・・?。



現在の志布志港は、日本有数の農畜産地帯への飼料供給など、南九州地域における拠点港として発展しているという。
港湾と都市部を結ぶ南九州自動車道や都城・志布志間地域の整備計画が具体化しおり、今後さらに都市機能の整備や産業の振興を図って、世界に開かれた南の拠点づくりを目指している。


志布志町は2006年1月1日に有明町・松山町と対等合併して市制施行し「志布志市」となる。 
因みに市役所の支所には、鹿児島県志布志市志布志町志布志志布志市役所志布志支所というのがあるらしい・・?。 
簡単に読めますかな、冗談ではなく大真面目である・・!!。


国鉄・大隈線については前に記したが、志布志は西からの国鉄大隈線と東からの日南線の終点であった。 つまりは中継点でもある。 
そして、この先志布志湾沿いを志布志街道(R220)が日南線と並行して走っている。
そう、志布志を抜けると間もなく「宮崎県」である。


ところで小生はこの後、串間市の南端に位置する「都井岬」へ向かう予定であったが、知らぬ間に内陸を抜けて日向灘・日南海岸に面した南郷に到っていた。 
小生のうっかりミスと言ってもよいが、標識を見落としてしまい通過してそのまま南郷まで来てしまったのである。 
南郷沿岸の日向道路のT字路の標識へ来て始めて気が付いたのであり、今更もあって都井岬へは断念してしまったのである。


次回は、その都井岬について述べてみたい。

  
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平成日本紀行(153) 鹿屋 「特攻基地」

2016年11月25日 17時21分05秒 | 鹿児島県



『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/





平成日本紀行(153) 鹿屋 「特攻基地」




鹿屋航空記念館 海上自衛隊・哨戒機





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鹿屋基地から特攻出撃して戦死した人々の員数は凡そ千人弱とも言われる・・! 

1936年(昭和11年) 日本海軍・鹿屋海軍航空隊が結成されると同時に、飛行場も建設された。 
そして、第二次大戦における海戦においては、特に沖縄の戦闘は戦艦大和など戦史にも残るほど熾烈なものであった。 

この時期、日本の戦局は絶対不利の状態となっていて、ここに退勢挽回を図るため秘策を試みるに至った、即ち敵国海空軍兵力の全滅を期して計画したと言われる特別攻撃、つまり「特攻」であった。

鹿屋基地において戦時中期頃までは、中国大陸に対する爆撃やマレー沖海戦、イギリス東洋艦隊の攻撃などで戦果があったとされといる。 

特に零戦(零式艦上戦闘機)は大戦中には大量に製造され、世界的な名機といわれて太平洋戦争初期には圧倒的な力を誇ったという。

世界を震撼させた零戦は、海軍鹿屋航空隊でも頻繁に出撃していったが、この鹿屋基地は、戦時末期にはアメリカ軍の沖縄侵攻により、特攻出撃の航空基地となってしまうのである。


太平洋戦争末期には鹿屋基地には第五航空艦隊司令部が置かれ、「神風特攻隊」の出撃基地となり、爆弾を抱えた零戦をはじめ戦闘機は、その運動性能を充分に生かすことなく、搭乗員とともに特攻作戦を展開しながら南の海に散っていった。 

特攻機が離陸するに当たり、知覧基地では「開聞岳」が最後の見送りの地となったが、鹿屋基地からは「桜島」が最後の想いの地になったものと思われる。
この基地から出撃、特攻戦死した人々の員数は908名とも言われる。


現在は、海上自衛隊の航空基地で、対潜哨戒機や救難ヘリコプターの基地でもあり、日本の南西海域の安全保障や奄美諸島から甑島列島に及ぶ広大な海域・離島の海難・急患輸送に欠かせない基地となっているという。 
その滑走路脇には今でも、戦中から使われていた零式艦上戦闘機の勇姿が展示されているという。



国道220号は大隈半島を、ほぼ直角に横断するように延びている。 
その中ほどに「串良町」がある。

この町域のだだっ広い丘陵台地には、緑の絨毯が広がっていて名産の葉タバコが育成されているようである。 
おはら節に『 花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは 桜島 』と歌われているように、この地方は古来より葉タバコの生産地であった。 
昨今は、原料葉たばこの輸入(中国、インド、ブラジル・・)や専売公社の民営化、消費の低迷などによる減反政策のため減少傾向にあるという。 

J・Tからの買取価格も低下しているのが現状のようで、政府も転作を奨励するように働きかけているようである。
葉タバコ生産の産県別にみると熊本、鹿児島、宮崎と九州南部地域が全国ベスト3に入り、凡そ30%を占めているという。 

尚、時代の勢いもあっていずこの地も禁煙運動が盛んであるが、強硬に反対しているのは実は、葉たばこ農家よりもタバコ販売業者達ともいわれる。


串良町の串の字を分解すると、「中中」と読み、「なかなかよい町」という意味にもとれ、町民はそのことを意識しているともいう・・?。 

串良町(くしらちょう)は、今も第一次産業に従事する住民が多く、葉タバコ産業は今後懸念されるが、農業を基幹産業とする町に変わりはなく、「なかなかよい町」であることは確かなようである。 

だが、串良町は周辺の鹿屋市、輝北町、吾平町と2006年1月に合併し、新たに鹿屋市となってしまうという。
従って、行政としての独立性のある「なかなかよい町」は、消え去ってしまうのである。


次回は、「志布志

  
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